「自社株買い」過去最高の勢い、求められる成長投資とのバランス
企業の株主還元の動きが活発だ。東京証券取引所が、株価純資産倍率(PBR)1倍割れの是正を促したことも追い風に、2023年は過去最高の勢いで自社株買いが進む。ただ、それありきではなく「今」の経営状況に応じて設備投資や人材投資との間で最適なバランスを取っていくことが欠かせない。持続成長という目標に向け、その株主還元に大義はあるか―。経営者は問われる。
SMBC日興証券の集計によると、東証株価指数(TOPIX)構成銘柄の集計で自社株買い(上限金額)の23年初めからの合計は4兆6000億円と、年率換算で過去最高の22年を上回るペースだ。東証が上場会社に対し、PBR改善など株価を意識した経営の実施と開示を求めたことが、積極的な自社株買いにつながっているとみられる。
自社株買いはファイナンス理論上、企業価値に影響を与えないが、実際は株価に影響を及ぼす。これには大きく二つの理由が考えられる。一つは株価が割安だという企業からのメッセージだ。企業自身が市場価格で取得すれば、株価はもっと高いというポジティブな反応を投資家心理にもたらす。もう一つは、過大な現預金を持つ企業がそれを減らすことで無駄な浪費がなくなるとみなされ、市場の評価が高まるという説だ。企業が現金を無駄遣いしないように監視するコスト(エージェンシーコスト)が節約され株価を上昇させる要因となる。
将来の利益を生まない現金を過剰に持つ企業が自社株買いをすることで、資本効率は改善する。ただし、これは企業価値を高める一環となるが、成長のための設備投資や人への投資の代わりにはならない。海外では自社株買いを規制する動きもある。米国では22年に成立したインフレ抑制法で自社株買いに新たに1%を課税する制度を導入した。経営幹部が報酬として新規発行した株式を得る一方で、新規発行により希薄化した株式を減らす目的で自社株を買い戻す動きがあるためだ。カナダでも自社株買いの2%課税を盛り込んだ法律が24年1月から施行される。
海外投資家にとって日本企業の自社株買いは選好の材料になっている。SMBC日興証券の伊藤桂一チーフクオンツアナリストは、「自社株買いを通じて資本効率改善のストーリーを読み取り、日本株に強気の見通しをしている」と解説する。一方で海外投資家が買い支える国内相場の現状について、伊藤アナリストは「株主還元に焦点が当たり過ぎている。企業がレバレッジをかけて投資をすれば利益額をもっと増やせるはずで、この方面で議論されるべきだ」と指摘する。
東証は資本コストや株価を意識した経営の要請の中で、「自社株買いや増配のみの対応や一過性の対応を期待するものではない」と注記する。企業に求められているのは資本コストを上回る資本収益性を達成し、持続的な成長を果たすための抜本的な取り組みだ。
NECの森田隆之社長は「(自社株買いよりも)積極的な投資で企業価値を上げていくことがあるべき姿だ」と語る。情報通信技術(ICT)市場はデジタル変革(DX)や第5世代通信(5G)、生成人工知能(AI)など新たなビジネスが次々と生まれ、成長投資を怠れば死活問題だ。藤川修最高財務責任者(CFO)は「成長への投資機会がある場合はそれを優先し、企業価値の向上によるキャピタルゲインで還元する」と明言する。
アマダは中長期の成長戦略投資に十分な資金を確保しつつ、資本政策に工夫を凝らす。株主還元方針として株主資本に対する配当の割合を示す株主資本配当率(DOE)を導入し、連結配当性向50%を目安にDOE3―4%程度の範囲内で年間配当額を決定する。工作機械業界はマクロな景気循環に影響を受けるため、配当額の安定性を高める狙い。
成長に向けたさらなるトリガーは事業領域の大胆な再編だ。ソニーグループは5月18日、金融事業の完全子会社ソニーフィナンシャルグループを分離・独立させる方針を示した。市場は即座に反応し、5月22日の株価は発表前から6・4%上昇。複数の事業を有する複合企業は、法制度も活用した柔軟な事業再編によって企業価値を向上させる余地があることを示唆する。
インタビュー
配当増やしROE向上/パイオラックス取締役上席執行役員・梶雅昭氏自動車部品製造のパイオラックスは、22年度に連結配当性向を100%に引き上げ、25年度まで継続する方針だ。投下資本利益率(ROIC)と加重平均資本コスト(WACC)の差を示す「EVAスプレッド」のプラス化、自己資本利益率(ROE)8%以上、PBR1倍達成などの目標も掲げる。梶雅昭取締役上席執行役員に狙いを聞いた。
―配当性向100%とした狙いは。
「22年に株価低迷の要因を分析し、EVAスプレッド改善が必要との結論に至った。バランスシート全体を見て、ROEの分子にあたる純利益を増やすだけでなく、分母の自己資本を大きくしないことも必要と考えた。企業の成長を示すために企業価値を上げたいというのが根源的な理由で、時価総額と株価はその一つの指標だ」
―23年3月期の自己資本比率は88・9%と非常に高いです。
「バランスシート上の安全性を重視し、借り入れより内部留保を充実して成長投資に回す方針をとってきた」
―方針転換の理由は。
「一定の現金残高があり、自己資本も積んでいる。今後、投資していく上でも、配当を増やしてROEを高めるのがバランスのとれた戦略だと判断した」
―自社株買いの方針は。
「自己資本を調整しROEを高めるためにやってきた。経営の状況を見ながら常に意識し、機動的に行う」
―事業や人への投資の方針は。
「事業投資は成長のエンジンであり優先度は高い。成長投資をして、さらに配当性向100%や自社株買いといった施策もとらなければならない。人への投資も重視して、22年には人材開発を強化する制度も作った」
私はこう見る
軍資金減少、企業の命取り/りそなアセットマネジメント運用戦略部チーフ・ストラテジスト 黒瀬浩一氏日本企業のPBRが低調なのは、将来への成長期待が低いためだ。そもそも、日本企業は14年のガバナンス改革で求められたROE8%の達成に向けて、人件費や投資を減らして利益を捻出した。ROEは上がったものの、将来の成長期待が下がったため、PBRの低下につながったとみている。
PBRを上げるために、特別配当や自社株買いといった株主還元に力を入れれば、一時的に株価が上がっても、将来の成長期待にはつながらない。経営環境の変化、将来の成長に向けた軍資金が減るので、企業にとっては命取りになるほど重大なことだ。
本来は、脱炭素やDX、経済安全保障の強化に向けたサプライチェーン(供給網)組み替えといった「長期の設備投資」、リスキリング(学び直し)をはじめとする「中期の人的投資」、株主還元などの「短期の資本効率」の三つのバランスを取ることが重要となる。
そのためには総合的なベンチマークを用いるべきだ。(談)