8年かけ、東北を1000km超歩いた記録を自費出版。込められた思いとは
青森県八戸市から、福島県相馬市まで約1000キロメートルを歩く、「みちのく潮風トレイル」。環境省契約職員の藤代尚子さんは、この道を8年かけて踏破した。そこで出会った人々との交流や歩いた風景を、筆名「居酒屋くろいねこ」としてまとめたのが「潮風ふわり」(自費出版、ECサイトなどで販売)。トレイルを通じて震災後に復興していく町の様子や、被災者の心情がつながっていく一冊だ。藤代さんがこの本に込めた思いを聞いた。 (取材・松木喬、構成・昆梓紗)
東北の良さを知ってもらうために
―「潮風ふわり」というタイトルの理由は。
トレイルに関して、ゆるく楽しいものを描きたいと思ったんです。もともと私のブログのタイトルなのですが、アウトドア系のブログって難易度の高いものに挑戦したり、機材をたくさん揃えたり、というものが多くて。私はトレイルを競争や我慢大会ではなく、地元の方々や子供たちにも気軽に体験してもらいたいと思っています。やさしく柔らかい内容を心掛けて、「ふわり」と名付けました。
また本書のテーマでもある「みちのく潮風トレイル」にちなんだ「潮風」には、震災の被害があった東北沿岸部に新しい前向きな風、癒しの風を届けたい、という気持ちも込めています。
―みちのく潮風トレイルを歩き始めようと思ったきっかけを教えてください。
もともと旅行が好きで、鉄道関連の職に就く親戚が多かったこともあり、鉄道関連の仕事を10年以上続けていました。ただ、キャリアを積むごとに関わっている地域と離れて行ってしまう感覚がありました。東北新幹線のアテンダントをしていた時期があったのですが、東京と東北間を一日何往復もするのに、好きな地域を毎日すごい速さで通り過ぎてしまっていて…。車窓から見える景色の中を自分の足で歩いてみたい、とずっと思っていました。
8年前、青森県内のトレイルルートが開通したことを知り、歩いてみることにしました。とはいえ、最初は踏破することは考えていませんでしたが。
―そこから、なぜ踏破を目指すことになったのでしょうか。
最初のトレイルで岩手県のある宿泊施設に泊まった時、そこは敷地内に仮設住宅が400棟あまり並んでいたのですが、早朝にジョギングをしている方を見かけて。真冬の耳が痛くなるほどの寒さの中、白い息を吐きながら走っていたんです。
私のふるさとは福島県浪江町です。実家は原発事故によって避難を余儀なくされました。古く広いおうちから、狭く隣近所が近い仮設住宅に移ったことによるストレスで体調を崩し、あまり出歩かないことで肥満や腰痛になる避難者が増えていました。生きているからこそ辛いことも、たくさんあるんですよね。
そんな状況の中で、自分を律してコツコツと走っている人がいる。体型は引き締まっていて、毎日ジョギングを継続していることが窺えました。
そこから私も、「続ける」ことをメインに、トレイルを歩き始めました。「頑張って成し遂げる」ためではなく、東北の良さを知ってもらうため、ゆっくり、歩き続けることにしたんです。(結果的に)8年かけて東北の道を歩いて、それを記録してきたので、私の目を通した東北の町々の定点観測のような本が出来上がりました。
―トレイルのことを本にしようと思ったのはなぜですか。
はじめは自分の記録用でスタートしました。でも、トレイルでたくさんの地元の方とお会いして話を伺っている中で、「残そうとしなければ残らない」と実感しました。震災の記録は多くありますが、事実の記録のみで心情は残りません。エピソードも、目立つものしか取り上げられません。被災地ではみんなが被災者であり、その体験を誰にも聞きとられないまま、自分の中だけで抱えている人も多くいます。トレイルの中で出会った方々が話してくれる体験を、気持ちに配慮しつつも記録したいと思いました。
また、被災した実家を取り壊す際に家財の整理をしたのですが、先祖の古い記録でも紙に残っているものはしっかりと読めたんです。ブログはいつサービスが終了するか分からない。紙に残したい、と思い、自費出版を決めました。
―トレイルでは、地元の方々が初対面の藤代さんに声をかけて町を案内してくれたり、時にはお土産をくれたりと温かな交流が多いことに驚きました。
温かな方が多いです。ある時、歩いていたらトラックが追いかけてきたので、何かと思ったら道中ご挨拶した漁師さんで、塩漬けにした昆布を5キログラムくらい渡されて、「持ってけ」と(笑)
トレイルではマナーとして、地元で出会う方に必ず挨拶し、トレイルで歩いていることを一言伝えています。初めは自分のことをどう説明するか難しいと思っていましたが、共通点として、福島県出身であること、仕事でよく東北に来ていたことを話すと自然と心の距離が近くなると感じました。
地元の方々は、震災からは学んでほしいけれど、自分たちの生活は見世物ではない、と考えています。本書に登場する漁師さんたちのように、特に高齢の方は、この地域で海と山と共生してきた人が多く、これからも同じように生活していきたいという思いが強いと感じました。
―地元の方々の交流を通じて、藤代さんご自身の震災を通じた体験や心情が書き込まれているシーンが印象深かったです。
たくさんの方とお話していく中で、「人の心の強さって何だろう」と考えるようになりました。震災では、家財などのモノだけでなく、人間関係も失われます。生き残ってもそれらの喪失から立ち直れず、心を病み、自ら命を絶つ知人もいました。逆に、震災をバネにして新しいビジネスを始めて成功される方もいます。心の強さは素質なのか、経験なのか、それとも、置かれた環境次第なのでしょうか…。
復興と、変化を見つめて
―同じ東北といえども、トレイルの道が多様な点が意外でした。また、長い時間かけて歩いていることも相まって、被害も復興度合いも違うことが浮かび上がっています。
沿岸部は大きく新しい道が作られていることが多いですが、町による復興計画の違いなどが表れています。防波堤だけ作られている地域もあれば、町ごと高台に移動したところも。
一方、山道は昔のまま踏み固められてきた道で、震災直後の風景も今の風景もほとんど変わっていません。昔ながらの家が同じように立ち並び、生活が営まれています。
―宮城県気仙沼市との橋が開通する日に気仙沼大島に歩いた章では、「変化することへの不安」についても描かれていますね。
復興はしていく必要があると思いますが、本当に地元の方々が求めているものなのか、という点に疑問を持つこともあります。復興に対し前向きな気持ちで一所懸命に取り組んできた結果だとはわかっているのですが。
特に新しくできた町では、いわゆる「箱もの」が多く作られていることが気になりました。作ったはいいけれど、その後利用が続いていくのでしょうか。また、復興工事や事業によって人の往来が多かったけれど、それが終わると賑わいが消えてしまったという町についても書いています。
私は地元で、原子力発電所建設時には多くの工事関係者が移住してきて一時賑わいを見せていた地域が、工事終了後に次第に廃墟だらけになってしまった姿を見てきました。同じことが繰り返されるのではないか、という不安があります。
また、人口減少は震災前から続いてきた問題でもあります。(町づくりを)続けることの難しさを感じます。
―8年間東北に通ってきて、地域の見え方に変化はありましたか。
東京と東北を30往復くらいして、身近な存在になりました。その中で、「田舎は田舎のままで残っていけたらいいな」と思いました。過疎が進むのでもなく、どんどん開発が進むでもなく、そこで続いてきた生活を大切にするというか。これからの東北の行方についても自分の目で見ていきたいなと思います。
―歩いていて一番きつかったのはどの場所ですか。
4日で90キロメートル歩いた場所です。公共交通機関がなく途中で引き返せず、ルートから宿までさらに10キロメートルくらい離れている場所もありました。他にも、腰の高さくらいまである雪の中歩いていて靴がびしょ濡れになってしまって、途中で急いでホームセンターで農作業用の長靴を買ってしのいたこともありました。
―「みちのく潮風トレイル」で好きな場所は。
私は見栄えが良い所というより静かな里山が好きなので、南三陸町が好きです。
トレイルは今まで100~200人くらいの方々が踏破しているようです。海外からも歩きに来る方がいます。山や海沿い、街中、手掘りの隧道など、いろいろな景色が楽しめるのが魅力です。