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東海道新幹線初代「のぞみ」開発に込められた技術と使命

『東海道新幹線「のぞみ」30年の軌跡 この車両を作らなければ、未来はない』青田孝氏インタビュー
東海道新幹線初代「のぞみ」開発に込められた技術と使命

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1872年10月14日、新橋~横浜間の29kmを所要時間53分で結ぶ日本で初めての鉄道が開業し、今年で150周年を迎える。そんな記念すべき今年は、東海道新幹線「のぞみ」の運転開始から30周年でもある。
 1964年に0系「ひかり」が東京~新大阪間を結び、1992年には初代「のぞみ」(300系)が運転を開始。のぞみが誕生してから30年。700系、N700系、N700Aと技術は進化し、2020年にはN700Sがデビューする。
 のぞみの30年にわたるの技術の流れを、青田孝氏は書籍『東海道新幹線「のぞみ」30年の軌跡 この車両を作らなければ、未来はない』(交通新聞社)にまとめた。青田氏は、電車を体系的に捉えた『トコトンやさしい電車の本』(日刊工業新聞社)も発行している。

―東海道新幹線の初代「のぞみ」(300系)開発の全容をまとめました。執筆のきっかけは。
「版元の担当者に薦められたのがきっかけだ。2022年3月に初代のぞみは運行開始30周年を迎えたが、それに合わせて開発の過程を残そうという企画だ。ただ、参考資料として渡されたのがJR東海の技術者が専門誌に書いた記事だけだった。専門的で一般読者が理解するのは難しい。白紙の状態で、多くの関係者から話を聞いた。JR東海の浜松工場や大井車両基地、小牧研究施設なども取材し、ようやく完成した」

―初代のぞみは東京―新大阪間を2時間半以内で結ぶことが至上命令でした。
「JR東海が1987年4月に発足したが、収益の8割を東海道新幹線に頼っており、飛行機との競争も激しくなる中、新車両の開発は避けられなかった。しかし、従来より約20分も時間を短縮し、最高速度も50キロメートル速い270キロメートルにする必要があった。東海道新幹線ならではの車両の振動対策や沿線の騒音問題、地震対策もあった。車両にアルミニウム合金を採用し、グラム単位の軽量化を図ったが、『本当にこんな軽い車両が走るのか』と懐疑的な声もあった。また、速度制御の難しい交流の電動機も初採用した。開発には想定外のことが起きたが、それを技術者がどう解決してきたのか私個人としても興味深かった」

―初代のぞみ開発の意義は。
「ある意味、人々の生活を変えた。東京と大阪間の日帰り出張は当たり前になったし、名古屋圏との結びつきも強くなった」

―取材で印象に残った人は。
「20人以上から話を聞いたが、元執行役員の上野雅之氏(現東海交通機械社長)は印象的だった。初代のぞみから最新型の『N700S』までJR東海の新幹線開発すべてに携わった数少ない技術者で、この本は上野氏の協力なしにできなかったろう。初代のぞみ開発当初は世の中はバブル景気で浮かれていたが、開発にあまりに集中していて、当時世の中がどう動いてどんな曲や言葉がはやっていたのか全く覚えていないとか」

―初代のぞみの開発は日本のモノづくりの力を改めて示しました。
「日本の鉄道車両産業は設計するのは鉄道会社で、車両メーカーは主に組み立てを担当する。部品を作るのは中小企業が多い。初代のぞみを製造するとき軽量化などかなり無理な注文があったが、応えてきた。それに新幹線車両は製造ロットが少なく、大量生産に向かない産業構造だ。中小企業の技術がないと支えられない。日本のモノづくりは中小企業の専門的な技術が支えている。中小企業が健在な限りは新幹線も健在だろう」

―20年7月にN700Sが運行しました。
「新幹線の進化の過程を知ってからN700Sに乗ると面白い。以前の新幹線なら感じていた揺れ、振動などを感じない。減速もすーっと落ちる感じだ。ただ、これが新幹線の到達点ではない。JR東海はN700S最初の1編成を試験用として残して技術開発を続けていて、まだ次を目指している。JR東海の技術者たちは本当に満足を知らない」(編集委員・小川淳)

◇青田孝(あおた・たかし)氏 フリーランス
毎日新聞社で編集委員などを歴任後退社。日本記者クラブ会員として、フリーランスの立場で執筆活動を続けている。著書は『鉄道を支える匠の技』(交通新聞社新書)、『トコトンやさしい電車の本』(日刊工業新聞社)など。東京都出身、74歳。

『東海道新幹線「のぞみ」30年の軌跡 この車両を作らなければ、未来はない』(交通新聞社 03・6831・6700)

関連書籍:『トコトンやさしい電車の本』(日刊工業新聞社)

日刊工業新聞2022年6月20日

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