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「 果物の缶詰」から見える、日々の暮らしとデザインの接点

セカチュー作家・片山恭一
「 果物の缶詰」から見える、日々の暮らしとデザインの接点

夏のひととき。子どもたちの楽しみはお中元の缶詰だった

いまはデザインの範囲が非常に広くなった。生活の中にコンピューターが入ってきたせいで、ロゴやウェブなどのデザインが身近になった。グランドデザインといった言葉も一般化している。柔らかな語感が好まれるようだ。社会学的な文脈ではコミュニケーションをデザインするといった具合だ。多岐にわたるデザインを、日々の暮らしとの接点から拾い上げていきたい。あまり専門的な難しい話にはならないと思う。お気軽にお付き合いください。

子どものころ、お中元やお歳暮は楽しみだった。お中元の定番は缶詰で、他にはそうめんやジュースが多かったように思う。「カルピス」の3本セットとか、子どものころはうれしかったなあ。

ビールはあまり見かけなかった気がする。まだ缶ビールが普及していなかったせいかもしれない。贈答の品というのは、風呂敷に包んで持参するものだった。そして玄関先で「お世話になっております」とあいさつしてから手渡しする。だからビールの大瓶が24本も入ったケースを担いでごあいさつに伺うというのは、力士かプロレスラー以外はあまりやらなかったのではないだろうか。

一番のお目当ては果物の缶詰である。黄桃、白桃、みかん、みつ豆といったところが主なラインアップだ。1列に並べた缶詰を前に、妹と「今日はどれを食べようか」と相談する。白桃などは最後に残しておく。みかんのように人気のないものから食べていく。さあ、缶を開けるぞ。もちろん缶切りである。いまのようにプルリングを引っ張って開けるのではない。

缶詰セットに付属したチープな缶切りを使っていたように思う。1枚の鉄の板を曲げて、片方を取っ手、もう片方を刃にしたデザイン。栓抜きも付いていない。シンプルきわまりない缶切りを一人前に扱えるというのが、お兄ちゃんの印である。幼い妹にはまだできない。

「グリグリグリ」と少しずつ切っていく。中から甘いフルーツの香りが漂ってくる。セミが鳴き、ヒマワリの咲く夏休み。子どもたちにとっては至福のひとときだった。

片山恭一氏

【略歴】かたやま・きょういち 81年(昭56)九大農卒、同大学院博士課程中退。86年に『気配』で『文学界』新人賞を受賞。95年に『きみの知らないところで世界は動く』で単行本デビュー。01年の『世界の中心で、愛をさけぶ』が累計320万部以上のベストセラーとなり、“セカチュー”現象を巻き起こした。19年の『世界の中心でAIをさけぶ』で再び話題を集めている。愛媛県出身、61歳。

日刊工業新聞2020年8月7日

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