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「転換契約」進む…論文オープンアクセス、日本の課題は理解不足?

「転換契約」進む…論文オープンアクセス、日本の課題は理解不足?

東工大は理工系研究大学としてOAをリードする(図書館)

多様な人が研究成果を活用できる「オープンアクセス」(OA)に向けて、大学と世界的な論文雑誌の出版社の間で「転換契約」が進みだした。雑誌の「購読料」と、他の場での発信も可能な「掲載料」という、二つのサービス・費用による仕組みだ。伝統的な出版ビジネスや研究者評価に影響があり、先進大学の取り組みから国を挙げての戦略に変わりつつある。サービスの利用者、提供者、そして一般社会の賛同が得られるよう注視が必要だ。(編集委員・山本佳世子)

若手研究者の支援急務

学術論文は研究者(著者)が研究成果を原稿にまとめ、出版社の論文雑誌に投稿し、専門家の査読によって品質を吟味されて受理となる。元々は印刷された論文雑誌が大学などの図書館に並び、所属の研究者が閲覧・引用していた。現在はオンラインで読む電子ジャーナルが大半だ。

有力雑誌への掲載は研究者の評価を高めるため、ブランドがある出版社は力が強く値上げがしやすい。近年は「エルゼビア」「シュプリンガーネイチャー」「ワイリー」の3社で世界の半分超という寡占化で、数十年にわたる高騰が続いていた。

一方、ウェブの進展で、論文に仕上がる前の「プレプリント」を各分野の学術コミュニティーのサーバなどで発表する手法が登場。新型コロナウイルス感染症の研究成果発信で、厳密性より速報性が重視される現象も起きた。そんな中で注目されるのが転換契約だ。

転換契約は出版社に対して「大学図書館などが払ってきた購読料」を、「論文を無料で社会発信することを認める、研究者側が払うOA出版料(論文掲載料、APC)」へ転換するものだ。現状の二つのニーズと費用に対し、出版社は「転換契約を結べば大学・研究者合計の価格を低く設定する」というメリットを示し、ビジネスモデルを変えつつある。

日本での転換契約は2022年のワイリーが最初で18大学が動く。次いで23年からシュプリンガーネイチャーが10大学と実施する。まとめ役を担ってきた自然科学研究機構の小泉周特任教授は、共同研究の中心人物が若手で経費が不足し、共著者ながら約70万円のAPCを負担した経験が実際にあるという。「重要なのは日本の研究を広く世界に見せることだ。その時に若手研究者をどのように支援するか考えてほしい」と強調している。

東北大・東工大、試行錯誤

転換契約をする大学において、研究者個人に任せていたAPCの負担方法はそれぞれだ。東北大学は22年4月の開始時に「著者はAPCの半額を負担」としたところ、活用は研究費が豊富な理系のベテラン研究者に偏り、支援枠が余ってしまった。総合大学ゆえ文系への配慮も必要だと振り返り、公平かつ若手支援を強めたルールに9月から切り替える。大隅典子図書館長は「複雑化した知のインフラをどうしたら支えられるのか、皆で考えて協力しなくてはいけない」と指摘する。

理工系総合大学の先進モデル、東京工業大学は大手2社の他、米国化学会(ACS)など計8社・学会と転換契約を実施する。APCは研究者負担ゼロを試みた後、23年度から1本6万円など(学生が筆頭著者ならゼロ)と変更した。両大学とも試行錯誤だ。

東工大は理工系大学らしく「OAで研究成果の利活用が自由になり新たな学術、産業、イノベーションが生まれてくる」(研究・産学連携本部の茂出木理子特命専門員)と前向きだ。同時に森川淳子図書館長は「日本の研究者は論文コストを気にするが、図書館システムはよく知らないまま。各大学任せでは格差が生じてしまう」と、日本全体のありようにも気を配っている。

転換契約でアクセス増 シュプリンガーネイチャー分析

シュプリンガーネイチャー・ジャパンは契約10大学の最初の実績、23年1―5月の出版論文を分析した。その結果、OA論文245本のダウンロード件数は1本当たり平均719件。従来型の非OA論文135本はダウンロード件数が同112件で、ダウンロードを試みたが購読契約していないなどで拒否された分の同300件を合わせると、同412件だった。つまり検索サイトなどから、購読契約をしていない企業や官公庁、メディアがアクセスするケースが転換契約により増え、平均で約1・7倍(実際のダウンロード件数で約6・4倍)になることが分かった。

同社の世界的な調査とほぼ同様で、これによりメディアや会員制交流サイト(SNS)での発信、政策文書での活用などにつながるという。アントワーン・ブーケ社長は「論文へのアクセス数が増えるだけでなく、社会インパクトが高まる点が重要だ」とみている。

日本政府は長らく、論文誌の価格問題や転換契約に腰が重かった。内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)がOAの議論を始めたのは、先進7カ国(G7)開催をにらむ22年秋からだった。

OAの理念は「公的資金による研究成果は論文もデータも、だれもが無料で目にして活用できる」というものだ。この意識が重なり政府はG7後、「政府の競争的研究費の成果の論文は、25年度新規公募分から即時OA」と、一気に現状の先を行く方針を公表。現在、国を挙げて大手出版社と交渉する体制を整備しつつある。

政府、大学、出版社の関わり方は複雑だ。国の研究者評価が、論文掲載雑誌の権威や、被引用度など出版社のデータに依存していること自体が、問題だという声もある。研究に関わる誰もが関心を寄せ、走りながら日本の最適解を探ることが求められそうだ。

日刊工業新聞 2023年08月16日
山本佳世子
山本佳世子 Yamamoto Kayoko 編集局科学技術部 論説委員兼編集委員
論文OAにおける日本の課題は、東京工大の森川淳子図書館長が述べているように、「現場研究者の理解が進んでいない」ことが大きい。それどころか他の取材先では、「国立大の理事の中には、『APCは研究者個人に払わせておけばいいじゃないか。本部が持つ必要はまったくない』と考える人もいる」と聞いて、とても驚いた。全体の仕組みを理解した上での判断なら致し方ないが、まだ誤解が多いと感じた。論文の著作権でもそうだ。「論文の著作権は出版社に譲渡という、ひどいサインをさせられている」と多くの研究者が思っているし、社会人博士課程学生時代にこれを経験した私も、正直いってこれまで正しく理解していなかった。シュプリンガーネイチャーに確認したところ、「これまでの仕組みでも、著作権は著者が保持している。『ライセンス・ツー・パブリッシュ』という、その出版社でしか発行できないという権利の契約になる」のだという。「そうだったのか…」(私自身の心の反省の声)。論文のOAの先には、研究データのOAも控えているだけに、より多くの研究者、大学人にこのテーマについて関心を持ってもらいたい。

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