世界最速記録でマツダを救った5代目「ファミリア」、その恩恵を最も受けたクルマとは?

大量生産技術の集大成、4代目「カペラ」にも

修復を終えた5代目「ファミリア」

山陽新幹線が博多まで延伸し、広島東洋カープが初優勝した1975年(昭50)。広島の町の明るさとは対照的に、東洋工業(現マツダ)は暗く沈んでいた。73年のオイルショックを受けて燃費の悪いロータリーエンジン搭載車の在庫が積み上がり、業績悪化の最中にあったからだ。社員を販社に出向させてセールスに当たらせる「オール・マツダ(AM)作戦」も始まった。 そんな暗さを吹き飛ばす“救世主”となったのが80年発売の5代目「ファミリア」。合計約200万台を売り上げる当時過去最大のヒットとなった。70年代、競合各社が前輪駆動(FF)の小型ハッチバックを発売して売れ筋商品となる中で、東洋工業のFF化は遅れていた。本来なら77年の4代目ファミリアでFF化すべきところ、業績悪化で先送りされた形だった。 それがこの5代目で満を持してFFの専用プラットフォーム(車台)を開発。エンジンも馬力や環境性能を高めた新型を投入した。競合車を徹底的にベンチマークし、FF車の弱点を改良。前席がフルフラット化し、広くなった車内には長いサーフボードを積めるなど、若者のニーズを捉えた。現在につながる主査制度も導入。開発を率いる主査の責任と権限を明確にしたことで、一本筋の通った製品開発が可能になったという。 その売れ行きはめざましく、生産台数は最も多い時に月間5万1165台にのぼった。生産開始から27カ月後に累計生産台数100万台に到達、当時の世界最速記録だった。 設立100周年記念のレストアプロジェクトに加わった柳真二さんは、東洋工業入社直後の工場実習で、このファミリアばかりラインを流れていたと振り返る。「残業、休出が続いてタクトも早く大変な思いをした」という。生産面では大量の受注をこなせるよう他の車種を切り出していった。エンジン部品の機械加工では、大量生産に向いたトランスファーマシンを81年に導入した。 さらに82年、東洋工業は山口県防府市で防府西浦(第1)工場を稼働。FFに移行した4代目「カペラ」を生産したが、この工場には5代目ファミリアの成功体験が生かされた。溶接と塗装にロボットを大量導入。エンジン工場でも「当時の大量生産技術を集大成した」(マツダ技術技能史より)月産5万台の新ラインが宇品西地区で稼働した。 5代目ファミリアとそれに続くカペラは、大量生産のメリットを享受できた幸せな時代だった。 <5代目ファミリアの概要> ●全長×全幅×全高=3955×1630×1375mm ●車両重量=765―820kg ●乗車定員=5人 ●駆動方式=フロントエンジン・フロントドライブ ●エンジン=水冷直列4気筒OHC、排気量1296cc「E3型」または排気量1490cc「E5型」 ●最高出力=74馬力(E3型)または85馬力(E5型) ●変速機=4速または5速手動変速機 ●総生産台数=約200万台 <関連記事>

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