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「近代批評の神様」が駅のホームから転落して分かったいい加減さ

小林秀雄という人間と文章の難解さ
「近代批評の神様」が駅のホームから転落して分かったいい加減さ

小林秀雄は現代のホームドアをどう批評するか(写真はイメージ)

ある晩、「彼」は中央線の水道橋駅のホームにいた。手には神田の居酒屋で譲ってもらった飲みかけた一升瓶があった。戦後すぐで物資が不足していた時代。当時の駅のホームの壁は鉄骨に丸太を括っただけの粗悪なできだった。酩酊状態の「彼」はその隙間から一升瓶を抱えたまま10メートルほど落下した。後日、こう記している。

 「胸を強打したらしく、非常に苦しかったが、我慢して半身を起し、さし込んだ外灯の光で、身体中をていねいに調べてみたが、かすり傷一つなかった。一升瓶は、墜落中、握っていて、コンクリートの塊りに触れたらしく、微塵になって、私はその破片をかぶっていた」(「感想」)
 
 かすり傷ひとつなかったが、当時は駅のホームから転落して死ぬ人は珍しくなかった。「私が最初に聞いたのは、『生きてる、生きてる』という駅員の言葉であった。これも後から聞いたが、前の週、向う側のプラットフォームから墜落した人があって、その人は即死した。私は、駅員達に、大丈夫だ、何処もなんともない、医者も呼ばなくてもいい、何処にも知らせなくてもよい、駅で一と晩寝かせて欲しい、と言った。私は水を貰って呑み、朝までぐっすり寝た。翌日、迎えに来たS社の社員に、駅の人は、どうも気の強い人だ、と言ったそうだが、私はちっとも気の強い男ではない」(同)
 
 前の週に同じ駅のホームから落ちて死んだ人がいるというのに動じることがない。肝が据わっているというかなんというか。「彼」なりには、一応、反省はしていたようだが、常人はなかなか共感しがたい。「いろいろ反省してみたが、反省は、決して経験の核心には近附かぬ事を確かめただけであった」(同)
 
 小林秀雄は「近代批評の神様」といわれ、難解な文章で知られる。40歳以上の人にしてみれば、入試の現代文で目にしたこともあるだろう。かつては著作が試験問題として頻出する著者の一人だった。

 共通1次試験導入を決めた入試改革の際に悪問や奇問をなくそうとしたところ、小林作品がまっ先に対象にあげられたとの説さえある。そのくらい一見よくわからない。「美しい『花』がある。『花』の美しさという様なものはない」と高校生にいわれても、なかな理解しがたい。

 文章の難解さと私生活が品行方正かには何の相関性もないはずだが、駅から落下事件は当時は衝撃的だったようで作家の坂口安吾は「教祖の文学」の中で、驚きを隠さない。

 「小林といふ人物を煮ても焼いても食へないやうな骨つぽい、そしてチミツな人物と心得、あの男だけは自動車にハネ飛ばされたり川へ落つこつたりするやうなことがないだらうと思ひこんでゐた」と語っている。

 というのも、小林の文章がなんとも難解だからであり、「小林の文章にだまされて心眼を狂はせてゐたからに外ならない」と述べ、「彼の昔の評論、志賀直哉論をはじめ他の作家論など、今読み返してみると、ずゐぶんいゝ加減だと思はれるものが多い」とまで言い切っている。

 小林が自ら招いた出来事とはいえ、駅のホームから落ちたことで批評家としての見識まで疑われることになるとは今も昔も世知辛い世の中であることに変わりはない。

 一方、小林が駅のホームから落ちて半世紀以上経ち、鉄道各社の安全対策は進んでいる。ホームから転落しての列車との接触事故やホーム上での列車との接触事故は絶たないが、死者数は17年度は計30人。10年度の計42人から減少傾向にある。
 
 最近、各社が力を入れるのがホームドアの設置。東京メトロ丸ノ内線では07年度に全線でホームドアの整備が完了し、17年度まで転落事故は起きていない。JR東日本も32年度末までに主要路線の全駅にホームドアを設置する計画だ。

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