トランプが示すしたのは国民の“消滅”、国家が壊れ「むき出しの私性」が世界に広がる
本音ではオバマに...
2016年、写真家の友人とともにアメリカ西海岸を旅した。旅の終わりにロスのビーチで、アメリカ在住の日本人女性ジャーナリストとビールを飲む機会があった。6月末のことで、すでに11月の大統領選挙は、民主党のヒラリー・クリントンと共和党のドラルド・トランプによって争われることが決まっていた。アメリカ人は今度の選挙をどう見ているのかたずねると、彼女はちょっと困った顔をして、「本音ではオバマにもう一期やってほしいと思っている人が多いんじゃないかな」と答えた。
もちろん民主党の地盤であるカリフォルニアでの話であり、ジャーナリストである彼女の周辺にはリベラルな立場の人が多いのかもしれない。そんな人たちのなかでも、「ヒラリーじゃあねえ」という空気が強かったわけだ。アメリカの有権者のなかにも、トランプの未知に賭けてみるという人は多かったのではないだろうか。
その後の4年間で、トランプは世界をたっぷり失望させてくれた。少なくともぼくには、あの幼児性と傲慢さは耐えがたい。ところが今回の選挙で、彼はなかなか健闘している。最終的にはバイデンが大統領になるわけだが、有権者のほぼ半分がトランプを支持していることは間違いない。しかも選挙の様子を見ていると、バイデンが個人的に支持されているわけではなさそうだ。「反トランプ」ということで結果的に票が行ったようにも見える。
それにたいしてトランプの支持者には熱狂的な人が目立つ。現地からのテレビ報道には「彼は歴代最高のアメリカ大統領だ」と力説している支持者も映し出されていた。選挙結果は別にして、アメリカの有権者の半分が、4年間の実績を見てトランプを支持している。これはどういうことなのだろう?
トランプはヒーロー
2018年7月に、再びアメリカを訪れた。今回は同じ西海岸でも北部のワシントン州である。シアトルでアマゾンやマイクロソフトの本社を見学したあと、ワインの産地として有名なヤキマやワラワラといった内陸部をまわる。小さな町を車で走っていると、あちこちに選挙ポスターが掲示してある。11月に行われる中間選挙に向けてのものらしい。ほとんどが共和党の候補者だ。
昼ごはんを食べようと道路沿いのマーケットに入ったときのこと、店内の通路にボードが置いてあり、ジョン・ウェインやクリント・イーストウッドのレリーフが掛けてある。そのなかにドナルド・トランプがいるではないか。しかも何種類もある。「10ドル」という値札が付いているかられっきとした売り物なのだろう。ここでは彼は正真正銘のヒーローなのだ。
ワシントン州の南東部には小麦を作っている農家が多い。車で何時間も走っても、広大な麦畑が延々とつづく。そのなかにぽつんぽつんと人家が現れる。こんなところで農業をやっている人たちにとって、トランプは心強いのかもしれないと思った。嘘も含めて言いたいことを言い、相手かまわずに罵倒する彼に声援を送っている人も大いに違いない。少なくともオバマやクリントン夫婦、さらにバイデンよりは、孤立無援で闘っている(ように見える)トランプのほうが共感を呼ぶのだろう。
アメリカという国から国民が消滅
2016年と2020年、二度の大統領選挙におけるトランプの健闘が象徴しているのは、一言でいえば「国民」の消滅だと思う。アメリカという国から国民が消滅している。ただ民主党を支持したり、トランプを応援したり、そのトランプを世界の脅威と批判したり、バイデンこそ悪だと毛嫌いしたりする、個々のアメリカ人がいるだけだ。それはヨーロッパ諸国でも日本でも同じだろう。国家はあっても国民はいない。ただ人が個別に何千万か何億か集まっているに過ぎない。
国家が壊れかけていると言ってもいいだろう。もはや国家は国民を守れなくなっている。国民も「自分たちを守れ」とは言わなくなっている。ただ「自分を守れ」と言っている。「他国や他人のことはいいから、この国で真面目に働いている自分を守れ」という人たちがトランプを支持している。実際にトランプが何をしてくれるかは怪しいものだ。だがそれはバイデンも民主党も同じだろう。
これだけ広い土地があり、たくさんの作物ができるのに、どうして外国から輸入しなければならないのか。この土地でできたものを食べる。自分たちの国で作られた自動車や家電製品を使う。それでいいじゃないか。中国から安い農産物を輸入したり、メキシコから時給の安い移民を受け入れたりするからおかしくなるのだ。自国の民が自分の国で働き、自分たちで生産したものを消費する。カネはそのためのものだろう。ところが南から来た連中はどうだ。稼いだ金はこの国で使わずに故国の家族へ送る。だからアメリカはうまくいかなくなる。戦争でもなんでも負けてばかりだ。
トランプの言葉は、個々人の私情に訴える。きわめて私性の強い彼のメッセージに、多くのアメリカ人が共感しているのだと思う。国民を守れなくなっている国家に、正義や道義を期待してもしょうがない。この自分に何をしてくれるか、それだけが選択の基準になる。儲けさせてくれるのか、景気を良くしてくれるのか、大口を叩くパフォーマンスで楽しませてくれるのか。
アメリカでもヨーロッパ諸国でも、個人主義というよりはもっとむき出しの私性が前面に出てきている。個人主義が根付いていないと言われる日本でも同様だ。世間にも私性はある。むしろ世間こそ私性そのものかもしれない。国家や民主主義の先を考える段階にきているのだと思う。(作家・片山恭一)
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