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日産、17年目のゴーン離れ

社長・CEO退任。ゴーン氏は何を残しこれから何をするのか

ゴーン流「理想と現実」


 日産自動車はどこへ向かおうとしているのか―。米ゼネラル・モーターズ(GM)と提携し、世界一の自動車グループを目指そうとする「NISSAN」。一方、国内に目を移すと、不振にあえぐ新車販売や旧系列の部品会社が苦悩する「日産」の現実が見えてくる。1999年、経営再建を使命に来日したカルロス・ゴーンは、瞬く間にスター経営者になった。そのカリスマ性が放つ光がまぶしいほど、コントラストも鮮明になる。
 
 日産とルノーの社長を兼務するようになった昨年春以降、ゴーンは毎月の第3週を日本で過ごし、残りはフランスのルノー本社や全世界の生産・販売拠点をプライベートジェット機で飛び回るのが日常になった。

 9月27日。パリで行われたGM会長、リック・ワゴナーとの2回目のトップ会談。交渉不調が伝えられる中、ゴーンは「3社の提携は自動車業界にとって正しい方向だ」と依然、強い意欲をにじませた。

 2日前にさかのぼる。日本では日産が保有する日産ディーゼル工業の全株式をスウェーデンのボルボに売却すると発表した。ボルボは今年3月、日産ディ株13%分を取得。その時の会見でゴーンは「99年当時、(日産ディを)売ろうにも相手に金銭の支払いを求められた」と振り返った。
 
 資産価値を高め売却益を手にするゴーン改革の真骨頂だ。しかし日産主導で進んだ提携話に、日産ディ社長の仲村巌に笑顔はなかった。それでもゴーンは「日産はトラックメーカーになるつもりはない」と意に介さない。
                

 ゴーンは結果を得るためなら困難な決断もためらわない。100万台の増販を目標にした「日産180」(2005年9月末終了)。同計画策定に深くかかわった日産の元幹部は「80万台程度が今の実力。反動が出る」と進言したが、ゴーンは取り合わなかったという。計画はやり遂げた。そこからは彼の飽くなき“成長への渇望”が感じられる。

 GMとの交渉が決裂した場合、次は米フォードモーターが相手になるとの観測も浮上する。ゴーンは合理主義者として知られるが、「巨大提携に動くゴーンさんの真意を日本人の幹部は測りかねている」(日産関係者)という声も聞こえる。

 「1億台。この数字に歴史の重みを感じている」―。9月13日。横浜工場内で開かれたグローバル生産1億台の記念式典で、最高執行責任者(COO)の志賀俊之は歴代の名車「ダットサン」のパレードをみながらいつになく上機嫌だった。式典には多くのサプライヤーも参加。協力会「日翔会」の会長を務めるニッパツ社長の天木武彦は「いろんなことがあったが、ウイン―ウインの関係を築きたい」とエールを送った。

 8月は恒例の都市対抗野球の季節。宿敵トヨタ自動車との対戦では、日翔会の専用席に、志賀と共同会長の小枝至が並んで座り応援する光景がみられた。点が入るごとに大声援が沸き起こる風景からは、古き良き日産の姿も残る。

 しかし“日産”の現実はそう甘くはない。日本プラストなど旧日産系部品メーカーの他社系列入りが相次いでいる。トリム専業の河西工業は、資本関係はなくなったがまだ日産向けの仕事が6割ある。遅々と進まない日産のタイの増産計画に投資を迷っていたが、このほど進出を決断した。社長の渡邊邦幸は、日産の労務担当常務からの転出組だが、「今後はトヨタやホンダの仕事を増やしたい」と話す。

 国内販売はより悲壮感が漂う。ある有力販社の社長は今年に入って日産本社に駆け込み、小枝らに直談判した。「表層だけの数字で評価しないで欲しい。現場はもっとウェットな世界だ」―。

 今年の株主総会でのこと。ゴーン社長の経営手腕をたたえる意見が大半を占める中、「日本の経営陣の顔が見えない」という厳しい質問も飛んだ。変わらぬ“ゴーン依存症”。株主や投資家も「NISSAN」と「日産」のギャップを感じ取っている。

<次ぎのページ、トヨタ躍進への焦り>

明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
2つの連載から、日産とルノーの軌跡を考えるきっかけになれば。 すぐに大きな権力移行はないだろうが、大きな節目であることは間違いない。ルノー、日産、三菱自の意思決定を1人で迅速に行うのは事実上不可能。ルノー・日産の2社アライアンスでさえ、度々ノッキングを起こしていた。日産とルノーの資本関係は変わることなく、三菱自がその中に入ったことで一体化がさらに進むだろう。ルノーのポストが保証されるなら、ゴーン氏はより自動車業界の大きな変革をとらえた動きをするのではないか。まだまだサプライズはありそう。

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