新しい発想は偶然から…大ヒット玩具「∞プチプチ」生んだアイデア論
丸いボタンのような気泡が無数に並ぶ「気泡緩衝材」を見ると、無性にプチプチ潰したくなる。そんな欲求を無限に叶えるオモチャとしてバンダイから2007年に発売された「∞(むげん)プチプチ」は国内外で累計335万個を売り上げ、空前の大ヒット商品になった。この生みの親である高橋晋平さんは14年にバンダイから独立して株式会社ウサギを立ち上げ、おもちゃクリエーターとして活躍している。
足元では「気泡割り専用アラビックヤマト(※)」という一見意味が分からない商品も話題になった。そんな高橋さんに「∞プチプチ」を発想したきっかけや自身のアイデア発想法などを聞いた。(聞き手・葭本隆太/写真・成田麻珠)
※気泡割り専用アラビックヤマト:液状内の気泡をうまく動かし気泡を二つに割るなどして遊ぶ疑似感触オモチャ。気持ちよく割ったりつなげたりして遊べるように容量などを最適化している。ノリとしての使用は推奨されておらず、遊ぶためだけの文房具という商品。10月30日には誰が一番早く、そしてきれいに気泡を割れるかを競う大会を都内で開いた。40人ほどが参加したという。
入社1年目の思考に立ち返った
―「∞プチプチ」のアイデアはいつどのように生まれたのですか。
バンダイ入社3年目です。企画会議を控えた前日の深夜に社内をうろうろしていたら梱包用のプチプチがあり、それがボタンに見えました。その柔らかい感触をスイッチで作れるのではないかと考えたのが発想のきっかけです。当時はボードゲーム担当だったのですが、「ニンテンドーDS Lite」が登場したころでアナログゲームの人気はどん底。担当として売り上げを作らないといけないけど、企画を出しても通らず「無理な戦いじゃん」と思って軽くキレていました(笑)。企画アイデア会議の前日、深夜に会社のオフィスで変なテンションになって、「明日、ゲームではない企画を出してやろう」と思ってしまい、半ばやけくそで提案しました。
ストラップにした理由はガラケー全盛の時代で、雑貨店のオモチャ売り場がストラップ売り場に取って代わられていて、うらやましいと思っていたからです。
―プチプチを見てオモチャをイメージできたのはなぜでしょう。
入社1年目に上司に課せられた「アイデア1000本ノック」の経験があったからだと思います。1年でオモチャのアイデア1000個を考えました。自分はアイデア力があるから1000個は余裕かと思っていたのですが、200個くらいで完全に発想が止まって。そのときに万物をオモチャにしてはどうかと思いました。例えばイスが目に入ったらそれをモチーフに考える。その「ランダム思考」によってどんどんアイデアが出るようになりました。
ただ、入社2、3年目になるといろいろなことを覚えて単なるランダム思考では駄目だと思い、ロジカルに考えて偶然に任せることを忘れていきました。ボードゲーム担当になってからも市場や過去の成功事例を分析して理屈付けで考えていました。そんな中で、翌朝に会議を控えた深夜という追い込まれた状況になったとき、無意識にランダム思考に立ち返ったのだと思います。
―追い込まれた時に目の前にプチプチがあったからこそ生まれたのですね。
「∞プチプチ」の最初の発想は偶然です。でも新しい発想とは偶然を拾うことだと思っていて、その確率を上げることが大事だと考えています。今では(それを実現し得る)ランダム思考を使うように立ち返ったのですが、「∞プチプチ」はそのきっかけになりました。
初めて逆らった
―ただ、そのアイデアも当初の企画会議の反応はよくなかったと伺いました。
誰も反応せず、怖い上司から「ゲームは?」と聞かれました。ゲームの企画会議なので当たり前です。そのとき私は「これはゲームです。1人1―3回プチプチを押しながら回して100回目を押した人が負けです」ととっさに言い訳をしました(笑)。それから何のコメントもなく会議は終わりましたが、私には「変なものをぶち込んでやった」という高揚感が残りました。自分で言うのもあれですが、それまで自分は優等生だったので。それでなんとか実現したい思いが強くなりました。
―それから商品化をどう実現したのですか。
プレゼンテーションをして営業責任者などに問いたいと怖い上司に相談して「ダメ。意味が分からないし、脈絡がなさすぎる」と却下されたのですが、引き下がれなくなっていました。初めて逆らい、なんとか粘って了解を得ました。ただ、脈絡がないのは事実ですし、丸腰で企画が通るとも思えないので武器を探しました。その時にプチプチメーカーである川上産業が出していた書籍「プチプチオフィシャルブック」を見つけました。読むと「人はなぜプチプチを潰すのか」を解説していました。心理学的に「アフォーダンス」と呼ばれる現象で、人はモノの形を見ると「こう扱ってくれ」というメッセージを受け取るそうです。ちょっと破けている紙は破りきりたくなるし、出っ張っているボタンは押したくなる。だからプチプチは押したくなり、触ると柔らかいので潰したくなると。これだと思いました。
―それを見つけてどのようにプレゼンしたのですか。
本物のプチプチのシートを配り、「プチプチは見るだけで潰したくなる。すべての人間はその衝動から逃れられない。ただ、プチプチは潰すとなくなってしまうので、潰し続けてもなくならない『∞プチプチ』を開発販売する。買わないと押せないような透明なケースに入れてつるすだけで、人は押したい衝動から逃れられないので売れる商品になる」と説明しました。これが面白いと受け止められ、商品化へ動き出しました。
―「∞プチプチ」のアイデアを巡っては初めて上司に逆らうといったエピソードも紹介していただきましたが、それほど強い熱意を持てたのはなぜでしょうか。
自分が欲しいと思ったことがとても重要な要素でした。入社1―2年目で企画が全然通らないころ、会議用に面白いネタを考えていたつもりだったけど、そのネタについて「自分はお金を出して買わないけどね」なんていうとんでもないことを平気で言ってました。その時点で人に買ってもらおうとして作っていないので間違っていたんです。企画が通るはずもありません。それから初めて本気で自分で買いたいと思って3年目に作った商品「ヒューマンプレイヤー(※)」が売れて。「自分は一人目の最大の客である」というこだわりを持つようになりました。
ただ、20代はオモチャを買う中心世代ではないので、すべての商品でこだわりを実現できないジレンマがありました。その中でプチプチを思いついたときに「これは完成したら欲しい」と思ったんです。
※ヒューマンプレイヤー:ゲームの中で自分そっくりの性格のキャラクターが生活していてその行動を観察して遊ぶオモチャ。自分だけでなく、家族や友達のキャラクターを登録することもでき、登録したキャラ同士で友情や恋が芽生えることもある。
―「∞プチプチ」は100回に1回、動物の鳴き声など「プチ」ではない音が鳴る仕組みも面白いです。
さきほどから登場する怖い上司のアイデアです。プレゼンを許可する条件として提案されました。これはすごいアイデアですよね。何百回も押したくなる。これがなかったら300万個なんて売れなかったと思います。
独立した理由とまさかの将来展望
―直近に手がけられた「気泡割り専用アラビックヤマト」も面白いですね。
小学生の時の思い出を商品化しました。友達が全然いなくて3年間ほどノリで気泡を作って遊んでいました。それを基に商品化のネタの一つとして「使いかけのアラビックヤマトの気泡を動かす遊び」と自分の本に書いたら編集者に意味が分からないと突っ込まれて。でも、そのエピソードを知人に話したら「私も割ってた」という声が1ヶ月で3人見つかって。これは商品化してみようと思い、ヤマトさんに思いを伝えて一番割るのが気持ちいい比率を一緒に研究し、なんと工場も動かしていただいて完成することができました。会社を辞めて独立してやりたかったようなことの一つです。
―どういうことですか。
大企業で何万個何十万個も売れる商品作りを目指すのではなく、1000人が大喜びするモノを作って直接届けて一緒に遊んで友達になるといったサイズのことがしたい思いで会社を辞めました。自分のルーツには大学時代の落語研究会があり、目の前の数十人が笑うのが一番気持ちいいという思いがあります。オモチャ作りでもそれをやりたかったけど、直接は(自分が作ったオモチャで遊ぶ人たちの)笑う姿を見たり(そうした人たちと)話したりはできていなかった。会社は私ともう一人で経営していますが、仕事も(大きな売り上げを気にせずに)自分が食べられれば成立すると思っていました。
だから大企業でできるはずもない「気泡割り専用アラビックヤマト」のように自分が欲しいものをヤマト公認で作れて本当に幸せでした。「気泡割ってました」という人にも出会えて嬉しかったです。
―これからどのようなオモチャを作りたいと考えていますか。
自分が関心のあるものごとについて遊びを通して解決するオモチャに一つずつ取り組んで、まずは共感する1000人に熱狂的に喜ばれて、大きく育てられる先が見えたものを拡大させていければと考えています。筋力がないので筋トレができるオモチャとか、外国人と話しても怖くなくなるオモチャとか。それで50歳くらいにはオモチャ開発エピソードを話す落語家になるのが夢です。大きく育てられたオモチャと育てられなかったオモチャを対比してそれぞれ落語にしたいと思っています。落研時代から落語家になりたかったんです。私自身はお笑いの才能はないけれど、オモチャ一つを作るといろいろな人に出会っていろいろなことが起きます。そこには知ったら役に立つ話がたくさんあるので。