本当は知らない路上生活。実践したフリーライターに聞いた
路上生活者。彼らがいかに暮らしているのか、家のある者には想像しがたい。フリーライターの國友公司氏は自ら路上生活を実施し、『ルポ路上生活』を上梓した。路上生活生活者の生き方について聞いた。
―路上生活を実施した経緯は。
大学時代から構想していたテーマだ。卒業論文でホームレスに聞き取りを行ったが、外部の人間へ話す言葉ではないかと感じた。路上生活をする人の本音を聞くには自らも同じ生活をする。そこで起こることや話すことが重要だと判断した。
―路上生活後、想像していたことからの変化はありますか。
世の中ではホームレスも「同じ人間だ」という言葉もあるが、現実は異なると感じた。人間ではないという意味ではなく、文化が全く違うということだ。彼らの中には貧困でも「何とかなる」という意識があるのではないか。だから貧しい中でも暮らしていける水準が、家のある人間とはかけ離れたものになる。実際、民間非営利団体(NPO)からもらったお金を一度に使い果たしてしまうホームレスもいる。それはお金や家が無く生活する水準を受け入れているからだと思う。私自身も初めの二、三日は生活に馴染めなかったが、路上生活の水準を受け入れてしまえば不自由なく過ごせた。
―行政はホームレスから生活保護への移行を促しています。
ホームレスが生活保護を受け取ることは難しくないと感じる。ただ、これだけ制度を整えても生活保護への移行に抵抗感を示すホームレスは多い。彼らは人の力を借りずに生きるという信念に基づいた行動ではないかと考える。
生活保護へ移行しても、住める部屋が粗悪なことも障壁になっている。審査の関係から住む家が、生活保護受給者の割合が高いことも多々ある。こういった場合、壁が薄いなどトラブルが多いため住居から逃げ出し路上生活にも戻ってしまう。ホームレスの中には、集団生活が苦手な人も多く、「人との距離が近づきすぎない」ホームレス生活を続けているパターンもある。また、ホームレスと生活保護の境界が曖昧になっている人もいる。そういった人は時にはホームレス、時には生活保護というように状況に応じて生活を変えていく。生活保護を受けながら炊き出しに並んだり、ホームレスが生活保護の都営交通の無料券を使うなど、両者の生活が繋がっていることも珍しくない。
―本書の中ではホームレス支援が「性善説」によって成り立つと指摘しています。それによって生活できる「過剰支援」という側面はないでしょうか。
その側面は否定しない。私自身も初めは生活保護を受給しながら、炊き出しに並ぶ行為に疑問を持った。ただ端から見れば過剰支援だから打ち切るべきだというのは違う。今は彼らを非難する立場でも、「いつか自分にも来る」という視点は必要ではないだろうか。自身がホームレスになった際に、支援が多く受けられる可能性を残しておく考え方だ。また個人的ではあるがホームレスも楽しく生きられればいいのではないか。(小林健人)
◇國友公司(くにともこうじ)氏 フリーライター
18年(平30)筑波大学芸術専門学群卒。1992年生まれ、栃木県出身。大学在学中よりライター活動を始め、卒業後フリーライターに。そのほかの著書に『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)。