妖怪や鬼を作り出してきた日本人、「目に見えない恐怖」を変換する術

  • 0
  • 3

小さな子どものころ、風呂から上がって薄着でぐずぐずしていると、親たちから「ユザメが来るから早く寝間着を着なさい」とか「布団に入りなさい」とか言われたものだ。幼い子どもは「ユザメ」を「湯冷め」に文字変換できず、その不気味な語感におびえた。

なぜかスズメのような鳥の群れが襲来してくるさまを思い描いていたようだ。「ユザメ」という言葉から、そんなイメージをひねり出したのだろうか。あるいはいたずら好きの父が子どもたちを怖がらせるために、「ユザメには羽が生えていて、空を飛んでくるのだ」などと作り話をしたのかもしれない。

人は見えないものにおびえる。恐怖を乗り越えようとして目に見えないものに形を与えようとする。妖怪や魔物の類は、そうやってつくり出されたものだろう。目に見えるもののほうが御しやすいということだろうが、大人たちのたくらみで可視化された異形のものたちに、今度は子どもたちがおびえることになる。

「源氏物語」には多くの物の怪が登場する。特に有名なのは、夕顔や葵の上を取り殺す六条の御息所の物の怪だが、普通、物の怪というのは正体がわからない。だから「誰それの生霊ではないか」「怨念を抱いて亡くなったあの方の死霊ではないか」といった臆測を呼ぶ。一説によると、実名を口にすると実際に出現してくるおそれがあるので、あえて「モノ」という存在物を示す言葉を使ったらしい。

「鬼」も本来は目に見えないものだったようで、「隠(おぬ)」がなまって「オニ」になったという説もある。何が隠れているのかというと、それこそ死霊、生霊、地縛霊など多岐にわたった。そうした目に見えない超自然的存在を、平安京という条坊制によって合理的にデザインされた都市に暮らす人々は身近に感じ、リアルに恐れながら暮らしていたのだろう。

今年は新型コロナウイルスという、新手の目に見えないものにおびえて暮らした1年ということになりそうだ。物の怪や鬼におびえた平安時代の人たちの心情と、ウイルスという目に見えないものにおびえる現代の人々の心情は、それほど隔たっていないのかもしれない。それは遠く「ユザメが来る」という幼い日のおびえともつながっている気がする。

日刊工業新聞2020年11月13日

キーワード

関連する記事はこちら

特集