ノーベル経済学賞が日本の温暖化対策を動かし始めた!
17年の行動経済学、18年の炭素税
2017年、18年のノーベル経済学賞に選ばれた科学者の研究が、日本の気候変動対策をめぐる議論に影響を与え始めた。18年受賞の米エール大学のウィリアム・ノードハウス教授が提唱した「炭素税」は、導入に向けた議論が進行中だ。17年受賞の米シカゴ大学のリチャード・セイラー教授の行動経済学は、家庭の省エネに生かそうと実証が進む。ノーベル賞につながった研究が日本の温暖化対策の強化になるか注目だ。
リコーや富士通などが参加する日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)は11月末、50年の二酸化炭素(CO2)排出量ゼロを求める提言を公表し、「カーボンプライシング(CP、炭素の価格付け)」の導入を訴えた。海外では企業がCP導入を要請することがあるが、日本では異例のことだ。
CPは、CO2排出量に応じて課税する「炭素税」と、排出量の上限を超えた企業が排出枠を購入して超過分を埋め合わせる「排出量取引」が代表的だ。いずれもCO2の排出がコストとなるため、これまで日本企業は導入に反対してきた。
JCLPは温暖化対策に積極的な企業で組織されている。リコーなどのほか、イオンやLIXILなども含め90社が参加する。CP導入を求めた理由の一つが、省エネ機器の市場を創出することだ。CPによるコスト負担増を避けたい企業が省エネ型設備への更新を急ぐことになり、最新の省エネ技術を持つ企業には商機になる。
現在、中央環境審議会(環境相の諮問機関)の小委員会でCP導入が議論されている。委員である石田建一JCLP共同代表(積水ハウス常務執行役員)は、「脱炭素化の推進を日本がやらなければ、日本企業が国際的なサプライチェーンから外されてしまう。再生可能エネルギーなどの脱炭素インフラを日本に導入しやすくするためにも、CPは重要」と発言した。
CO2排出量ゼロを目指す脱炭素は先進国では世界的な潮流といえる。石炭火力の増設計画がある日本は“環境後進国”との批判も受けており、日本企業のイメージダウンにもつながりかねない。
同じ小委員会の委員を務める早稲田大学の有村俊秀教授は、「企業側の賛同はこれまでとの違いだ」と驚きを隠せない。CPの議論の歴史は長い。前回は09年、民主党政権主導で盛り上がったが、当時は産業界が導入に反対で足並みをそろえ、頓挫した。
さらに先行事例をベースにメリット、デメリットを具体的に議論できるのも以前との大きな違いだ。欧州連合(EU)は05年、域内で排出量取引制度をスタート。東京都も10年、大規模事業所を対象に排出量取引制度を開始し、韓国や中国にも広がった。小委員会の資料によると、4月時点で45カ国と25地域がCPを導入している。
また東京都では、10年度から14年度にかけて対象事業所の全排出量が25%減少し、目標の6―8%減を上回る成果を上げることに成功した。産業界には、「経済活動の足を引っ張る」という意見も根強いが、環境省の示した海外調査によれば、フランス、ドイツとも排出量取引による経済への悪影響は確認されなかった。
一方で、日本の地球温暖化対策税やエネルギー関連税などが炭素税に当たるという主張もある。ただ、OECD(経済協力開発機構)は日本の産業部門の炭素税をCO21トン当たり4ユーロ(約520円)としている。ドイツの24ユーロ、韓国の21ユーロと差が大きく、日本の炭素税は海外からは低いと見られている。
有村教授は、「炭素税の税収を地方へと分配し、防災や自然災害対策に使ってはどうか」と提案する。地域に資金が回り、地方創生にもつながる。
政府内では官邸主導で日本の温暖化対策の長期戦略が議論されている。19年6月に日本で開催する20カ国・地域首脳会議(G20)までにまとめる方針で、CP導入が盛り込まれるかが焦点の一つだ。ノードハウス教授が炭素税を提唱してから40年、日本のCPをめぐる議論に終止符が打たれるかもしれない。
行動経済学は、人間の心理面も分析する経済学。感情や思い込みなど非合理的な要素が商品選択に与えるような影響を研究する。
温暖化対策に行動経済学を活用しようと環境省は、官民連携プロジェクトチーム「日本版ナッジ・ユニット」を発足した。ナッジ(nudge)とは「そっと後押し」という意味。10月に都内で講演したセイラー教授は、「強制せずに行動を変えること」とナッジを説明した。
環境省は、情報発信による“後押し”で人間の行動を省エネ型に変容する実証事業を展開している。住環境計画研究所(東京都千代田区)は日本オラクルの実証グループに参加し、ガスや電気の使用量リポートを郵送するナッジに取り組む。
リポートは同じ契約メニューの世帯と比べて自分の使用量が多いのか、少ないのかが一目でわかる。多ければ省エネをしようという動機付けになる。
リポートは10カ国でサービスを提供するの米オラクルの様式に習った。A4用紙1枚で余白が多く、大事なポイントは色をつけている。住環境計画研究所の鶴崎敬大所長は、「行動経済学の知見だ」と説明する。
17年12月―18年3月に30万世帯対して送付し、1・2―2%の省エネ効果が出た。省エネ成果はまだ少ないように見えるが、「悪くはない」(鶴崎所長)。省エネ意識が高い人は、働きかけがなくてもCO2削減を心がけている。郵送で無関心層にまで行動変容を後押しした成果が大きい。
また、CO2削減効果は3カ月で5000トンと推計する。1000世帯以上の年間CO2排出量に相当しており、費用対効果としても悪くなさそうだ。
セイラー教授は、「ナッジの効果は長続きする」と語っており、省エネ行動の定着が期待できる。ノーベル賞受賞の研究が温暖化対策の後押しとなれば、日本は環境先進国として再浮上できる。
(文=編集委員・松木喬)
炭素税/最新技術持つ企業に商機
リコーや富士通などが参加する日本気候リーダーズ・パートナーシップ(JCLP)は11月末、50年の二酸化炭素(CO2)排出量ゼロを求める提言を公表し、「カーボンプライシング(CP、炭素の価格付け)」の導入を訴えた。海外では企業がCP導入を要請することがあるが、日本では異例のことだ。
CPは、CO2排出量に応じて課税する「炭素税」と、排出量の上限を超えた企業が排出枠を購入して超過分を埋め合わせる「排出量取引」が代表的だ。いずれもCO2の排出がコストとなるため、これまで日本企業は導入に反対してきた。
JCLPは温暖化対策に積極的な企業で組織されている。リコーなどのほか、イオンやLIXILなども含め90社が参加する。CP導入を求めた理由の一つが、省エネ機器の市場を創出することだ。CPによるコスト負担増を避けたい企業が省エネ型設備への更新を急ぐことになり、最新の省エネ技術を持つ企業には商機になる。
現在、中央環境審議会(環境相の諮問機関)の小委員会でCP導入が議論されている。委員である石田建一JCLP共同代表(積水ハウス常務執行役員)は、「脱炭素化の推進を日本がやらなければ、日本企業が国際的なサプライチェーンから外されてしまう。再生可能エネルギーなどの脱炭素インフラを日本に導入しやすくするためにも、CPは重要」と発言した。
脱炭素は世界的潮流、価格付けが焦点に
CO2排出量ゼロを目指す脱炭素は先進国では世界的な潮流といえる。石炭火力の増設計画がある日本は“環境後進国”との批判も受けており、日本企業のイメージダウンにもつながりかねない。
同じ小委員会の委員を務める早稲田大学の有村俊秀教授は、「企業側の賛同はこれまでとの違いだ」と驚きを隠せない。CPの議論の歴史は長い。前回は09年、民主党政権主導で盛り上がったが、当時は産業界が導入に反対で足並みをそろえ、頓挫した。
さらに先行事例をベースにメリット、デメリットを具体的に議論できるのも以前との大きな違いだ。欧州連合(EU)は05年、域内で排出量取引制度をスタート。東京都も10年、大規模事業所を対象に排出量取引制度を開始し、韓国や中国にも広がった。小委員会の資料によると、4月時点で45カ国と25地域がCPを導入している。
また東京都では、10年度から14年度にかけて対象事業所の全排出量が25%減少し、目標の6―8%減を上回る成果を上げることに成功した。産業界には、「経済活動の足を引っ張る」という意見も根強いが、環境省の示した海外調査によれば、フランス、ドイツとも排出量取引による経済への悪影響は確認されなかった。
一方で、日本の地球温暖化対策税やエネルギー関連税などが炭素税に当たるという主張もある。ただ、OECD(経済協力開発機構)は日本の産業部門の炭素税をCO21トン当たり4ユーロ(約520円)としている。ドイツの24ユーロ、韓国の21ユーロと差が大きく、日本の炭素税は海外からは低いと見られている。
有村教授は、「炭素税の税収を地方へと分配し、防災や自然災害対策に使ってはどうか」と提案する。地域に資金が回り、地方創生にもつながる。
政府内では官邸主導で日本の温暖化対策の長期戦略が議論されている。19年6月に日本で開催する20カ国・地域首脳会議(G20)までにまとめる方針で、CP導入が盛り込まれるかが焦点の一つだ。ノードハウス教授が炭素税を提唱してから40年、日本のCPをめぐる議論に終止符が打たれるかもしれない。
行動経済学 省エネ行動を強制せず“後押し”
行動経済学は、人間の心理面も分析する経済学。感情や思い込みなど非合理的な要素が商品選択に与えるような影響を研究する。
温暖化対策に行動経済学を活用しようと環境省は、官民連携プロジェクトチーム「日本版ナッジ・ユニット」を発足した。ナッジ(nudge)とは「そっと後押し」という意味。10月に都内で講演したセイラー教授は、「強制せずに行動を変えること」とナッジを説明した。
環境省は、情報発信による“後押し”で人間の行動を省エネ型に変容する実証事業を展開している。住環境計画研究所(東京都千代田区)は日本オラクルの実証グループに参加し、ガスや電気の使用量リポートを郵送するナッジに取り組む。
リポートは同じ契約メニューの世帯と比べて自分の使用量が多いのか、少ないのかが一目でわかる。多ければ省エネをしようという動機付けになる。
リポートは10カ国でサービスを提供するの米オラクルの様式に習った。A4用紙1枚で余白が多く、大事なポイントは色をつけている。住環境計画研究所の鶴崎敬大所長は、「行動経済学の知見だ」と説明する。
17年12月―18年3月に30万世帯対して送付し、1・2―2%の省エネ効果が出た。省エネ成果はまだ少ないように見えるが、「悪くはない」(鶴崎所長)。省エネ意識が高い人は、働きかけがなくてもCO2削減を心がけている。郵送で無関心層にまで行動変容を後押しした成果が大きい。
また、CO2削減効果は3カ月で5000トンと推計する。1000世帯以上の年間CO2排出量に相当しており、費用対効果としても悪くなさそうだ。
セイラー教授は、「ナッジの効果は長続きする」と語っており、省エネ行動の定着が期待できる。ノーベル賞受賞の研究が温暖化対策の後押しとなれば、日本は環境先進国として再浮上できる。
(文=編集委員・松木喬)
日刊工業新聞2018年12月14日掲載