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ビジネスパーソンに必要なデザインの要素は「判断力」 身に付けるには?

【特集】歩み寄るデザインとビジネス #7 デザインを学ぶ
ビジネスパーソンに必要なデザインの要素は「判断力」 身に付けるには?

(写真提供:OFFICE HALO)

企業の競争力やブランド価値の確立にデザインの重要性が強調される中、「デザインを学びたい」というニーズが高まっている。自身が制作物をつくるためのノウハウではなく、デザイナーと仕事をする際のコミュニケーションや制作物をコントロールするヒントを求める人も多い。
 ビジネスに携わるデザインの力は、色やかたちの話にとどまらない。専門家に求められる役割も変化しつつある。では、どのような知見がビジネスパーソンの仕事に結びついていくのか。デザインとビジネス、双方の担当者が抱える課題はなにか。社会人を対象としたデザイン教育を行う「WEデザインスクール」主宰のOFFICE HALO稲葉裕美代表取締役に話を伺った。(聞き手・濱中望実)

“0→1”と“1→10”の力

−− ビジネスにおけるデザインのニーズが高まった背景は。
 社会課題の複雑化が関係しています。現代は生活や技術の水準が高まり、品質のよいものや革新的な技術が多くの人にとって身近になってきました。少し前までの時代のように、技術革新や価格競争では大きな差別化が難しくなっている状況にあります。その環境下で、人々の感性に響くサービスの提供や製品価値の確立にデザインの力が求められています。

−− 具体的にデザインのどのような要素がビジネスに役立つのでしょうか。
 デザインの力には大きく分けてふたつの要素があります。ビジョンやアイデアを発想する“0→1”の力と、発想をサービスや製品の形に落とし込んでいく“1→10”の力です。前者は新規事業や企画のコンセプト策定に役立ち、後者は商品開発やデザイナーとのコミュニケーションをアップデートすると捉えるとわかりやすいです。

−− 社会人向けにデザインの講座をひらく狙いは。
 従来のデザイン教育は、「専門家になりたい人を養成する高等教育」と、「自由な表現活動を重視する義務教育の中の美術」が中心でした。社会人に向けた学び場は、まだほとんど作られていないのが実情です。それが「デザインはセンス」「感性の問題」という先入観につながり、社会の中で課題になっています。
 WEデザインスクールでは、ビジネスパーソンがデザインを理解し、自身の仕事や事業に取り入れていくことを軸にプログラムを開発しています。生活の身近な要素に結びつけながらデザインを学ぶ機会は、今まで課題になってきた先入観の変革にもつながっていくと考えます。

−− 受講者の傾向やニーズの変遷は。
 2016年に開講し、受講者数は累計1万人ほどになりました。新しいアイデアのヒントを求める企画部門の方、自社製品や企業の価値をもっと伝えていきたい営業職の方など、業界・業種を問わずたくさんの方が「デザインを知りたい」と参加されています。
 コロナ禍の現在ではオンラインでのワークショップも実施していますが、遠方に住む方やこれまでは忙しくて通う時間がなかったという方の参加も増え、受講者の幅は一層広がっています。

座学やワークショップの様子(コロナ禍以前に撮影、写真提供:OFFICE HALO)
 

イメージを共有するスキル

−− デザインとビジネスが関わる中で現場に起きている課題は。
 いわゆる「クライアント(発注者)」の立場でデザインに関わる人の多くが、アイデアを具体的な形に落とし込む“1→10”のコントロールを苦手としています。自分が持っているイメージが制作の実務を担う相手にうまく伝わらず、コンセプトと成果物がちぐはぐになってしまう経験がある人は多いのではないでしょうか。
 作り手側もビジネスに対する理解の姿勢がなかったり、色やかたちの意図について説明が欠けていたりすると、一方通行のやりとりに陥りやすいです。
 本来は依頼する人・つくる人の両者が気兼ねなく不明点を解消し合える関係が理想的ですが、お互いに「聞いてもいいのかな」「知らないと恥ずかしいことかもしれない」と相手に壁をつくってしまう点も課題のひとつです。

−− これらの課題を解決するためには。
 実際に手を動かす立場でなくても、色やかたちが持つ基礎的な意味を理解していれば、多くの人が課題に感じる「“1→10”におけるデザインの判断」に説得力がつきます。また、デザインや造形の理論を学ぶ体験そのものが、“0→1”の過程で発想したものを他者に共有するスキルに通じていきます。講座では、デザインの理由や成り立ちを分解し、明確な言葉にし、共有するプログラムを通して「デザインリテラシー(デザインの意味や理論を理解し、かたちにする上で正確な判断ができる力)」の教育に取り組んでいます。
 また、ビジネスの現場で本質的に求められているのは「デザイナーの得意分野やアウトプットの質を見極め、コントロールする力」です。WEデザインスクールはデザインリテラシーの教育に加え、デザイナーを適切にアサインできたり、企画や事業の出発点として自身がビジョンやアイデアを作り出したりできる「クリエイティブリーダー」の創出を目指しています。

クリエイティブリーダーの概念図(提供:OFFICE HALO)

−− ビジネスにおける「成果を上げる」期待と、デザインの根底にある「モノづくりのよろこび」にはギャップも感じられます。
 たしかに「ビジネスで勝つ」「競争力につながる」といった意図とデザインのすべての要素が結びつくとは限りません。一方で、生活するための収入を得て、ご飯を食べていくための活動は誰にとっても重要な営みです。本質的にビジネスとデザインの力を結びつけていく上では、経済的な成果を上げるための視点と、自分自身が前向きで豊かに生活をしていくための視点、両方を持つことが大切です。
 講座の受講者の多くは、ビジネスに通じる学びを求めると同時に「自分の個人的なよろこびを取り戻したい」という希望を持っています。自分が幸せで楽しい状態でないと、よいデザインは見えてきません。講座で伝える内容には、ビジネスで勝つための要点だけでなく、1人ひとりが前向きで豊かな気持ちになる体験の重要性も強調しています。

デザインが競争力に

−− ビジネスとの関わりを億劫に感じているデザイナーもいます。
 デザイン業界が受注・発注の取引中心という背景もあり、ビジネスにおいて弱い立場にあった経験を持つデザイナーも多いかもしれません。ただ、ビジネスパーソンに向けた本が増えたり、政策提言が発表されたりと、社会全体でデザインに取り組む環境は着実に整ってきています。これは、デザイナーや業界にとって理解者が増え、ビジネスに根付いていた課題を解決に向かわせていけるチャンスです。
 デザインがビジネスの競争力として重視される時代の中で、目的が見えてこない、投げやりなモノづくりをしても、企業が生き残っていくのは難しいです。「今は平気」と思えていても、よりよいデザインを持った強豪が現れたときにどうなるか、客観的に危機感を伝えることで目の前の状況も変わってくると思います。

講座のワークショップの様子(コロナ禍以前に撮影、写真提供:OFFICE HALO)

−− ビジネスパーソンとデザインパーソンがコミュニケーションする際のヒントは。
 まず、両者がお互いに歩み寄る姿勢(他者理解)が大切です。どうすれば協業しやすいか、わからないことは怖がらずに質問しあうことも将来的な信頼につながります。実際の制作プロセスでは、コンセプト文や参考写真など「共通言語」があると、より解像度の高い状態でお互いの視点が共有できます。
 立場や組織を越えて直接意見を交わすのが難しいときは、第三者を交えてお互いの考えを整理するのも有効です。

−− ビジネスパーソンがデザインの解像度を上げるには。
 デザイン分野は基本となるOS、つまり理解の方法が異なるので、自己流で学ぶと混乱する人がとても多いです。ですから、最初は専門家から一定期間学ぶことがおすすめです。
 日々でできることとしては、デザインに関する展示を見たり、有名なデザイナーを調べたり「世界にはどんなデザインがあるのか」をインプットし、まずは好きなものを見つけてみましょう。その中で、何が評価されているのか、自分にとってはどんな印象かを考えていくと、批評眼が育ちます。よいデザインを知る体験と合わせて、自分の好きなデザインに気付くことで、今まで以上にデザインは身近な存在になっていきます。

稲葉裕美氏
稲葉裕美
 教育イノベーター。OFFICE HALO代表取締役。2016年に武蔵野美術大学デザイン・ラウンジと協同で日本初のビジネスリーダー向けのデザイン学校「WEデザインスクール」を開校。デザイン、アート、表現領域のアカデミックな方法論を融合させ、社会人のクリエイティビティや感性を育成する教育メソッドを生み出す。企業、大学、自治体等で幅広く教育プロジェクトを展開。
濱中望実
濱中望実 Hamanaka Nozomi デジタルメディア局コンテンツサービス部
外国語を勉強しようとするとき、最初にアルファベットや発音を学ぶように、色彩や書体、レイアウトなどの基礎を学ぶことはデザインの理解を深めるステップです。よいデザインを知り、リテラシーを身に付ける姿勢は、日常で出会うサービスやプロダクトの解像度を高めていきます。好きな作品や気になるデザインがあったら、その色やかたちに込められた意図や制作プロセスを調べてみると、より一層デザインの世界が身近に感じられるのではないでしょうか。

特集・連載情報

歩み寄るデザインとビジネス
歩み寄るデザインとビジネス
企業内にデザインに関する組織ができたり、ブランドやサービス開発の基盤づくりにデザイナーが参画したりする動きが広がっている。ビジネス開発の初期段階からデザイン視点を取り入れ、成功している例も増加。デザイナーでなくともデザイン視点を持つことの重要性が高まっている。
デザインを軸に、さまざまな部署の人が関わりながらビジネスを展開するには、どのようなコミュニケーションが必要か。

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