ニュースイッチ

三菱自動車が10年前に誓った再生への決意はどこに

「数字を達成しても企業文化が変わらないと意味がない」(益子修)
三菱自動車が10年前に誓った再生への決意はどこに

05年1月28日に経営計画を発表する益子社長(中央)と西岡会長(右)


漂う厭世観からの脱却


 04年の夏。三菱自動車の営業部隊の士気は下がりきっていた。

 再び発覚した大量のリコール隠し。販売店に足を運ぶ客のほとんどはリコールに伴う修理や相談ばかり。おわび行脚の毎日で、新車を売るどころではなかった。リコール発覚直後の7月、三菱自の販売台数(登録台数)は前年に比べ6割減の4700台にとどまった。

 経営不振に陥った企業では、社員のうっせきした思いはプラスの方向には向かわないものだ。こうした事態を引き起こした“犯人捜し”ばかりに関心が集まり、現場サイドからはこんな声すら聞こえ始めた。「トヨタから人を連れて来て、売ってもらえばいい」。厭世(えんせい)観ばかりが広がった。

 あれから1年半。三菱自の営業は息を吹き返しつつある。

 国内の新車販売台数は05年6月から連続7カ月前年実績を上回るペースで推移。特に10月に発売した新型スポーツ多目的車「アウトランダー」は、年明けの現在でも納車は「1カ月待ち」の状態だ。三菱自は今期の国内販売計画を3000台上方修正、25万6000台に再設定している。

 復活の要因はなにか。常務の張不二夫は説明する。「販売店の社員が本来の仕事ができるようになってきた。要はクレーム処理ではなく前向きな商売」。リコール隠しでユーザーに生じた“三菱アレルギー”が、時の経過とともに薄まっていることも一因だが、「営業担当者は物事をポジティブに考えるようになった」(張)。アウトランダーというけん引役を得て、三菱自はようやく普通の自動車メーカーの姿を取り戻しつつある。

 久々のヒットで意気上がる三菱自だが、真の復活にはまだまだ道半ば。リコール発覚前の03年実績に比べれば、依然4割減という水準にすぎない。販売を加速するには“次の一手”がどうしても必要になる。

軽自動車「i(アイ)」が復活の目玉


 三菱自が第2の刺客として24日に投入するのが軽自動車「i(アイ)」だ。新しいエンジン、車体の中心にエンジンを配置し室内空間の最大化を狙うMRボディーの採用、そして130万円を超える値段設定など、まったく新しいコンセプトをふんだんに盛り込んだ新型車。

 昨年11月に開いた販売会社向け事前説明会での評価も上々だ。しかし、社長の益子修は「非常に楽しみだが正直なところ不安。心配がないといえばうそになる」と吐露する。

 「三菱自にとって失敗は許されない。トヨタさんのように仮に1車種当たらなくてもよい、といったわけにはいかない」という経営者としての危機感の表れでもあるが、一方で既存の軽自動車の枠組みを果たして打破できるかという不安もよぎる。

 「従来の軽自動車を意識して開発したクルマではない。軽の領域を脱している」(益子)。メーカーが自社の技術におぼれるばかりに、市場のニーズとかけ離れ、ヒットがおぼつかないケースは少なくない。メーカーの自己満足と顧客ニーズは必ずしも一致しない。

 国内販売が回復基調にある中、果たしてアイは快走するか。三菱自は壮大な、そして失敗が許されない実験に乗り出した。

「水島」と「岡崎」のコントラスト


 供給過剰と供給不足が一つの会社に同居する―。再生を目指すならば、こんな“矛盾”をいち早く是正すべきところだが、三菱自動車は矛盾を抱え込むことで逆に利点を見いだしている。

 水島灘に臨む三菱自動車水島製作所(岡山県倉敷市)。三菱自の基幹工場である同製作所は、ネコの手も借りたいほど繁忙を極めている。05年10月に投入したスポーツ多目的車「アウトランダー」が予想を大幅に上回る販売を記録しているほか、24日発売の新型軽自動車「i(アイ)」の生産はまさに最盛期。加えてロシアなど欧州向け輸出では「ランサー」が好調だ。

 昨年の1月には稼働率を向上させるため、日産自動車向けに軽自動車のOEM(相手先ブランド)供給を決めた三菱自だが、現在は完全に供給不足に陥る。05年度の水島製作所の生産台数は53万台に達する見通しで、リコール発覚前の03年度実績を3万台程度上回る水準に回復する。

 稼働率がほぼ100%に達した水島に対し、岡崎工場(愛知県岡崎市)やパジェロ製造(岐阜県坂祝町)は深刻だ。両工場とも稼働率は7割程度といわれており、「全体で見ればまだまだ供給過剰状態」(社長の益子修)が続いている。設備・組み立て産業である自動車は、そう簡単に生産車種を変えることはできない。今の三菱自には量産性より信頼性を優先せざるを得ない事情もある。

 この1年、三菱自は意図的に矛盾を放置した感がある。その象徴が岡崎工場。「第一次再建計画」では06年度までに閉鎖することが決まっていた同工場だが、水島製作所が過稼働になるにつれて、岡崎工場の位置づけが微妙に変化する。

 閉鎖する岡崎から水島に生産を移管すれば、新型車の増産対応は難しいからだ。「閉鎖」は「延期」に姿を変え、今では「存続」を前提に今後の生産計画が練られている。

 結果的には再建計画の実行にブレが生じたことが三菱自に幸いする。計画通り閉鎖作業が進んでいれば、売りたくても商品を作れないという“チャンスロス(販売機会の喪失)”に陥った可能性は高い。

矛盾の是正に動き始める


 「岡崎閉鎖を延期した判断は正しかった。(岡崎から水島に)生産移管したうえでアウトランダーの生産が始まっていたら現場は混乱し、品質面で万全の体制を採れなかったかも知れない」(益子)。三菱自には、なんとも皮肉な結果だ。

 一時的には救われた格好の三菱自だが、ようやく矛盾の是正に動き始めた。現在策定中の07年度以降の生産・開発計画では車種の生産ラインの移管も検討されている。06年度に投入する「新型デリカ」は、現行車を生産する水島製作所からパジェロ製造に移管する計画だ。「他の工場でサポートしてくれるニーズが今後高まるかも知れない」(副社長の春日井霹)。

 「新たな企業アイデンティティーを策定する時期を迎えた」と会長の西岡喬は語る。新しい企業像を打ち出すうえで、矛盾を内包し続けることはもはや許されない。岡崎工場の位置づけや延期されている京都への本社移転問題などを含め、三菱自は改めて明確な方向性を打ち出す必要性に迫られている。

明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
益子社長のインタビューの最後の部分。「単なる数値だけでなく、会社の体質や体力、文化、風土まで踏み込んで方向性を打ち出したい。数字は達成したが企業文化は変わっていないでは意味はない」。 今も会長兼CEOとして経営トップの座にある益子氏。自動車担当の記者時代に何度も取材し会った。今回の問題発覚後、公の場に出てきていなが、改めて聞きたい。どこでボタンを掛け違えたのか。個人的には、やはり最初の三菱グループの支援体制からそもそもボタンを掛け違えていたと考える。すべてグループ3社のそれぞれの思惑の中で事が動き、経営のスピード感も自立心も失っていった。

編集部のおすすめ