三菱自動車が10年前に誓った再生への決意はどこに
「数字を達成しても企業文化が変わらないと意味がない」(益子修)
益子社長インタビュー「数字を達成しても企業文化が変わらないと意味がない」
「逃げるわけにはいかない。これも巡り合わせだろう」と自ら言い聞かせて三菱自動車の再建に乗り出した益子修社長。ブランド失墜、未曾有の経営難からの脱却を託された再生元年だったが、どうにか最初のハードルはクリアした。この1年の評価と今後の舵(かじ)取りを益子社長に聞いた。
―再生計画がスタートしてちょうど1年を経過しました。
「あっという間の1年だったというのが率直な感想。予定通りだったのは国内外で複数の新型車を投入できたこと。予想外だったのは原油高だ。米国を中心に市場環境が悪化したことは想定できなかった。業績は、まずは堅実なスタートを切れたが、安心感は抱いていない。今こそ気を引き締めていく時。手綱を緩めるつもりは一切ない」
―リコール問題で消沈していた社内の空気は変わりましたか。
「昨年10月に発売した『アウトランダー』が計画を上回るペースで売れているので販売、生産ともに現場は活気づいている。社内でも前向きな話題が増えており、雰囲気は大きく変わってきた」
「今は”次なる三菱自“を描くための助走期間。しかし成果も出していかねばならない。足元の数字を上げていくためには、在庫管理やキャッシュフロー、債権回収にもっと神経をつかっていかないといけない。そういった意識は社員一人ひとりに植え付けられ始めたと感じている」
―役員会も変わったと聞きます。
「一昨年はリコール問題に加え資金繰りなどが重なり、その場その場の対応に終始した感がある。本来の経営のあり方を議論するより、火の粉を振り払うのが精いっぱいで、前経営陣は気の毒だったと思う。現在はいろいろな問題を机上に載せ、皆で意見をぶつけ合い、コンセンサスを得ている状況だ」
―ダイムラークライスラー(DC)から三菱グループに経営権が移りました。結局は”三菱頼み“という構図は、依然として変わらないような気がしますが。
「人材面、資金面、そしてクルマを購入してくれる顧客という意味ではその通り。しかし三菱重工業や三菱商事、三菱東京UFJ銀行に自動車の生産・開発・販売という面で助けてもらえるかというと、そうではない。結局は自分たちでやるしかないし、実際三菱自が独自に手掛けている」
「資本的なつながりや株主への営業報告と、会社のマネジメントは別問題。有形無形の支援を受けていることは理解しているが、経営は完全に自立している。そうでないと会社はもたない」
―何をもって再生完了と見なしますか。
「まず05年度の計画を達成すること。06、07年度の計画は今年度の土台の上にある。07年度の『黒字定着』でこのプランは役割を終えるが、会社はそれ以降も存続する。今後必要なのは、永続する企業としてのグラウンドデザインを描くことだ。単なる数値だけでなく、会社の体質や体力、文化、風土まで踏み込んで方向性を打ち出したい。数字は達成したが企業文化は変わっていないでは意味はない」
(敬称略)
※内容、肩書きは当時のもの