時間の流れの感じ方。直進?循環?今の時代に合うのは…

作家・片山恭一が考える、デザインのチカラ

  • 1
  • 0
新たな時間のデザインが求められている

ぼくたちは時間を直線のイメージでとらえている。それは過去から未来へ向かって一方向的に直進する。量的に無際限な時間は、空虚といっていいほど抽象的でとらえどころがない。そんな時間意識とともに、ぼくたちは生きている。

しかし過去の人たちは別の時間意識をもっていたらしい。レヴィ=ストロースが「冷たい社会」と呼んだ原始的共同体を生きる人たちにとって、時間とは根本的な変化をもたらさないもの、変化してはならないものだった。可逆的でもあり、移り行きながらも反復されるものだった。彼らにとって価値あるのが、年ごとに実りをもたらす木々や植物のように繰り返すもの、獣や鳥や魚のようにとり尽くさないかぎり再生的なもの、大地や山や川のように恒常的なものだったからだろう。自然と融合した暮らしのなかでは、「時間のない時間」のほうが現実的だった。

やがて円形や循環という新しい時間のデザインが生まれる。起源はインドとも古代ギリシャとも言われるが、いずれにせよ、ここから人間の不幸がはじまった気がする。なぜなら円環する時間意識のなかには「無限」という観念が潜んでいるからだ。無限にあって、わずか100年足らずの人間の寿命ははかないものだ。

一方でユダヤ・キリスト教は、直進する不可逆な時間という別のデザインを考えた。おそらく彼らの境涯が受難に満ちていたからだろう。こんなことが繰り返されてはたまらない。そこから「終末」という観念が生まれる。最後の審判の日は刻一刻と近づいている。もちろん信仰のなかでは、神による救済という受け皿が用意されているわけだが。

しかし神が歴史の表舞台から去ると、世界はただ唐突に終わり、消滅するものでしかなくなる。同じように人間の生も、過去から未来へと無際限に流れつづける時間のなかでは刹那的なもの、せいぜい100年足らずで終わり、すべてが虚無と化す。人生はむなしい。寿命が100年や200年延びたところでどうしようもない。

時間のデザインが間違っているのかもしれない。与えられたものを精いっぱい享受するための、新たな時間のデザインが求められているのではないだろうか。

日刊工業新聞2020年12月25日

キーワード
片山恭一 時間

関連する記事はこちら

特集