東急の「企業遺伝子」、五島イズムは色あせない
東急電鉄社長・野本弘文 大局的な視点を学ぶ
経営者にはさまざまな資質が求められる。事業構想力や変化対応力、情報が瞬時に世界を駆け巡る現代においては迅速な経営判断力は必須だろう。社会がより複雑化するいま、あらためて思いをはせるのは事業を大局的に俯瞰(ふかん)した創業者の経営姿勢である。
沿線に学園を誘致し、関東初のターミナルデパートを作った創業者・五島慶太の手法は、終点に宝塚大劇場を作り、起点に百貨店を設けた阪急電鉄の小林一三氏の先駆的な沿線開発を参考にしたとされる。そこに沿線全体を面的に捉える五島ならではの着眼点が加わることで、東急の企業遺伝子は形づくられた。根底にあるのは、顧客視点に基づいた利便性追求の徹底である。
小林氏にならい、東横線渋谷駅横に東横百貨店が開業したのは1934年(昭9)。銀座や新橋など都心に向かう利用客のニーズに応えるには、新たな路線が必要であり、それが東京高速鉄道(現在の東京メトロ銀座線の渋谷―新橋間)の創設につながる。今でも銀座線の渋谷駅が東急百貨店東横店の中にあるのは、自社の地下鉄と百貨店を接続させることで、乗客の利便性向上を図った五島の施策の名残だ。
想像するに五島は鉄道省の官僚だっただけに、自社の視点のみにとらわれず日本全体を俯瞰し、より大きい視点で鉄道事業を考えていたのではないだろうか。一段上のレイヤーから都市のあるべき姿を考え実行する―。その姿に学ぶべき点は多い。
順調に伸びてきた当社の沿線人口も、2020年代後半をピークに減少する見通しだ。成熟社会における持続的な成長は、日本が直面する共通課題である。
しかし、私は将来に明るい展望を抱いている。暮らしを支えるさまざまな事業を通じ、東急グループほど多くの顧客接点を持つ企業集団は類をみないからだ。グループ会社間の連携を一層進め、大局的な視点で新たなサービスを継続的に生み出すことができれば、沿線価値、ひいては企業価値の向上につながる。だからこそ渋谷の再開発はグループの総合力の象徴として成功させなければならない。
かつてグループ会社が別々の方向を向き、事業が肥大化していった時代があった。苦い過去を教訓に、たどり着いた私なりの組織論が「楕円(だえん)型」経営である。
<次のページ、わたしの組織論>
沿線に学園を誘致し、関東初のターミナルデパートを作った創業者・五島慶太の手法は、終点に宝塚大劇場を作り、起点に百貨店を設けた阪急電鉄の小林一三氏の先駆的な沿線開発を参考にしたとされる。そこに沿線全体を面的に捉える五島ならではの着眼点が加わることで、東急の企業遺伝子は形づくられた。根底にあるのは、顧客視点に基づいた利便性追求の徹底である。
日本全体を俯瞰
小林氏にならい、東横線渋谷駅横に東横百貨店が開業したのは1934年(昭9)。銀座や新橋など都心に向かう利用客のニーズに応えるには、新たな路線が必要であり、それが東京高速鉄道(現在の東京メトロ銀座線の渋谷―新橋間)の創設につながる。今でも銀座線の渋谷駅が東急百貨店東横店の中にあるのは、自社の地下鉄と百貨店を接続させることで、乗客の利便性向上を図った五島の施策の名残だ。
想像するに五島は鉄道省の官僚だっただけに、自社の視点のみにとらわれず日本全体を俯瞰し、より大きい視点で鉄道事業を考えていたのではないだろうか。一段上のレイヤーから都市のあるべき姿を考え実行する―。その姿に学ぶべき点は多い。
過去を教訓に
順調に伸びてきた当社の沿線人口も、2020年代後半をピークに減少する見通しだ。成熟社会における持続的な成長は、日本が直面する共通課題である。
しかし、私は将来に明るい展望を抱いている。暮らしを支えるさまざまな事業を通じ、東急グループほど多くの顧客接点を持つ企業集団は類をみないからだ。グループ会社間の連携を一層進め、大局的な視点で新たなサービスを継続的に生み出すことができれば、沿線価値、ひいては企業価値の向上につながる。だからこそ渋谷の再開発はグループの総合力の象徴として成功させなければならない。
かつてグループ会社が別々の方向を向き、事業が肥大化していった時代があった。苦い過去を教訓に、たどり着いた私なりの組織論が「楕円(だえん)型」経営である。
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日刊工業新聞2017年4月27日、28日