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人工知能は文系と理系の溝を埋めることができるのか

霞が関からは「研究成果はいまいち。広告塔として働いてもらうしかない」
 人工知能(AI)が文理融合の新しい研究テーマとして広がっている。AIの倫理や社会制度、次世代への教育論など幅広い議論が進んだ。ただ文系と理系の間には技術の理解などに溝がある。AIが人間の代わりに働くユートピアや、AIが人間の仕事を奪うディストピアを主張する専門家もいたほどだ。技術系研究者は「人工知能」への過剰な期待と誤解を解き、現実路線に戻そうと腐心している。このAIブームはテクノロジーブームと技術政策の在り方を研究する上で重要な事例になる。

 人工知能ブームがその前のビッグデータ(大量データ)ブームと大きく違う点は社会を巻き込んだことだ。ビッグデータは研究者や企業など技術系にブームが閉じていたが、AIは倫理や働き方、産業構造などを取り込み幅広い議論を起こした。自動運転やAIによる失業、AIが人類を超越するシンギラリティー(技術的特異点)などが物議を醸し、一般にもAIが広まった。

 技術的には膨大なデータから新しい知見や価値を見いだす点で二つのブームはほぼ同じだ。違う点はデータサイエンティストの分析業務の一部がAI技術に置き換えられたこと。

 野村総合研究所の安岡寬道上級コンサルタントは「データベースマーケティングは20年前からあるがAIでより高度な分析が可能になった」と説明する。

 また米アマゾンのAIスピーカー「エコー」など、企業と顧客の接点を対話AIで独占できると期待された。対話AIの音声認識精度は上がったものの、おしゃべりはユーザーを楽しませ、長くつなぎ留めるレベルには至っていない。人間の仕事が丸ごとAI化されるのはゲームなど、職種が限られる。

 だが「人工知能」という言葉が人間のような知能を連想させ、過剰な期待と誤解を招いている。AIに人格を感じたり、人権に似た権利と責任を与えたりするべきだという議論もある。

 この誤解はAIを「一部のユーザーには賢く感じる高度なプログラム」と説明すると、ほぼ解消される。プリファード・ネットワークス(東京都千代田区)の丸山宏最高戦略責任者は「『人工知能』から連想される知能は実現していない。現在、存在するAIはすべて『人工知能』の要素技術」と説明する。

 AIブームの立ち上げ初期は技術系AI研究者が広告塔を務めた。「AIが人間を超えた」とシンギラリティーへの夢を熱心に語っていた。

 ただ慎重論も根強かった。次に社会系AI研究者が火付け役として加わった。特に、経済学者や社会学者からAIの影響の大きさを語らせるアプローチが効果的に働いた。

 「AIで人間は職を失い、仕事の報酬を受け取れなくなる。新しい経済の仕組みが必要だ」「法制度や教育など、現行制度はAI時代に対応できない」などと主張した。政治家やメディアなど社会を巻き込み、AIブームは本物になった。

 AI予算は基礎理論やデータ共有インフラ、人材育成に広がり、多くの研究者が恩恵を受けている。大型予算を獲得して2年が経つが、シンギラリティーを唱えた研究者たちの成果は心もとない。

 霞が関からは「研究成果はいまいち。広告塔として働いてもらうしかない」という声も聞こえてくる。慎重派だった研究者らが成果を出し、現実路線への軟着陸を試みている。
日刊工業新聞2017年5月10日
小寺貴之
小寺貴之 Kodera Takayuki 編集局科学技術部 記者
 意思を持ったAIやシンギラリティーの議論がなければ、第三次AIブームはこれだけ大きくならなかったと思います。法学ではまったく新しい法体系が必要、経済学では人の雇用がなくなるからベーシックインカムが必要などと、いろんな声が上がりました。ブームは実現し、技術系には大型予算が付きました。  ただAIブームを大きくした文系への予算は大きくなく少数精鋭です。AIの社会的影響の一つがシステム過信です。技術系研究者は道具が多少賢く振る舞うようになるだけと考えますが、システムが知的な存在に見えるかどうかは相手のリテラシーによります。知識のない人から見ればAIも人間の専門家も、知的な存在に見えるので過信したり、依存したりするのは確かです。これを文系のAI研究者が真っ先に経験したと言えると思います。

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