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「相手の立場で考える」ことの真価とは?資生堂・魚谷雅彦社長が学んだ哲学。


日本を代表するプロ経営者の一人だ。振り出しはライオン。ライオンを世界の会社にする―。入社直後から志は高かった。初任地大阪で泥臭い営業に明け暮れる傍ら、社内の留学制度を使って海外で研さんを積む夢を持ち続けた。しかし、次第に目の前の仕事とやりたいことのギャップに苛まれる。時宜を得て当時顧問の酒井具之氏に心の内をぶつけた。

「思い切って『辞めたい』と言った。怒られると思ったが、返ってきた言葉は違った。『君の言っていることは分かる。とにかく1年、目の前の仕事に打ち込んでみてはどうか』と」

自分の立場に立って意見を受け止めてくれたことで、胸のつかえが下りた。これ以降がむしゃらに働いた。得意先の卸業の社長に「君の今の仕事ぶりは『一球入魂』だ」と言われ感激した。仕事はさらにはかどった。そのかいあってか、入社3年あまりで念願のMBA留学の切符を手にした。この時の留学経験が、後にグローバル企業の主要ポストを担うグローバル人材のベースとなった。

「酒井さんや得意先の言葉がなければ今の私はない。相手の立場に立って考えることの価値を学んだ。巡り合いを大切にし、人の意見をきちんと聞くことが人生の基本となっている」

この基本は資生堂社長としての経営スタイルとなった。営業や店頭のビューティーコンサルタントと同じ目線で接し、現場の意見を引き出すよう心掛ける。従業員に対しても持ち前のユーモアで場を和ますようにしている。高校時代には落語研究会に所属、笑福亭仁鶴氏のレコードを毎日聞いて練習した。人を笑わせるのが好きだ。

「日頃から従業員や取引先と接点を持ち、コミュニケーションできるようトップ自身が工夫しないといけない。現場には経営のヒントが山ほどある」

コカ・コーラ米本社の元CEO(最高経営責任者)ネビル・イズデル氏の薫陶も受けた。同氏は業績不振にあった04年、CEOに就任。世界各地の拠点から意見を吸い上げ業績回復に導いた。

「米国企業はトップダウンになりがちだが、人の意見をよく聞く人で日本法人の私との面談にも時間を割いてくれた。(たたき上げで)現場目線だった。イズデル氏の経営スタイルに共感した」

プロ経営者としての軸となる現場目線を、コカ・コーラ時代でも胸に刻んでいた。(編集委員・池田勝敏)

【略歴】
77年(昭52)同志社大文卒、ライオン歯磨(現ライオン)入社。91年クラフト・ジャパン(現モンデリーズ・ジャパン)副社長。94年日本コカ・コーラ取締役、01年社長、06年会長。14年資生堂社長。奈良県出身、67歳。
日刊工業新聞2021年7月20日

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