反グローバリゼーションが生み出す「Gゼロの時代」、日本の強みとは?
危機打開へ国際社会団結を
1月下旬、新型コロナウイルス感染が急速に拡大して、中国が武漢市を「都市封鎖」した時、世界の反応は同情、拒絶、無関心…とさまざまだったが、「外から」中国を眺める姿勢は共通していた。しかし、狡猾(こうかつ)なウイルスはあっという間に拡散し、世界中が突然、「自分たちも内側にいる」と気付かされた。
中国は初動で情報隠蔽(いんぺい)という大失態を犯したが、その後は特異な政治体制の利点を発揮して苛烈な隔離政策を断行し、3月末には、中国で「コロナウイルス禍」制圧のめどが付いたのではないかという期待感が高まった。
しかし、その期待は儚(はかな)く消えつつある。海外からの「輸入感染」が絶え間なく続き、国内でも「鎮火したはずが、再び火の手が上がる」式の再発が起きているからだ。いち早く封じ込めで成果を上げた中国は「世界中で感染を封じ込めないと、元の暮らしや営みは戻ってこない」という現実を世界に先駆けて噛(か)みしめつつある。
このコロナウイルス禍は21世紀の人類史に残る大事件になる。世界は多くの点で昨日までと違う明日を迎えなければならなくなりそうだ。変化の行く末は、誰も掴(つか)めていないが、以下では、いま思い付くかぎりを三つ述べてみたい。
各国財政に大打撃
経済に対する打撃は2008年のリーマン・ショックどころではなく、90年前の大恐慌、いやそれをも上回るかもしれないという不安感が広がっている。人の身体に例えるなら、リーマン・ショックは金融という循環系で起きた心筋梗塞だったがコロナウイルス禍は、至るところで経済活動を凍結・停止させてしまう多臓器不全だ。
休業を余儀なくされる会社の事業や働く従業員の生活をどうやって支えるかという難問に世界中が向き合っている。戦争による混乱期を除けば、20世紀に始まった「福祉国家」制度が直面したことのない異常事態だ。
日本は国民1人に10万円を支給し、米国は一定所得以下の国民に1200ドルを支給するが、緊急事態が長期化すれば、それも焼け石に水だ。国会では「国が企業や自営業者に粗利補償をすべきだ」との声が出たと聞く。確かにそうすれば企業も従業員も暮らしていけるが、粗利を補償するということは、極論すれば「国がGDP(国内総生産)分を配る」という話であり、国の債務/GDP比が半年で50%増える計算だ。
「コロナウイルス禍との闘いは、第二次世界大戦以来最も困難な闘い」という言い方を耳にする。この闘いがGDP比何十%という戦時に準ずる重荷を国家財政に負わせる可能性が高いことを予感させる言葉だ。
日本の場合、現実には雇用調整助成金や無担保無保証のセーフティーネット融資などを通じて、企業の事業と従業員の生活を維持させることになろうが、ただでさえ深刻な国家財政をいよいよ悪化させる恐れが大きい。
「パンデミック(世界的大流行)が去れば終わり」でもない。後には経済や国民の暮らしの再建の仕事が待っている。次のパンデミックや気候変動などのグローバルリスクにも備えなければならない。傷付いた各国の財政は、これらの課題にどこまで応えられるだろうか。
グローバリゼーションの逆転
コロナウイルス禍が始まってから、「グローバリゼーション」の功罪を改めて問う声をよく聞く。東西の冷戦が終わり、電気通信やコンテナ輸送といった技術革新が進み、インフラ整備が進む中で、世界的な範囲で賃金水準の裁定が起こり、グローバリゼーションが進んだのは、いわば歴史の必然だった。
しかし、最近は歯車を逆転させる力が三つ生まれてきた。第一、グローバリゼーションや自由貿易が先進国の多くで国民の支持を失った。自由貿易で得をしたのは途上国の中産階級以上と先進国の少数富裕層であり、残る我々は不利益だけを被ったという被害感情が増大した。この結果、自由貿易を支持する先進国の政治家は激減している。
第二、米中両国の対立が顕在化して、経済の「デカップリング」を求める声が強まった。冷戦終結によって、従来は分断されていた東西が融合したことがグローバリゼーションを進める大動力だった。それと対比すれば、米中関係が「新冷戦」と呼ばれるほど悪化したことは、グローバリゼーションにブレーキをかけ、果ては逆転させる障害が生まれたことを意味する。
第三が今回のパンデミックだ。「グローバリゼーションがなければパンデミックも起きなかった」と言うのは逆恨みだ。今日ほど往来がなかった100年前にもスペイン風邪が大流行したし、500年前には「大航海時代」で南米のマヤ文明が滅んだ。
ただ、今回のコロナウイルス禍が完全に去るのに何年もかかるとしたら、従来のような往来は制限され、サプライチェーンには障害が生まれ、リスク管理の見地から海外分散した生産拠点を再集約する動きが生まれ、程度の差こそあれ、グローバリゼーションの歯車の逆転が始まるだろう。
問題は、それが世界経済に何をもたらすかだ。グローバリゼーションが効率とコスト削減を追い求める運動だったとすれば、歯車の逆転は効率を下げ、それがコストの上昇、供給不足や途絶を招く。
主要国は過去30年以上物価上昇というものを経験していない。いまの45歳以下の人たちは「物価高」を経験したことがない。しかし、長期の物価安定の大きな理由がグローバリゼーションによる効率向上だったとしたら21世紀は経済の大きな潮目が変わるかもしれない。その予兆をマスクなどの買いあさりや高値転売に見る。フリマ・アプリの普及でアマチュアがモノ投機に参加しやすくなったのだ。
仮に世界経済にインフレーションが戻ってくれば、今世紀の経済社会に大きな変動をもたらすだろう。インフレは社会的経済的弱者を痛めつけ、物価上昇が金融市場にも甚大な影響を及ぼすからだ。
「Gゼロ」時代の到来
昨年末の貿易戦争暫定合意で小康状態入りしたかに見えた米中関係は、コロナウイルス禍をきっかけに、これまで以上に深刻な感情的対立に陥っている。傍から見れば両成敗にすべき、しかも低次元の喧嘩(けんか)だ。中国が初期の情報隠蔽は大きな過誤だったと認めないのは大問題だが、トランプ政権だって警戒を怠って貴重な時間を無駄にした己の責任を中国に転嫁しているのが見え見えだ。
世界はウイルスとの闘いにせよ、その後に続くであろう世界経済危機への対処にせよ、国際社会の団結と協力無しには乗り切れない真性の危機に直面している。従来は米国がG7諸国と語らってそんな態勢を整えてきた。しかし、いま世界の二大大国が繰り広げる大人げない喧嘩を見ていると、国際社会の音頭を取るリーダーはもはや居ないのだという現実を突き付けられる思いだ。中国に米国に取って代わる力がある訳でもない。
トランプ政権の4年間で、米国が覇権国の責任をもう果たさない、果たせないことが明らかになってきた。その影響はもっと長い時間をかけてジワジワと世界に及ぶものだと思っていたが、コロナ禍は世界リーダーの居ない「Gゼロ」時代を引き寄せる触媒の役割を果たすようだ。
おそらく私たちは人類の歴史の岐路に立っている。前途は全く見通すことができないが、厳しいことは疑いない。そんな中でも、私たちはこの国土の上で生き抜いていかなければならない。
日本政府の対応は往々にして混乱、国民の態度にも甘さや身勝手さが見られるが、日本社会は頻繁に襲う天災で「鍛えられて」いるためか、危難に遭遇しても略奪や暴動といったカオスに陥りにくい。強制せずとも「お願い」「呼びかけ」でそこそこ秩序を保って行動できるのも日本人の優れた点だ。みんなで力を合わせてこの苦難を乗り越えていこう。
【略歴】津上俊哉(つがみ・としや)東大法卒、通商産業省(現経済産業省)入省。96年に外務省出向、在中国日本大使館経済部参事官。通商政策局北東アジア課長、経済産業研究所上席研究員などを経て独立。中国問題に通暁する。62歳。