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2055年に売上高10兆円を夢見る大和ハウスの「過去」「現在」「未来」

なぜ強いのか?「真っ先に役職者のやる気を挙げたい」(樋口会長)
2055年に売上高10兆円を夢見る大和ハウスの「過去」「現在」「未来」

「できれば20年前倒しで達成したい」と樋口会長


先を読む経営


 親を大切にせず大成する人は少ないと思う。大和ハウス工業でいえば“親”は創業者の故・石橋信夫であり、基礎を築いた創業者あっての大和ハウスだ。戦争で脊髄を損傷後も部下のため戦地に戻り、ソ連(現ロシア)に捕まり抑留された。今の時代と比べると人並みはずれた苦労をしている。

 私は創業者が亡くなる前に毎月、石川県羽咋(はくい)市にある自宅へ見舞いに行き、先を読む経営や目標の達成を繰り返し指示された。100周年に売上高10兆円の夢を私に託したのも創業者だ。どのように達成するのかと問われた時、「今よりもっと多くの人材が必要です」と答えた。創業者も「その通りや!」と同意してくれた。そこで2008年には「大和ハウス塾」を開き、グループの将来を担う幹部の選抜と育成を始めた。今では塾から数多くのグループ会社トップが育っている。

 社長には20年前倒しして10兆円を目指せと発破をかけている。これはと思う幹部には特にしんどい仕事をさせて、能力を見極めている。私は36歳で支店長になり、創業者と話ができる立場になった。それから赤字の支店や子会社のトップをやらされ苦労したが、一策尽きても二策、三策とあきらめずに手を打ち黒字に転じた。

 今思えばよい経験で、創業者は私を試していたようだ。務まらなかったらそれまで、と見限ったに違いない。それぐらいの腹でないと、大和ハウスほどのごっつい会社を任せる後継者選びはできなかったと思う。

基本は「凡事徹底」


 経営者として基本になる「凡事徹底」も創業者から学んだ。凡事とは親を大切にする、顧客第一に考える、公平公正に努めるといった当たり前のことで、何も難しくない。創業者をおろそかにして「おれがトップだ」と威張ると、経営はおかしくなる。私は創業者亡き後の“一番バッター”として、凡事徹底の精神で時代の変化に合わせた事業を見つけ、育てていくのが責務だ。

 若いころは独立する夢もあった。福岡支店長の時代には懇意となった顧客から「私財の30億円を預けるから、それを元手に事業を起こしなさい」と誘われた。しかし創業者の姿を見ていた私は、自分がこんなに早く出世できたのは自分一人の力でなく、上司の引きや部下の支えがあったからだと、考え直した。

 「世話になった会社に後ろ足で砂をかけて出て行くことはできない」と誘いを断ったが、その翌年から2回も病気で入院してしまった。もしあの時独立していたら、すぐに会社をつぶしていただろう。人生に運は付きものだが、考え方が正しくないと運も付いてこない。

 新たな事業を起こすためM&A(合併・買収)もするが、乗っ取るようなまねをしないのも当たり前のことだ。買収したゼネコンのフジタもマンションのコスモスイニシアも、経営者は入れ替えていない。コスモスイニシアの社長は「大和ハウスグループに入ると、銀行の方から金を借りて欲しいと頼んできた」ととても喜んでいた。

 そういう気持ちでグループのため働いてくれることが大切で、買収する側もされる側もメリットがある。大和ハウスはまだ“2兆5500億円程度”の会社だ。創業者が夢みた10兆円の4分の1にすぎない。私もまだまだ“青春時代”。まったくしんどくないといえばうそになるが、使命のためがんばらなければならない。

≪編集後記≫
 樋口会長兼CEOと初めて面談した経営者らの多くは「おかげで元気がわきました!」と、喜んで帰るという。平易な言葉でチャンスはいくらでもあるとネアカに語りかける樋口さんに、企業経営に悩む多くの人々が勇気づけられるようだ。

 イニシャルでスローガンを創り出すのも巧み。関連会社の社長時代は“SANAGI(さなぎ)からの出発”で意識改革した。Sは「スピーディーに」、Aは「明るく」、Nは「逃げずに」、Aは「あきらめずに」、Gは「ごまかさずに」、Iは「言い訳をせず」。SANAGIから脱皮し、大和ハウスはさらに成長を目指す。
(文=田井茂)
※内容は当時のもの

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明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
大和ハウスはエリーパワーやサイバーダインに出資するなどベンチャー投資にも積極的。サラリーマンの経営者の中でも樋口会長のカリスマ性は際立つ。3年近く前のインタビューだが現在もまったく色あせていない。10兆円にはグローバルで戦えるサービスや商品が必要か。

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