『サピエンス全史』が喝破した貨幣の価値、電子マネーの全盛の現代で物質的現実から解き放つ
ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』のなかで、貨幣は物質的現実ではなく、心理的概念であると述べている。たしかにそのとおりだ。ドルや円といった紙幣は、物質的現実としては新聞やチラシと変わらない。紙幣の価値は人々の想像のなかにしかない。
本質が心理的概念だから、物質的現実はなんでもいいということになる。事実、硬貨が発明される前には、さまざまなものが貨幣の役割を果たした。貝殻、塩、穀物、布など。現代でも収容所や監獄ではタバコが貨幣の役割を果たす。
ぼくたちになじみ深いのは貝殻だろう。貨幣の「貨」にも、購買の「購」にも「買」にも、みんな貝が入っている。主にタカラガイの貝殻が使われたらしい。袋に入れて持ち運べることや、腐ったりネズミなどにかじられたりしないことから重宝されたのだろうか。
なぜ貝殻が貨幣として機能するのか。万人が貝殻を信頼しているからだ。この信頼関係のおかげで、誰でも貝殻を持っていけば米や肉や野菜や衣服などを手に入れることができた。
これが物々交換だと大変だ。まず交換するための作物を育てたり、動物を飼ったり、布を編んだりしなければならない。そうした生産手段を持たない人は飢えるしかない。身寄りのない寡婦は性行為と貝殻を交換することで、自分と子どものための食糧を得ることができたかもしれない。貨幣はネガティブなかたちで弱者救済の役割も果たしただろう。
ところで最初の硬貨は紀元前640年ごろに古代ギリシャで造られたらしい。材質は金と銀である。お隣の中国では春秋・戦国時代に青銅で造られた貨幣が登場する。当初は鋤(すき)の形をしたものや、刀の形をしたものなど、国ごとにさまざまな貨幣が流通していた。やがて秦の中国統一に伴い、貨幣も統一されることになる。半両銭と呼ばれる、丸に四角い穴のあいたおなじみの貨幣である。
貝殻からはじまった貨幣は、金や銀などによる硬貨の時代を経て紙幣、さらには電子マネーへと進化を遂げる。古代人がタカラガイを信頼したのと同じように、ぼくたちは0と1が並んだ電子データを信頼しているらしい。いまや貨幣はいかなる物質的現実からも解き放たれようとしている、ということだろうか。