「死の谷」超えるかiPS細胞、公益財団始動で転機に

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線維芽細胞から樹立したヒトiPS細胞のコロニー(山中教授提供

京都大学iPS細胞研究財団(京都市左京区)が、公益財団法人の認定を受け、本格的に始動した。京都大学iPS細胞研究所(CiRA)が進めてきたiPS細胞(人工多能性幹細胞)の製造や提供、品質評価といった事業を引き継ぐ。企業や大学へ適正な価格でiPS細胞を提供し、実用化に向けた橋渡しを行う。新型コロナウイルスの流行の長期化による研究への影響も懸念される中、公益財団法人としてのスタートは、iPS細胞の事業化に向けた転機となる。(安川結野)

京大iPS研の細胞備蓄継承 大学・企業の応用後押し

iPS細胞が再生医療に初めて用いられたのは2014年。当時、理化学研究所のプロジェクトリーダーだった高橋政代氏が、目の疾患「加齢黄斑変性」の患者へiPS細胞由来の網膜色素上皮細胞を移植した。その後、18年の大阪大学によるiPS細胞由来の心筋細胞移植の臨床研究が認められると、京都大学や慶応義塾大学の臨床研究もこれに続き、再生医療への応用の動きが一気に活発化していった。

iPS細胞を使った再生医療の実用化をより確実なものにするため、CiRAから京都大学iPS細胞研究財団が19年に設立され、4月に公益財団となった。

同財団で理事長を務める山中伸弥京都大学教授は、財団設立の目的を「適正な価格でiPS細胞を提供するため」と説明する。CiRAが進めてきたiPS細胞備蓄事業などを継承し、再生医療や研究に使えるiPS細胞を企業や大学などに低価格で提供する。

iPS細胞はヒトの臓器や組織の細胞に分化することができるが、他人のiPS細胞を分化させて移植に使う場合、細胞上の抗原「ヒト白血球型抗原(HLA)」により、異物と認識されて排除されてしまう。そこで、iPS細胞備蓄事業では健康な人の血液から細胞を集め、免疫拒絶反応が起きにくいHLA型の組み合わせを持つiPS細胞の作製を進めてきた。これにより、日本人の約40%に拒絶反応が起こりにくいiPS細胞を提供することが可能になった。

低コストで開発成果を橋渡し

再生医療などの研究の基盤となるiPS細胞の作製は、企業や大学などが各自で行うとコストがかかり、最終的に再生医療の事業化に大きな障壁となる。例えば米国では、民間企業に年間で数百億円が投資される。

山中教授は2月に都内で開かれたシンポジウムで、「米国のように研究費があるところでは大学の研究成果が民間企業へと橋渡しできるが、多くの国では開発と事業化の間にある『死の谷』で開発が頓挫する」と指摘する。さらに民間企業が多額の研究費を投入して開発するやり方について、「再生医療が高価格化する。患者が使える医療にするためには米国とは違うやり方で進めていく必要がある」と説明する。京都大学iPS細胞研究財団は国の研究費と寄付で運営し、低コストでiPS細胞の提供を続けていく。

新型コロナで研究遅れ警戒

こうした中で、新型コロナ流行が長期化することによる研究への影響も懸念される。慶大医学部内科学(循環器)教室の福田恵一教授らは、心筋梗塞などで心臓の細胞が失われ、心臓の収縮機能が低下した重症心不全患者を対象にiPS細胞由来の心筋細胞5000万個を移植する臨床研究を計画している。すでに厚生労働省の専門会議に計画を提出し、審査を予定する。秋頃の患者への細胞移植を目指す。

福田教授は「現時点で新型コロナは研究の進行に影響を与えていない」とした上で、「流行が長期化すると研究に影響は出てくる」と話す。移植を予定する秋頃まで流行が長期化した場合、医師や看護師などの医療スタッフや、病床を確保できなくなるという問題が浮上する。福田教授は「新型コロナ感染症では肺炎の症状が知られるが、約3分の1の患者に心筋梗塞や劇症型心筋炎といった心臓の症状が生じる。新型コロナ感染症患者が増えれば、循環器の医師も新型コロナの対応が増えるだろう」と説明する。

国の緊急事態宣言時には、慶応義塾大学病院も新型コロナ感染症患者を受け入れるよう東京都から要請がきたという。集中治療室(ICU)での治療を必要とするような重症の新型コロナ感染症患者も受け入れる。

福田教授は「半年後にどのような状況になっているかは分からないので、粛々と研究の準備を進めている」としつつも、「すでに製薬企業の臨床試験の進行に影響が出ている状況。新型コロナの重症患者を受け入れるような病院で、新しい研究を始められる環境が戻るまでには時間がかかる」とし、当面は医学研究そのものが停滞する懸念を示す。

心筋・網膜―移植目指す

一方で、新たな臨床研究も進行中だ。厚労省の専門部会は、緊急事態宣言の影響もあり4月の開催は見送られたが、5月は神戸アイセンター(神戸市中央区)からの新規の研究計画を審査した。

神戸アイセンターの計画は、遺伝子変異が原因で網膜の視細胞が失われていく進行性の眼科疾患「網膜色素変性」の患者に、iPS細胞由来の網膜を移植するもの。5月20日に開かれた専門部会では安全性の確認や患者への説明方法について委員から指摘があったため、審査は継続となった。指摘事項を修正した計画書の再提出後、専門部会で了承されれば研究が開始される。

新型コロナの流行第2波やさらにその次の流行が懸念され、研究を行う医療機関も新型コロナ感染症患者の受け入れを求められる。しかし、再生医療の研究は根本的な治療法がない、または命の危険がある疾患を対象に進んでおり、患者にとっては一日も早い実用化が望まれる医療だ。

新型コロナ流行の長期化を見据え、影響を最小限に抑えながら再生医療実現に向けた研究のあり方が一層重要となる。困難な状況の中でいかに研究を進めるかが、これからの課題となりそうだ。

日刊工業新聞2020年6月4日

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