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まさに乾坤一擲の初代「CX-5」、鋼板に隠されたマツダ復活の刻印

「モノ造り革新」全社に
まさに乾坤一擲の初代「CX-5」、鋼板に隠されたマツダ復活の刻印

初代「CX-5」と当時の山内孝社長

2008年のリーマン・ショックとそれに続く超円高で、マツダの経営はまたも厳しい局面を迎え、12年3月期まで4年連続の当期赤字計上を余儀なくされた。リーマン・ショックの影響で経営が悪化した米フォードモーターがマツダ株を手放し、後ろ盾を失う中で、マツダは2度の公募増資を実施。エンジンの性能向上を核とする自動車技術「スカイアクティブ・テクノロジー」の開発費を捻出した。

12年2月に発売した初代「CX―5」は、同技術を全面的に搭載した初の車。12年3月期決算での営業赤字転落と財務内容の悪化が見えてくる中、経営再建策を盛り込んだ「構造改革プラン」を発表した直後にCX―5は売り出され、その後すぐ、2度目の公募増資と劣後ローンを組み合わせた2142億円の資金調達が発表された。まさに乾坤一擲(けんこんいってき)の1台だったのである。

発売時期こそ崖っぷちだったとはいえ、CX―5のモノづくりには永年の蓄積がつぎ込まれている。「フォード傘下時代も含めフレキシブルなモノづくりの技術を磨き続けた。最終的に花開いたのが『CX―5』」と、生産部門を率いた元役員は総括する。

CX―5が従来のモノづくりと違うのは、生産部門と開発部門が手を携え、設計の見直しにまで踏み込んで、モノづくりをしやすい構造を考えるようになったことだ。この全社的な取り組みを「モノ造り革新」と呼ぶ。

鋼板の歩留まり向上策が好例。車体サイドの外板など、大きなプレス部品を打った後の残材は、以前ならスクラップにしていた。CX―5では残材になる部分でほかのプレス部品を作るようにした。車体後部の骨格材のように、それまで一体で作っていたのを分割し、残材など最適な鋼板を組み合わせ作れるようにした例もある。

通常ならば外板と骨格部品は個別に設計され、同じ鋼板を使う発想にならない。「どの鋼板をどの部品に使い、どうやって一つの金型にまとめるか。初期から開発と生産の人間が話をできていないと、実現できない」と菖蒲田清孝取締役専務執行役員は話す。

エンジンの機械加工も進化した。専用機による大量生産から汎用機への切り替えは、初代「アテンザ」のエンジンで実現した。モノ造り革新ではさらにエンジンブロックの基準穴を共通化し、多様なエンジンを同じラインで作れるようにした。

マツダの営業利益・経常利益は16年3月期に過去最高を記録。CX―5は経営危機からの復活を見事に先導した。

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日刊工業新聞2020年1月28日

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