ブラック・ライブズ・マターで考える1%の超富裕層と私たちの関係

セカチューの片山恭一オリジナルエッセイ

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99%の命こそ大切だ

アメリカの白人警官による黒人男性の死亡事件に端を発した「ブラック・ライブズ・マター」に、世界が呼応している。「黒人の命は大切だ」「黒人の命も大切だ」「黒人の命が大切だ」……日本語って面白いよね。助詞の使い方によって文章のニュアンスが微妙に変化する。英語や中国語に助詞はないんだよ、といったことをぼくは塾で中学生に教えている。

それはともかく、かつて黒人差別をめぐる抗議運動は、1965年のワッツにしても1992年のロサンゼルスにしても、白人たちの非道に怒り心頭に発した人たちが抗議の声を上げ、それが街を巻き込んでの暴動に発展するというケースが多かった。だからワッツ暴動やロサンゼルス暴動というように、地名とともにいまも記憶されているのだろう。今回、発端となった事件はミネアポリスで起こったが、抗議運動は瞬く間にアメリカ全土に広まり、さらに世界に飛び火した。「ブラック・ライブズ・マター」というスローガンが国や人種を超え世界中に広がっていることが、いかにも現在を感じさせる。

毎年、世界の貧困の克服に取り組んでいるオックスファムという国際的なNGOが、経済格差にかんする推計データを発表している。それによると今年は、世界の富裕層の上位2100人の資産が世界の総人口の6割にあたる46億人分の資産を上回るという結果になった。これは世界でもっとも富裕な1%が所持する富の合計が、その他の69億人が持つ富の2倍以上ということでもあるらしい。

いずれにしても、すさまじい富の偏在が生じていることは間違いない。そのことが皮膚感覚として、世界中の人たちに広く共有されているのではないだろうか。つまり「ブラック・ライブズ・マター」の「ブラック」は99%の象徴であるとも言える。多くの人が「おれたちの命を大切にしろ」と訴えている。「99%の命こそ大切だ」と声を上げている。

ユヴァル・ノア・ハラリは『ホモ・デウス』や『21 Lessons』といった近著のなかで、「無用階級」という言葉を使っている。AIによる雇用破壊によって多くの人が労働市場から追われ、人類の大多数が無用な存在になるということである。彼らは政治的にも経済的にも力を持たないので、無用であるとともに無価値である。ぼくも、おそらくあなたも、このなかにカウントされる。

しかし1%の人たちだけではビジネスは成り立たない。商品やサービスを買ってくれる、無用で無価値な99%がいてくれなくてはならない。彼らは自らが価値を生み出すことはないけれど、天然資源と同様にそこから価値を引き出すことができる。つまり社会的リソースや公共的身体として必要なのである。天然資源を枯渇させてはならないのと同じように、99%を枯渇させてはならない。彼らを枯渇させないためには毎日餌を与え、水や日光を与える必要がある。

GAFAがお金を配る?

というわけで、これからはベーシックインカムのようなことが、いろいろと考え出されてくるはずだ。それは99%よりも、むしろ1%にとって必要なのである。具体的にはGAFAのようなところが主体となって、現実的な仕組みをつくり上げていくだろう。彼らはお金も力ももっているので、かならず実現させるはずだ。

なるほど1%が考えていることはわかった。では99%に入る可能性の高いぼくたちはどう考えればいいのだろう?

「1%に養わせてあげている」と考えればいいのではないか。

99%のぼくたちを養うために、彼らは一生懸命に働いてくれている。プール付きの豪邸を何軒も所有したり、高級車をとっかえひっかえ乗り回したり、きれいなおねえさんを何人もはべらせたりする程度のことは、大目に見てあげようではないか。そんなことをいくらやっても、好きな人に花を一輪贈ることの幸せには敵わない。

これからの幸せな生き方とは

1%の超富裕層よりも、タダでお金をもらって暮らす99%のほうが幸せという生き方を発明しよう。お金はスマホと同じ最低限のインフラである。その程度のものでしかない。必要だけれど、それで幸せにはなれない。消費や交換によって、人は幸せにはなれない。幸せは発明するものだ。一人ひとりが創造するものである。

これからは誰もがクリエイターになる。ただお金を儲けるよりも、よほど難しいかもしれない。それだけやりがいもあるというものだ。これまで以上に充実した人生が送れるだろう。

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