国内初のスキューバーダイビング専門誌、倒産を決定付けた部数減だけじゃない理由
月刊誌『マリンダイビング』を出版していた水中造形センターは、7月30日に東京地裁より破産手続き開始決定を受けた。同社は、1958年に水中写真の草分けとして著名な海中写真家である舘石昭氏によって創業、77年12月に法人改組された出版業者。
当時は個人で水中撮影を請け負い、数々の水中撮影に関する実績を重ね、69年に国内初のスキューバーダイビング専門誌『マリンダイビング』を創刊した。法人化後は主力の『マリンダイビング』のほか、『世界のダイビングブック』『ダイビングガイド』なども出版。80年代のバブル景気の最中、スキューバーダイビングブームが到来し、同社の業績も拡大。87年9月期は5億2000万円であった売上高は、91年9月期の年売上高は10億円を突破し、バブル崩壊後も売り上げは伸長。97年9月期には売上高約13億1000万円を計上、以降、2004年まで年商10億円を維持していた。
しかし05年に年商10億円を割り込むと、出版不況の煽りを受け売り上げは漸減。その後も、リーマン・ショックにより広告収入が落ち込むなど、事業環境が悪化し、19年9月期の年売上高は2億9500万円まで減少していた。
こうしたなか、20年は新型コロナウイルス感染が拡大し、収入源の一つだったイベント「マリンダイビングフェア」の開催時期を4月から8月に変更せざるを得ず、また例年に比べ小規模での開催にとどまっていた。加えて広告収入、出版物の売り上げも低調に推移し、同年9月期は4300万円の赤字を計上。金融機関からの支援を受け、売り上げ回復に尽力したが、新型コロナ感染の再拡大もあり、事業継続を断念した。
同社の倒産要因は、出版不況と新型コロナによる業績不振だろう。出版不況で従前より厳しい事業環境のなか、新型コロナによって大きな収入源を失ったことが決定打となった。
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