瀧口製作所はなぜホームドアの試作品作りでJRに指名されたのか
「これは何としてでもやるべきだ」。2015年夏、瀧口製作所(東京都大田区)社長の古田茂樹はJR東日本メカトロニクス(JREM)の村木克行を前に心の中で呟いた。駅のホームドアを共同開発して貰えないか。急な打診だった。1936年に創業し、公衆電話機の筐体(きょうたい)など多くの製品を受託生産してきた。無理難題とも思える要望にも応えてきた自負があった。鉄道分野は未経験だが、迷いはなかった。
古田は2013年の社長就任時に、社会貢献を一つの柱として打ち出した。OEM(相手先ブランド生産)メーカーだけに手がけた製品を声高にアピールする機会は少ないが、公共性の高い事業の受託は社員のやりがいにもつながる。JREMからは実用化どころか、試行導入も決まってない試作品と念を押されたが、古田の決意は揺るがなかった。瀧口の社内でも商売につながるかわからない案件だけに不安視する声もあったが、古田は快諾した。
「鉄道を知らない会社に頼みたかった」。JREMの村木は瀧口を選んだ理由を語る。JR東グループがこれまで設計から生産まで一貫で委託していた企業は付加価値の高い設計開発を自分たちでやりたいはず。誘いに乗るとは思えなかった。
常識にとらわれず、チャレンジ精神あふれる会社。そうした企業はないか。血眼になって探し、たどりついたのが瀧口だった。「お客さまのやりたいことをお手伝いする」、「自ら考え、提案するスペシャリスト」。ホームページからにじむ瀧口の企業としての姿勢に胸を打たれた。
もちろん、村木の一存で鉄道の実績が全くない企業と提携できない。瀧口を含め計5社の企業にヒアリングを重ねたが、瀧口のホームドア試作にかける意気込みが村木には最も響いた。瀧口以外に考えられなかった。経営陣も理解を示し、15年12月に瀧口がパートナーに決まった。共同開発は昇り龍のような成長を願い「ドラゴンプロジェクト」と瀧口の社内で名付けられた。だが、相思相愛で生まれた「ドラゴン」はこの後、数カ月、飛翔する気配を見せなかった。(敬称略)