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「サンシャイン計画」発足50年…日本はなぜ世界の再エネ市場で後れを取ったのか

「サンシャイン計画」発足50年…日本はなぜ世界の再エネ市場で後れを取ったのか

桑野氏が自宅屋根に設置した住宅用太陽電池

1974年、日本初の大型国家プロジェクトが始動した。石油に頼らないエネルギーの安定確保を目指した「サンシャイン計画」だ。2000年までの26年間は、現在の新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)がプロジェクトを推進。世界に先駆けて太陽光発電技術を実用化し産業を生み出すなどの成果を上げた。しかしその後、日本は世界の再生可能エネルギー市場で後れを取った。何が課題だったのか。エネルギーの安定供給と転換がより一層重要な脱炭素時代。発足から50年の節目を迎えた同計画が、大きなヒントになり得る。(編集委員・政年佐貴恵)

産業化の視点、技術開発に必須

サンシャイン計画のきっかけとされるのが、計画開始前年の1973年10月に勃発した第四次中東戦争によって起きたオイルショックだ。しかしNEDOの山田宏之新エネルギー部長は「それは誤解。その前からエネルギーの安定供給に対する危機感があった」と解説する。

当時の通商産業省(現経済産業省)は、73年春頃には統計などから日本における石油依存度の上昇といったリスクを認識。8月に同省工業技術院が計画の基本骨格を立案していた。オイルショックは、計画を推し進める一つの要因に過ぎない。

サンシャイン計画の基本方針は、エネルギーの長期安定確保の重要性を踏まえた上で「74年から2000年までの長期間、新エネルギー技術の研究開発を推進し、数十年後のエネルギー需要の相当部分をまかなうクリーンなエネルギーを供給することを目標とする」と定められた。主なテーマは太陽エネルギー、地熱エネルギー、水素エネルギー、石炭の液化・ガス化の四つ。これに加えて風力やバイオマスといった次世代エネルギーの探索も進められた。多くが現代にも通じる技術だ。

その後、1978年に省エネ技術をテーマとした「ムーンライト計画」が発足し、80年に計画の推進機関としてNEDOが設立。93年に両計画が統合されて「ニューサンシャイン計画」となるなどの改組を経て、事業は2000年まで実施された。

燃料電池技術、地熱での熱源の探査技術確立と発電事業など数々の実績はあるが、最大の成果は太陽光発電だ。NEDOの山田部長は「太陽光発電を世界に普及拡大させた点で、日本は大きな役割を担った」と話す。

サシャイン計画では当時1ワット当たり数万円の太陽電池製造コストを、00年に同100円まで下げるロードマップを設定。低コスト化できるアモルファスシリコン太陽電池の開発や、世界に先駆けた量産技術、高効率化などを実現した。

太陽光発電、世界に普及も… 次世代電池に知見生かす

1992年には業界が働きかけ、太陽光発電による余剰電力を電力会社が買い取る制度ができた。これを受けて同年7月に日本で初めて住宅用太陽電池を自宅に設置したのが、三洋電機元社長で自身もサンシャイン計画に参加していた桑野幸徳氏だ。桑野氏は「発電効率10%をテーブル大の実用的な大きさのモジュールで達成できた。これなら一般的な住宅の屋根1面分に設置することで、家庭の電気をまかなうだけの発電ができる」と、当時を振り返り説明する。

94年には一般住宅への助成制度もでき、太陽光発電の導入量と生産量は飛躍的に上昇。環境省の資料によれば、日本は99年に太陽電池生産シェアで世界首位に。以降、48・2%のシェアを占めた2005年まで世界首位を維持していたが、その後、中国の台頭で日本の太陽光パネル産業は凋落(ちょうらく)する。

日本初の国家プロジェクトがもたらしたものは何だったのか。桑野氏は「今の太陽光発電の社会を実現するには、国の力が必要だった」との認識を示す。自宅への太陽光パネル設置の最大の障壁は、規制だった。発電所としての申請が必要だったほか、電気主任技術者による常時監視や電力会社の系統から遮断する特別な装置の設置などが必須だった。「このままでは一般家庭に普及しない」と考えた桑野氏は、運用実績なども根拠に国に働きかけた。結果、1年程度のスピードで規制緩和を実現。後の普及につながった。

一方、パネル産業の衰退については「当時の計画はあくまでも技術開発が主目的で、産業育成まではやらず民間任せだった」(桑野氏)。国家戦略として産業育成に取り組む中国に対し、個別企業の力では対抗しきれなかった。

こうした当時の知見や経験は、現在の戦略に生かされている。例えばNEDOは戦略に産業育成の視点も盛り込んだ。次世代太陽電池では、薄型軽量を実現できる「ペロブスカイト太陽電池」に集中投資し、研究開発から産業化までトータルで支援する方針を掲げる。さらに「太陽光パネルのリサイクルなど、サンシャイン計画の知見をもとに課題を先取りした上で先手を打っていく」(NEDOの山田部長)。将来、高まるニーズからさかのぼって技術を確立し、産業につなげる。

めまぐるしく変わる社会情勢に合わせて支援期間や対象技術、予算配分といったプロジェクトを見直すサイクルを高め、機動的な運営体制も整ってきた。脱炭素を機に社会変革が迫られる今、国家プロジェクトの意義が、あらためて注目される。

インタビュー:三洋電機元社長・桑野幸徳氏/社会変革伴う指針の提示を

国家プロジェクトの役割や意義とは何か。三洋電機元社長で80年にサンシャイン計画に参画した桑野氏に聞いた。

―サンシャイン計画をどう評価しますか。
「ある意味で成功した。特に太陽光発電は皆が無理だと言っていた製造コスト目標を実現できた。国家プロジェクトとして正しいテーマと将来像を描けていた」

―しかし最終的に太陽光パネル産業は中国に敗北しました。
「技術や製品力ではなく国家戦略を産業競争力とする動きが出始め、特に2010年以降は強まっていたが、日本は理解が遅かった。ただ昨今の半導体政策などから、経産省も転換しているように見える」

―早期の成果を求める社会風潮も影響しているのでは。
「米国式経営の広がりに伴い、政策も経営者も視野が短期的になってしまった部分がある。今は技術開発がものすごく難しい時代。日本の経営者は長期ビジョンで経営することを再度考えるべきだ」

―国家プロジェクトの役割とは。
「エネルギーや環境など、特に社会変革を伴う政策では国家プロジェクトがしっかりしないといけない。民間では、20年もかかるような長期の技術開発は難しい。社会性や法規制の変革など全てを含んだビジョンを提示して技術開発を行い、産業政策までつなげるべきだ。そのためには予算が必要だが『投資した分は社会に還元されるんだ』という点もしっかり示すべきだろう」

日刊工業新聞 2024年01月24日

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