植物工場、医薬品…AIでスマート社会実現への現在地
新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が、人工知能(AI)技術の実用化を進めている。「人工知能技術適用によるスマート社会の実現」事業では2018―22年度の5年間、21テーマの社会実装に取り組んだ。対象は「生産性」と「健康、医療・介護」「空間の移動」の3分野。それぞれ社会課題や産業課題に挑戦した。米国発の生成系AIがブームを巻き起こす中で、日本のAI開発の現在地を振り返る。(小寺貴之)
「その技術の本質は何か。どんな価値を誰に売るのか。侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしてきた」と経営共創基盤(東京都千代田区)の川上登福共同経営者マネージングディレクターは振り返る。実用化・事業化担当のプロジェクトリーダーとして開発技術の社会実装を指南してきた。これまでのAI開発は概念実証(PoC)で止まってしまう課題があった。例えばAI技術で一つの作業を自動化しても、それ単体では効果が小さく、作業変更の負荷を考え留保されてしまう事例は少なくない。
これを防ぐために業務のフロー全体を俯瞰(ふかん)して複数箇所に新技術を導入し、フロー全体を刷新しようとする。だが収拾が付かなくなるリスクが増す。要素ごとに開発と現場とのすり合わせが発生するためだ。そのためフロー全体を俯瞰しつつ、各要素をアジャイルに開発することが求められる。この開発マネジメントが難しい。川上ディレクターは「アジャイルと俯瞰は本来は別問題。両立できる」と強調する。
生産性/アジャイルと俯瞰を両立
スマート社会実現事業では各分野でアジャイルと俯瞰の両立を試みた。この結果、単発のPoCでなく、フロー全体のデジタル変革(DX)に辿り着いた事例が少なくない。ファームシップ(東京都中央区)と東京大学は植物工場バリューチェーンのロス削減と効率化に取り組んだ。
ファームシップの宇佐美由久取締役は「まず大きな絵を描いた。最初に全体を設計して個々の開発を始めた」と振り返る。ファームシップは植物工場システムの販売と生産、葉物野菜の流通を手がける。生産から販売までが事業領域だ。
まず開発したのが野菜の卸売価格予測AIだ。予測精度に効いたのは学習データの選定だった。AIには日照量や降水量、気温などの天候データと卸売価格データを学習させる。この地域や項目の選び方にノウハウがある。最大10倍上下する卸売価格の変動をプラスマイナス20%の範囲で予測できた。ここから受注量を予測して生産調整すると「フードロスを10分の1にできる」(宇佐美取締役)。
次に野菜の栽培をAIで最適化した。レタスの重量を測り、温度や湿度、光量などの生産条件を最適化する。農学ではレタスの日照時間は16時間が限界とされてきたが、二酸化炭素(CO2)濃度や肥料の配合を含めて条件を探索すると24時間の日照でも育つことが分かった。生産期間を半分に短縮できる。AI最適化は生産期間だけでなく、カリウム濃度や消費エネルギーなど、さまざまな目標に対して適用できる。
最適化を実現するため、東大は安価なフィルムセンサーを開発した。カリウムイオンやアンモニウムイオンなどを有機半導体センサーで計測する。塗布プロセスで製造できるため、一つ数万円のセンサーを数百円まで下げるポテンシャルがある。
東大の竹谷純一教授は「水耕栽培の根の近くに配置できる。レタスの株ごとに栄養素の吸収量を測り、個別最適化することも可能」と説明する。
現在は長さ30メートルの棚単位で管理しているが、精緻化して株の選定や生産調整ができるようになる。変種変量生産やマスカスタマイゼーション(個別品の大量生産)など、新しいビジネスモデルが生まれる可能性がある。
健康、医療・介護/京大、製剤フローに応用
京都大学の奥野恭史教授らは医薬品開発の製剤化(CMC)フローのAI化に取り組んだ。奥野教授は「社会実装するために何が必要か、製薬会社の研究者と現場目線で議論しプロジェクトを設計した」と振り返る。
CMCでは、まず原薬と添加剤の分子構造や物性値、粉末画像などから顆粒の物性をAIで予測する。粒径や嵩(かさ)密度などの顆粒物性からレシピを最適化し、このデータに製造データを加えて錠剤の物性を予測する。
錠剤の硬度や崩壊特性、保存安定性などを予測し、レシピや顆粒物性に戻して最適化を図る。レシピAIと顆粒AI、錠剤AIで順次ループを作り最適化していく。
「製剤分野のデータベース(DB)が存在せず、データ収集から始めなければならなかった」(奥野教授)。そこで複数の企業が使えるようデータフォーマットを用意し、実験データの登録出力システムを開発した。製薬企業の社内でDBを構築しやすいようスタンドアローンでの実行環境も整えた。
ユーザーインターフェースを整え、AIが専門でないCMC技術者にも利用できるように仕上げた。結果、製剤分野に加えて化成品や食品メーカーなどからも強い引き合いがある。
奥野教授は「フロー全体のAI化に挑戦できたことが大きい。創薬現場で使ってもらいたい」と力を込める。
空間の移動/コロナ禍の野球観戦実証
産業技術総合研究所は人流解析をスタジアムでの大規模イベントの帰宅誘導や避難誘導などに適用した。混雑や渋滞を避けるには、多数の観客を分散して帰宅させる必要がある。そのために人の流れを測って誘導する。この技術がコロナ禍での大規模イベントの接触低減に貢献した。
人流を把握するにはまずは群衆を計測する必要がある。カメラなら人頭認識、LiDAR(ライダー)なら身体の形を3次元(3D)データから抽出して人の流れを把握。そしてシミュレーションで人の流れを予測する。
さらにデータ同化で計測結果にシミュレーションを合わせるようパラメーターを最適化する。すると人の流れは一部しか計測できなくても、シミュレーションで全体を再現できる。そしてベイズ最適化で歩行距離や待ち時間が不公平にならないような人流制御を求める。産総研の大西正輝研究チーム長は「現場で解決策を出すには計測とシミュレーション、同化、最適化の四つが必要」と説明する。
この技術の効果をコロナ禍の野球観戦で実証。東京ドームの混雑度を42・5%に抑える退場ルールを特定した。観客が自由に帰る場合に比べて接触を約6割減らせる。シミュレーション結果を放映して観客に協力を依頼した。
規制退場では遠回りしたり、席で待ったりと観客に負担が生じる。そこで花火や漫才などの出し物を用意して分散化を図ってきた。科学的根拠で理解が得られればコストをかけられないイベントにも適用しやすい。三菱地所とは、大丸有(大手町・丸の内・有楽町)地区の防災計画への適用を進めている。
AIブームから8年がたち、AI技術単体で効果がある用途は探索され尽くしたとも言われる。スマート社会実現事業は、その成否を含め、ビジネスフロー全体をAIで変える過程を集めた事例集になった。再度AIに注目が集まる中、視野を広げてDXに挑む事業者の道標になると期待される。