「情報銀行」の“裏のボス”大日本印刷を突き動かしたCRMの限界

連載・個人データは誰のモノ #02

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大日本印刷は「第3の創業」に向けて情報銀行ビジネスを注力事業に位置づける

「『情報銀行』のキープレーヤーは大日本印刷(DNP)。彼らが“裏のボス”としてその周辺の企業や有識者たちとともに政府と連携を図り、制度設計を動かしてきた」―。情報銀行ビジネスに意欲を示すある企業のトップはそうささやく。情報銀行はプロフィールや位置情報、購買履歴といった個人データを預かり適切な同意の下で外部企業に仲介し、利活用を促す事業だ。その事業性を検証する実証は相次ぐが、レピュテーションリスク(企業の評判が落ちるリスク)などを懸念して個人データの活用に二の足を踏む企業も多い。その中にあってDNPは前のめりの姿勢を崩さず、けん引役としての自負を見せる。

DNPは祖業である印刷事業への逆風やIT技術の進化といった事業環境の変化の中で「第3の創業」を模索しており、注力事業の一つに情報銀行を位置づける。第三者機関による認定制度も整備され、いよいよ「情報銀行ビジネス」の〝山〟を登り始めた。個人データを適切に管理し、企業に仲介する情報銀行ビジネスと、その事業のために必要なシステムを企業に提供するという二つの事業によって2025年に売上高350億円の達成を目指す。

その〝山〟はかつて誰もいない場所からうっすら遠くに見えていただけだった。そこから麓にたどり着き、登り始められた背景には2人のキーパーソンの存在がある。(取材・葭本隆太)

※取材は3月9日に行いました。

「VRM」に大きな可能性を感じた

「VRM(ベンダー関係管理)という仕組みがあるらしい。事業の可能性を検討したらどうだ」。DNPコミュニケーション開発本部情報銀行事業推進ユニットの勝島史恵副ユニット長がそんな指示を受けたのは、新しい生活者情報を活用した事業開発などを行っていた13年だった。VRMはこれまで企業が管理していた個人データを個人に戻し、生活者自らが管理・活用する考え方。まだビジネスの芽になるかどうかも分からない状態だったが、「新しいことに取り組みたい」という意欲が勝島副ユニット長を動かした。CRM(顧客関係管理)を活用したコンサルティングも手がけており、その知見が生かせるとも考えた。

VRM:生活者自身がパーソナルデータを管理し、自身のパーソナルデータの所在・流通状況の可視化やコントロール機能を保持する。そのデータを提供するサービス事業者も生活者自身が選択する。

そもそもDNPは当時、CRM事業に課題意識を持っていた。システム投資に対する効果が限定的だったからだ。情報銀行事業のもう1人のけん引役となったDNPコミュニケーション開発本部の井上貴雄本部長は「(CRMは)例えば1億―2億円を(システムに)投資して効果は売り上げが100万円上がる程度(というケースもある)。個社のサービスの範囲でデータを取得・管理・分析し、個社のサービスの中だけで活用するCRMでは限界がある。VRMこそ効果的な企業活動を実現する考え方では、という仮説が検討の入り口になった」と振り返る。

そうした背景の下で研究を始めた勝島副ユニット長はやがてVRMの大きな可能性に行き着く。

「個人にデータを返すことで生まれてから現在までの情報をすべて一元的に管理できるようになる。そのデータの魅力は大きい。単にビールを買った人にビールを勧めるといった瞬間的なマーケティングだけでなく、医療やヘルスケア、地域などに関わる社会課題に一石を投じる手法になると考えた」(勝島副ユニット長)。

大日本印刷の勝島史恵副ユニット長

具体的には、毎日の食事や身体の変化といったデータの分析による個々人に最適化した健康管理のほか、地域の人々や観光客の行動データを分析することによって観光資源を発見したり住民の困りごとを発見したりでき、よりよい地域が実現できると見込んだ。

井上本部長はその頃、生活者の情報を直接活用した新規事業を構想する部署を所管していた。VRMの可能性に行き着いた勝島副ユニット長がその部署に異動したことで、取り組みは加速する。

ファクトの積み重ねで動かした

政府と深く関わる契機は、経済産業省の実証事業だ。訪日外国人旅行消費額の拡大に向けて観光客のデータに基づくサービスの可能性を検証した。15年から研究会で議論を積み上げ、16―17年度に実証した。DNPは15年5月にマイナンバーの民間活用に関するアイデアについて政府から意見聴取を受けており、そこでVRMの考え方を披露した縁で実証事業に参加した。観光客本人の同意の下で事前に宿泊先住所や使用言語、アレルギー情報などを登録すると、多様な事業者がそのデータに基に接客やサービスを提供するというVRMの思想に基づく設計を取り入れた。

この実証を機に、VRMの思想に基づく具体的なデータの管理方法などについて政府での議論が進むことになる。勝島副ユニット長らも参加した政府の検討会では、VRMの「生活者自らがデータを管理・活用する」という考え方をベースに、生活者とデータを利活用する企業を仲介する「情報銀行」の有効性が指摘された。17年6月に閣議決定された「未来投資戦略」では個人データの利活用を加速する取り組みとしてその実証が盛り込まれた。さらに、18年12月には総務省と経産省の検討会を通してスキームを設計した情報銀行の認定制度が日本IT団体連盟により創設された。

こうした政府との動きはDNP社内の風向きも変えた。

「(VRMや情報銀行の思想である)個人が主体的にデータを管理・活用する時代がくるとは思えない人は当然いる。経営層が最初から諸手を挙げて賛成とはならない。その中で経産省との実証事業など一つひとつのファクトを着実に積み上げることで、我々の取り組みが正しいということを組織に植え付けてきた。(今では)経営層からの支援を受けている」(井上本部長)

高い山だからこそ可能性は大きい

情報銀行をめぐっては制度整備が進み、DNP社内にも追い風が吹く。ただ、市場の熱が高まったとは言えない。個人が主体的にデータを活用する未来の到来に懐疑的な声はあるし、個人データの活用に距離を置く企業も少なくない。また現在、情報銀行の実証事業が相次ぐが、それぞれ小さなサービスの範囲での実証にとどまる。DNPは個人が多種多様なデータを信頼できる場所に資産として一元的に預けることで、よりよい情報やサービスが受けられる将来を描いており、登ろうとする山はとても高い。

大日本印刷の井上貴雄本部長

その中で、まず取りかかるべきは生活者のデータ活用意欲を高めることだ。そのためにはデータを利活用する企業が、データ提供の対価として魅力的なサービスを生活者に提供できるかにかかっている。それは情報銀行ビジネスに挑む企業が最も頭を悩ませるテーマであり、他社との競争領域でもある。

DNPは情報銀行を積極的に推進してきたため、一緒に事業を構築したいという依頼が多く届く強みを持つ。現状で約20社が関心を示しているという。20年度にはそうした企業と共に2―3つを事業化する。例えば産経新聞とはシニア層を対象として、産経新聞の会員基盤などを基に属性や趣味・嗜好などのデータを蓄積し、生活者の余暇の充実などに資する情報や製品、サービスを提供する。21年度に100万人規模の事業展開を目指す。

産経新聞社と大日本印刷が展開する情報銀行サービスのイメージ図

情報銀行ビジネスへの本格的な挑戦を前にして勝島副ユニット長は「ここからなのに息切れしないようにしないと」と笑う。その言葉を引き取って井上本部長が力を込める。

「(情報銀行ビジネスという〝山〟の)麓にたどり着いた今、登る山はこれほど大きいのだと分かった。低い山ならがっかりしている。山は高ければ高いほど(頂上にたどり着いたときに得られる)メリットは大きい」。

【連載・個人データは誰のモノ―情報銀行の可能性―】

個人データを預かり、本人同意の下で企業に仲介する「情報銀行」というビジネスが立ち上がろうとしています。そのビジネスが開く可能性がある未来と、数多くの課題を追いました。新型コロナの脅威においてデータをどう生かすべきかを考えた番外編(#00)も是非お読みください。

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COMMENT

葭本隆太
デジタルメディア局
ニュースイッチ編集長

情報銀行の認定制度を運営する日本IT団体連盟の情報銀行推進委員会において、本文登場の井上本部長は委員長を、勝島副ユニット長は普及促進分科会長を務めます。これだけを見てもDNPが情報銀行ビジネスの下地作りをけん引したことがうかがえます。これからは「データ提供の対価となる個人にとって魅力的なサービスの開発」という競争領域の挑戦が本格化します。その領域で市場をけん引できるのかDNPにとっての本当の勝負になります。

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