定年延長が招く就職“再”氷河期の恐怖
「企業は希望する従業員全員に、70歳まで働きつづけられる機会を用意すること」―。2月4日、政府は、このような努力義務を課す高年齢者雇用安定法などの改正案を閣議決定した。今回の法案が企業に課す義務はあくまで「努力」であり、「罰則」はない。しかし、「人生100年時代」と言われる中で元気で意欲のある高齢者の働く環境の整備は欠かせない。政府は、法案を皮切りにいよいよ65歳までの定年延長や70歳までの継続雇用の義務化へ具体的な取り組みを始めた、と見てよいだろう。
現時点では法整備のスピードや企業に求められる処遇条件が不明なため、企業にどの程度の影響を及ぼすかは未知数だ。ただ、確実なことが一つある。それはリタイア年齢の引き上げは「少退職期間」を起こすということだ。例えば、企業が定年を60歳から61歳に引き上げた場合、この1年は、定年退職がゼロになる。この現象が社会全体で起こると、数十万人規模の話となるため、労働市場にさまざまな歪みを生むのだ。
そして過去の少退職期間は、望まない非正規雇用者を多く生んだ「就職氷河期」と無縁ではない。雇用制度の改正と就職氷河期には密接かつ、不都合な関係がある。(執筆・秋山輝之<人事コンサルタント>)
■女性の退職人口が減った「男女雇用機会均等法導入時代85―95年」
今や昔、かつて男性と女性で定年退職年齢が異なる時代があった。女性というだけで総合職になれず、一般事務職として採用されたり、入社時に「結婚時には退職する」と念書を書かされたりした。「ポスト雇均法時代」である。
国際的な要請から、1986年に日本は男女雇用機会均等法を施行し、男女の退職年齢を統一した。採用上の差別の禁止も企業に努力義務を課した。その結果、晩婚化の影響もあり、法施行の3年後から10年後まで、女性の「少退職期間」が発生した。
図1は、女性正社員の前年比増減を二つの世代ごとにグラフ化したものだ。25―34歳の女性正社員数(赤線)は88―97年までずっとプラスだ。毎年10万―15万人ほど前年より増加し続けている。総合職化した女性の退職年齢が徐々に上昇することで、少退職期間が生まれた。
それに呼応するように25歳未満の正社員数(青線)は年10万人規模で10年にわたり減員を続けた。つまり長期間の採用抑制だ。本来、企業の採用数は業績や景気で左右されるものだが、それ以前に退職者が少なければ企業は採用数を絞るためだ。
この少退職期間に企業はまず、高卒・短大卒の採用を激減させて対応した(図2)。結果、女性の四大進学率が上がったが、大学卒業までに少退職期間は終わらず、同じ世代の大卒採用が絞られた。この時期は95年ころからの就職氷河期に重なる。いわば300万人が勤続5年で働く場所が、150万人が勤続10年で働く場所に変化したことで、ちょうどその時期に就職期を迎えた若者がはじき出されたというわけだ。
■高年齢者の退職が減った「65歳継続雇用導入時代00―08年」
今回、法改正が議論されている高年齢者雇用安定法も、かつて大規模な少退職期間を2回発生させた。1回目は94―95年の改正法施行の直後。60歳未満の定年を禁止した上で、公的給付金の支給で60歳を超えて働く現在の定年再雇用制の整備を図った時期だ。2回目は継続雇用の期間を65歳までに延長した2000―04年。00年に努力義務が課され、04年には実質的に義務化されたことで少退職期間が発生した。
図4は55―64歳の就労者(正規・非正規労働者の合計)の前年差の経緯だ。1回目(96年前後)はベテランの雇用者数が前年より20万人ずつ増加した。これに呼応するように大卒採用は5万人程度の採用抑制が発生した(図5)。
2回目(04年前後)は65歳までの延長で毎年30万―40万人ずつベテランの雇用者が増え、10万人程度の採用抑制が発生した。1回目と2回目は、それぞれ就職氷河期と超氷河期と呼ばれるものだ。
もちろん就職氷河期の原因すべてをこの法改正のせいにするつもりはないが、毎年数十万人もベテランが退職せずに増え続けたことのしわ寄せが、1年あたり50万人程度しかいない大学生の就職率に影響がなかったというのは無理があるだろう。
■新卒一括採用の国としての自覚の必要
筆者は、氷河期が発生するからといって男女の平等や高年齢者の雇用確保を否定したいのではない。日本は、新卒一括採用の国であり、雇用のひずみが生まれると、その調整のために、その時期にちょうど卒業する若者だけにしわ寄せがいきやすいことを広く認識してほしいのだ。
今は若者不足の時代であり、新卒一括採用なども過去の話で、就職氷河期など起こらないと考える人もいるだろう。しかし実態は大して変わっていない。雇用の入り口の中心は相変わらず学校卒業時で、卒業時を逃せば正規雇用のチャンスは著しく失われる。
世に言われる正社員の転職市場の拡大も、市場の低年齢化により目立つだけで、規模は変わらず全世代合計で年間120万人程度と、実は20年前と変わらぬ規模だ。企業が中途採用を絞ったところで、転職者が退職しなくなるだけで労働人口への影響は僅かだ。拡大したとされる早期退職も、企業の募集者数が年間2万人を超える程度で大規模な施策としてニュースになる。日本企業の雇用の調整弁は、まだまだ新卒採用なのだ。
これから本格化するだろう少退職期間において、政府は「高年齢者雇用」に焦点を絞った議論だけで義務化に突き進まないでほしい。市場をよく知る厚生労働省の行政には不安はないが、施策を焦る内閣府には少し懸念がある。
また、企業には義務化を待つのではなく、必要に応じた各社独自の取り組みを期待したい。筆者が人事コンサルを手がける顧客の中には働き手の確保のため、高年齢者雇用の充実を必要と考えている企業がいる一方、義務化まで対応を先送りにする考えの企業も少なくない。男女平等や高齢者雇用などの重要な労働政策への対応を法改正まで先送りにし、改正後に横並びで行ったことが、特定の世代に極端なしわ寄せを生んでしまった過去の失敗を、繰り返して欲しくない。
【略歴】秋山輝之(あきやま・てるゆき)1973年生まれ。東大卒後、96年ダイエー入社。人事部門にて人事戦略の構築などを担当後、04年にベクトル入社。人事・組織コンサルタントとして150社の組織人事戦略構築などを支援。著書に「実践人事制度改革」「退職金の教科書」がある。