ホンダ「F1撤退」、身を切る改革で4輪事業は立て直せるか

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広告デザインのない「アースカラー」で環境の重要性を訴えた(ホンダウェブサイトより)

ホンダは世界最高峰の自動車レース「フォーミュラ・ワン(F1)」から2021年シーズンを最後に撤退を決めた。世界で環境対応の強化が求められる中、電気自動車(EV)など二酸化炭素(CO2)排出削減に貢献する技術の開発に経営資源を振り向ける。4輪事業の改革を加速し、自動車業界が直面する100年に1度の大変革に対応する。(西沢亮、松崎裕)

■カーボンフリーにチャレンジ

「カーボンフリーへの対応も重要なチャレンジになる。そこに技術者のリソースを傾けるべきだと判断した」。ホンダの八郷隆弘社長はオンライン会見でF1撤退の狙いをこう強調した。

併せて50年に企業活動で排出するCO2を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」を実現する目標も新たに示した。そのカギを握るのが、CO2を出さない燃料電池車(FCV)やEVなどの動力発生装置「パワーユニット」の開発だ。

同社は30年に世界で販売する4輪車の3分の2をハイブリッド車(HV)を含めた電動車にする目標を掲げる。その一環として4月に子会社の本田技術研究所の体制を一新し、新組織「先進パワーユニット・エネルギー研究所」を設立。新たなパワーユニットの開発を始めており、F1の技術者も投入してカーボンニュートラルの実現に力を注ぐ。

ホンダは15年にパワーユニットのサプライヤーとして4度目のF1参戦を果たした。航空機エンジンの技術を生かしたパワーユニットの性能向上などを通じ、八郷社長は技術の進歩と「カーボンニュートラルを実現できる若い技術者が育った」と成果を強調する。

オンライン会見でF1撤退を発表した八郷ホンダ社長

F1のパワーユニットは内燃エンジン、エネルギー回生システム、電池などで構成するハイブリッドシステム。エネルギーマネジメント技術などが求められるが、動力の中核はエンジンだ。30年までの電動化はHVを中心に進めるが、八郷社長は30年以降は「エンジン開発を縮小しながら電動パワーユニットに振り向ける」と明言。EV開発などを加速する中、F1参戦の意義が薄れることも撤退要因と言えそうだ。

■グローバル戦略、痛み伴う改革断行

ホンダは4輪事業で低収益にあえぎ、構造改革を進める。20年3月期の同事業の営業利益は1533億円。売上高が5分の1の2輪事業の営業利益(2856億円)より小さい。売上高営業利益率は1・5%。17年3月期の約5%から下降傾向が続く。

このため日欧の工場閉鎖などで22年までに生産能力を19年比約1割削減する。中国を除くグローバルの工場稼働率を22年に100%に高め、生産コストを25年までに18年比で1割引き下げる。25年までに「シビック」などグローバルモデルの派生数を19年比3分の1にする。部品共有を高める設計手法も導入して開発工数を3割減らすなど、痛みを伴う改革を断行する。

構造改革で閉鎖を決めた狭山工場(埼玉県狭山市)

一方で、9月には米ゼネラル・モーターズ(GM)と北米の4輪事業で戦略提携の検討を始めると発表。ガソリンエンジンやハイブリッドシステムを含めた車台の共通化などを模索し、早ければ21年にも共同作業に乗り出す。GMとはEVの共同開発も進めている。

独立志向が強いホンダが提携を拡大する背景には100年に1度の変革がある。自動運転や電動化など「CASE」をめぐる競争で20年3月期の研究開発費は8214億円。新型コロナの影響を受ける21年3月期は5%の増加を見込む。

■英仏、ガソリン車禁止

世界で環境規制の強化が進み、英国が35年、フランスが40年までにガソリン車の新規販売を禁止する方針。米カリフォルニア州は9月、35年までに同州でのガソリン車の新車販売を禁止する方針を発表した。

EV開発では最大手の米テスラが基幹部品の電池セルを内製するなどし、3年後をめどにガソリン車並みとなる約260万円のEVを販売する方針を示したとされる。ホンダは10月末に国内初の量産EV「ホンダe=写真」を発売。航続距離を約280キロメートルに留めたが、価格は450万円を超える。

ホンダにとってF1ブランドは大きく、F1挑戦を夢見て入社する技術者もいる。八郷社長はカーボンニュートラル実現はF1同様に難しい挑戦とし、「ホンダに入りたいと思う人が出るように商品や技術をしっかり出していき、それを見守っていただきたい」と述べた。F1の4度目の撤退は重い決断となった。だが、EVなど環境分野での巻き返しという大きな挑戦を加速していく。

■メッセージ発信続ける

ホンダのF1の歴史は1962年に始まった。欧州勢が強いF1に創業者・本田宗一郎氏が参戦を決め、64年に日本の自動車メーカーとして初めて参戦した。当時は2輪事業が軌道に乗り、市販用4輪車を開発し始めたころ。4輪車メーカーとしての進化という挑戦を前に、より厳しい環境に飛び込んだ。

宗一郎氏は「レースをしなけりゃクルマは良くならん。観衆の目前でシノギを削るレースこそ世界一になる道だ」との思いで挑戦。日本製マシンとして初めてF1を走り、参戦2年目で初勝利を挙げた。4輪車のエンジン技術や車体技術が世界に通じた瞬間だった。

その後もホンダはF1で進化を遂げ、83―92年にかけてマクラーレン・ホンダなどとして黄金時代を築いた。アラン・プロスト選手とアイルトン・セナ選手を擁した88年は、16戦中15勝の快挙を成し遂げた。一方、リーマン・ショックによる世界的な景気の悪化で2008年に撤退するなど、参戦と撤退を繰り返す歴史でもあった。

ホンダのモータースポーツ活動が4輪事業に与えた影響は大きい。限られた排気量の中で高出力を得るためのエンジンの高回転化、電子制御による燃料噴射システムはエンジンの燃費性能を高め、市販車にも導入されている。F1の経験が4輪車への技術開発につながっている。

セナ選手(中央)らを擁し88年は16戦中15勝を挙げる(ホンダウェブサイトより)

4度目の参戦となったのは15年。前年の14年にF1の規定が大きく変わり、エネルギー回生システムを併用したハイブリッド型パワーユニットが導入された。ホンダは先進技術追究のため、再参戦を決めた。「レッドブル・レーシング」「アルファタウリ」にパワーユニットを供給し、20年は10戦を終えて2勝を挙げている。航空機エンジン技術の活用など総合力を発揮し、エネルギーマネジメント技術をF1に転用することで高い競争力を実現した。

F1と環境への関わり方も象徴的だった。07年にマシンカラーリングを一新。F1の伝統的な広告デザインをやめ、環境の重要性を訴える地球をイメージした「アースカラー」を採用した。ホンダは現在のF1活動においてもエンジンの高効率化など技術追究を続け、環境に対するメッセージを発信し続けている。

日刊工業新聞2020年10月5日

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