「シンギュラリティ」到達はいつ?AIの進化で気づかないうち経過

セカチューの片山恭一オリジナルエッセイ

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シンギュラリティというのは通常は「技術的特異点」と訳されているようだ。つまり「人間がAIに置き換わってしまう」という技術的な特異点である。しかしどこが「特異点」だったのか、ほとんどの人が気づかないうちに経過している可能性が大きいと思われる。

たとえばデジカメを見てみよう。撮影者が行っている「写真を撮る」という行為は、じつはカメラのなかに内蔵されているAIが行っている。カメラを構えているぼくたちは、その過程にほとんど関与していない。誰でもスマホで簡単に美しく鮮明な写真が撮れるのは、カメラがAI化したからである。

ピントを合わせたり、シャッタースピードと絞り値の組み合わせを調整したり、それまではカメラを持つ一人ひとりが経験によって習得していたことを、スマホに搭載されている小型コンピュータがプロ並みの精度でやってくれるようになった。猫の写真を一枚撮るにしても、外から入って来る光をセンサーが感知して画像を認識し、適正な露出を算出するために、あの薄いスマホのなかでは膨大な演算がなされているはずだ。

おかげでプロや専門家などごく一部の人にしかできなかったことが、ボタンに手を触れるといった簡単な操作によって、老人から子どもまで誰にでもできるものになった。それはそれで結構なことかもしれないが、写真を撮ることの中身はほとんどAIに置き換わっている。だからスマホやデジカメで美しい写真が撮れたといっても、自分の腕がいいのか機械に内蔵されたアルゴリズムが優秀なのかわからない。

いまでもお医者さんたちのやっていることの多くは、血液検査や画像診断などのデータに依拠している。こうしたデータから診断を下し、薬を処方したり治療方針をきめたりしている。つまり現在でも医者の仕事は、AIが行うデータ処理と非常によく似ているのである。病院などでぼくたちが対面するのは人間のお医者さんだが、中身はかなりの部分がAIに置き換わっていると言えるかもしれない。

今後はAIが医療の現場に参入してきて、お医者さんたちは病気の診断や治療方針についての判断を、医療用のアルゴリズムに頼るようになるだろう。医療行為用にプログラムされたAIが行うのは、数万から数十万という膨大な症例を参照して演算し、瞬時に的確な診断を下すことだ。診断の結果を人間の医師が患者に伝える。そして薬を処方したり治療方針を説明したりする。

クリストファー・スタイナーという人の『アルゴリズムが世界を支配する』という本によると、アメリカの大リーグで、どのピッチャーをマウンドに送るかを決めるのは、いまや監督ではなくてアルゴリズムだそうである。そのイニングに登場する打者、または似たタイプの打者を打ち取ってきたピッチャーは誰か、最近の登板数、ランナーを出しても盗塁させない技術はあるか、ホームとアウェー、デーゲームとナイトゲーム、天然芝と人工芝とで成績にばらつきはあるか、などのデータを瞬時に分析して、最適のピッチャーをマッチングさせてくれる。ピッチャー交替を告げるのは人間の監督だが、監督の中身のかなりの部分はAIに置き換わっている。

こんなふうにして、ぼくたちが知らないうちに人間の中身がAIに置き換わっていく。だからいつが「特異点」だったのかを見極めることはとても難しい。表面上はほとんど変わらないからである。ぼくたちを診察するのは人間のお医者さんだし、野球のチームを率いる監督はロボットではなく人間である。

しかし中身はまったく変わっている。きれいな写真を撮るのも、ぼくたちの心身の健康を見守り、適切なアドバイスを与えたり治療の選択肢を示したりするのも、できるかぎり好成績を上げるための選手起用を考えるのも、もはや人間ではなく膨大なデータを処理しているAIである。

いつも利用する最寄りの駅に歯科医院の広告看板が立っている。「歯の黄ばみ、気になっていませんか? 歯のホワイトニング、8000円~」以前、歯医者さんといえば虫歯の治療をしてもらうところだった。いまは健康な歯のアップグレードが歯科医の重要な仕事になっている。

こんな身近なところから、世界の風景は少しずつ変わりつつある。変わったことを意識しないうちに、そっくり作り変えられようとしている。あと10年か20年か後の人たちは、世界が様相を変えたことにすら気づかないかもしれない。変化が目にとまる時代を生きているぼくたちが、いま考えられることを考えて、未来の世代に残さなければならないと思う。

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