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人はいつから星空を見上げるようになった?ラスコー、ストーンヘンジ、ガリレオ、ニュートン...

人間はいつごろから星空を見上げるようになったのだろう。洞窟に住んでいたころから夜空を見ていたのだろうか。きっとそうだろう。ぼくたちは毎夜、ラスコー洞窟の壁画を描いた人たちと同じ夜空を見上げているのである。夜空を見てほっとするのは、星も月も変わらないせいかもしれない。街の景色は半年か一年でめまぐるしく変わるけれど、頭上の星空は変わらない。この数万年、ほとんど変わっていない。

ストーンヘンジが古代の巨石天文台であったことは、いまでは定説になっている。巨石が計算尺のような役割を果たしていて、これを使うと月と太陽の出入りなどをかなり正確に予測できるらしい。世界中のあちこちに同じような遺跡が残っているという。中世になるとヨーロッパの主要都市に天文台が作られる。

といっても文字通りの天文台ではない。かつては日本でもお寺の鐘が時間を告げた。彼の地において時間を管理するのは教会だった。というわけで教会が最先端の天体観測所となった。なにより教会の大聖堂は当時の高層建築である。文献や資料も揃っている。現在のようにハワイのマウナケア山頂に天体観測所を建てるというわけにはいかないから、そういうところで天体観測をしたのだろう。

ニコラス・コペルニクスはカトリックの司祭だった。地動説についてまとめた論文を、彼は生前にはけっして出版しようとしなかった。それはそうだろう、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイは異端者として有罪となり、無期懲役を言い渡された。後に減刑(監視付きの館で軟禁)となるが、死後も名誉は回復されず、カトリック教徒として葬ることも許されなかった。スピノザはレンズ磨きで生計を立てながら『エチカ』を書いた。

彼はオランダ人だが、ティコ・ブラーエはデンマークの貴族である。その弟子のケプラーは、諸惑星が太陽を焦点の一つとする楕円軌道上を動くという有名な「ケプラーの法則」を唱えた。さらに「万有引力の法則」を発見し古典力学の礎を築いたアイザック・ニュートン。他にも多くの天文学者や数学者や物理学者や自然哲学者たちが、それぞれに工夫を凝らして月や星を観察しつづけてきた。

ところで動物たちも、空を見上げて雲を眺めたりするのだろうか。ぼくは長く猫を飼っているけれど、彼らが空を見上げているところを目撃したことはない。たしかにポーズとして上を見ていることはある。それは空を見ているのでなく、宙を飛んでいる鳥や蝶を見ているのだろう。だからいつも全身全霊を込めて見ている。注視であり、凝視である。「喰ってやる」という気概をもって見つめている。ただ意味もなく空を観るのは人間だけかもしれない。

星空を見ていると泣きたい気持ちになるのはなぜだろう。大切な人がいまここにいてほしいと思うのは、脳のどういった働きによるものなのか。ラスコーの洞窟に暮らした先史時代の人たちも涙を流すことがあっただろうか。誰かのために、あるいは自分自身の秘密のために泣くことがあったのだろうか。彼らは泣くかわりに星空を見上げたのかもしれない。人間の歴史がはじまって以来、無数の名もない人たちが、夜空の星を見上げるふりをして涙を流しつづけてきたのだろう。そんなことを考えながら、今夜も星空を見上げる。(作家・片山恭一)

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