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5月に新型船「さんふらわあ」登場!モーダルシフトに対応

大洗―苫小牧間、トラックドライバー向けの個室を新設
5月に新型船「さんふらわあ」登場!モーダルシフトに対応

「さんふらわあ ふらの」

 商船三井フェリーは大洗(茨城県)―苫小牧(北海道)間を週6便運航している定期便「さんふらわあ ふらの」に新造船を導入し、5月13日から運航を始める。同社は新造船の導入に伴い、大洗の出発時間を従来の18時半から19時45分に変更する。出発時間を遅らせることで、トラックのドライバー不足対策としても注目される船や鉄道を使い大量輸送する「モーダルシフト」に対応。貨物の受け入れを拡大する。

 商船三井フェリーの同路線は大洗を夕方に出発し、苫小牧に翌日の午後に到着するスケジュールで、現在2隻が運航している。同じ路線に導入している「さんふらわあ さっぽろ」も8月に新造船を投入し、2隻とも新造船に置き換える。

 新造船は新たにトラックドライバー向けの個室を70室設置する。従来は相部屋だったが、大幅に利便性を向上することで、貨物の取り込みにつなげる。

 新造船はジャパンマリンユナイテッドの磯子工場(横浜市磯子区)で建造。推進システムに二重反転プロペラやハイブリッド推進システムを採用し、航行性能を大幅に向上させた。これにより、同航路の所要時間が1時間15分短縮する。

日刊工業新聞2017年4月18日



震災からの復活物語


 太平洋側の港湾に大きな傷跡を残した東日本大震災。とりわけ大洗港(茨城県大洗町)の被害は甚大で、商船三井フェリー(東京都品川区)が運営する「さんふらわあ」の大洗港―苫小牧港(北海道苫小牧市)航路も運航停止に追い込まれた。大洗港の海底には、津波で押し寄せた砂が今も堆積し、浚渫作業はまだ完了していない。それでも6月6日に運航再開にこぎつけた。それを可能にしたのは、蓄積していた港湾内のデータと最新鋭の操船シミュレーション装置だ。事前の備えと最新技術で迅速な復旧を果たした同航路の道のりを追った。
さんふらわあの運航再開を祝したマーチング

 「一日も早く大洗に戻らなくては」―。運航を再開するまでの間、稲垣拡夫商船三井フェリー取締役はこうした焦燥感にとらわれていたという。本州と北海道の間で旅客と車を運ぶ動脈の役割を果たす同航路。その運休は日本経済の輸送面に大きな影響を及ぼす。同社はせめて物の流れだけでも滞らせまいと、船を東京港に振り向け、3月25日からトラックのみを輸送対象にして、東京港―苫小牧港間で臨時便を運航させた。

 東京―苫小牧航路は同社の前身である日本沿海フェリーが1986年まで運航していた。経験済みの航路だけに、運航開始までに時間はかからなかったが、船の運航効率はがた落ちした。 

 大洗からなら20時間だった所要時間が、東京港からだと30時間になる。そもそも25年前に拠点を東京から大洗に移したのは、物流の速度向上を市場から要求された結果だ。震災があったからといって、物流体制は25年前には戻れない。臨時便に集まる荷物は「スピードが必要ない単価の安いものばかり」(稲垣取締役)。

 焦りが募る商船三井フェリーの思いとは裏腹に、茨城県が行う大洗港の復旧は難航した。もともと大洗は砂がたまりやすい港。それが今回の津波では40万立方メートルもの砂が流れ着いた。被災した他の港が次々と回復していく中、大洗港は膨大な砂に復旧が遮られた。

 それでも4―5月の2カ月間、比較的、水深の深さが保たれている所を中心に浚渫は進み、流砂の半分を取り除いて、港湾内から海に出るまでの航路がなんとかできあがった。

 その航路幅は120メートル。震災前まで200メートルあった幅が80メートルも狭くなった。かつて港湾内の航路幅が最も狭かった時でも140メートルは確保されていた。それより狭い航路の経験はない。

 応急的な航路はできたものの、震災前通りの操船はできるのか―。今度は安全運航の確保という課題が早期再開の前に立ちはだかる。それに助け舟を出したのが操船シミュレーションだった。

シミュレーションによる安全訓練


実物の装備を配置して船橋を再現した国内最大級の操船シミュレーション装置

 商船三井グループで海運関連のコンサルティングを手がけるエム・オー・エル・マリンコンサルティング(東京都港区)。ここには高さ約4メートル、半径6メートルの空間に実物の船の装備を配置して船橋を再現した国内最大級の操船シミュレーション装置がある。

 視野角225度のスクリーンには、港の景観図を基にして作ったコンピューターグラフィック(CG)で船橋から映る港湾の景色を再現。船長らの操船で実際に船がどう動くのかをシミュレーションすることが可能だ。

 「航路が狭くなったので特殊な操船が必要になる。運航再開前に船長らを訓練させたい」(稲垣拡夫商船三井フェリー取締役)―。大洗港の浚渫が進み、“応急航路”による大洗港―苫小牧港航路の「さんふらわあ」再開にめどが立った商船三井フェリーはマリンコンサルに助けを求めた。

 港から海に通じる航路が拓けたとはいえ、その幅は震災前の6割しかない。まだ船が航路を外れる恐れを払拭(ふっしょく)できなかった。

 幸い、マリンコンサルには震災前の大洗港の状態をデータ化した景観図が既にあった。商船三井フェリーは震災前から、マリンコンサルの操船シミュレーション装置で、訓練を年数回行っており、そのためにデータを作っていたのだ。このデータに新たな航路の情報を入れ込むことで、震災後の大洗港のデータは即座に用意できた。

 商船三井フェリーは早速、船長や操舵手などさんふらわあを操船をする乗組員たち2グループをマリンコンサルに送り、狭くなった航路で船を操るシミュレーションさせた。

 初めは従来通りの操船で入出港を試みたが、やはり失敗。だが、1グループ目から経験を伝えられていた2グループ目は教訓をくみ取り、操船方法を変えて、無事に成功させた。

 この訓練で商船三井フェリーは大洗港の狭くなった航路でも入出港ができる確証を得た。これが、6月6日の運航再開につながる。

 通常、操船シミュレーションに必要な景観図の作成には数カ月かかる。しかし、「商船三井フェリーは業界でも操船シミュレーションに理解があり、以前からシミュレーションによる安全訓練を先駆けて行っていた」(エム・オー・エル・マリンコンサルティング海洋技術部)。

 震災前からシミュレーション装置による安全訓練を重ね、同港の景観図を予め制作していおいたことが、結果的に運航再開を早めた。

 震災で大洗港に堆積した流砂の内、かき出されたのはまだ半分だけ。残りの砂の浚渫が始まるのは秋の見込みだ。商船三井フェリーが震災前からシミュレーション訓練に取り組んでいなければ、再開はまだ先だったろう。

 運輸事業者が震災後の早期復旧と安全確保の両立するには何が必要なのか。大洗港―苫小牧港航路復活までの道のりは、その示唆に富んでいる。
(文=江刈内雅史)

日刊工業新聞2011年8月2日/9日


※内容、肩書は当時のもの
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
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