「月の水」を求めて、有人月面探査競争がスタートか
実際に月に水があるかどうかは「行ってみなければわからない」
インドア派の私は登ったことがないので真偽を確かめたわけではないのだが、しばらく前に、富士山頂に設置された自動販売機の飲み物が「ぼったくり」だと、ネットで話題になったことがある。なんでも、500ミリリットルのペットボトルの水が「500円」で売られているらしい。
それも、登るにつれて値段が上がっていくそうで、5合目で200円、6合目では300円、7合目になると400円、そして8合目から上は500円になるという。
水1リットルが1,000円というわけだ。なぜ、こんなに高いのか。これは、別に飲料メーカーや販売業者がぼったくっているわけではなく、運び賃が乗せられているからだ。だから、標高が上がり、麓からの距離が長くなるほど値段が上昇する。
ならば、さらに高いところでは、もっと値段が高騰するはずだ。世界最高峰のエベレスト……いや、もっと高くしてみよう。「月」ではどうだろう?
『月はすごい』(中公新書)によると、月で水1リットルを買うとすると、およそ「1億円」になる。現代の技術では、地球から月に物資を送る場合、1キログラムあたり1億円かかる。比重1の水1リットルは重さにすると1キログラム。したがって1リットルの水の価格には1億円が上乗せされる。
ここでもし、月に水があったとしたらどうか。考えるまでもない。細かな条件を無視すれば、地球上と変わらぬ値段で買えるはずだ。だが、現状、わかっている限りでは月に水は「ない」はずなので、残念ながら月面で1リットルの水を飲みたければ、1億円かけて地球から持っていかなければならない。
ところが、実は月に水が「ある」かもしれない、という証拠が見つかっているという。
1994年に打ち上げられた米国のクレメンタイン探査機は月の北極と南極を通過する軌道上に乗り、月の南極地域に電波を発した。それを地球上のアンテナで受信したところ、「氷」を思わせる反射波が得られた。これが「水があるかもしれない」疑惑の最初の証拠である。ただ、当時も今も、この時のデータは信頼されていない。
これより信頼性の高いデータを検出したのが、1998年打ち上げの米国の探査機「ルナ・プロスペクター」だ。この探査機は中性子分光計という装置を使い、月の北極と南極に、水素が大量に集まっている場所があることを確認。これは、これらの場所に水が分布している可能性を示す有力な証拠になりうるものだった。
だが、ルナ・プロスペクターが見つけたのは、あくまで「水素」であって、それが固形の氷や液体の水であるかどうかは不明だ。太陽風という太陽から放出される粒子の中にも水素原子は含まれている。装置が検出したのは、単に月面に捕えられた太陽風の中にある水素にすぎないのかもしれない。『月はすごい』によれば、この時点から、月の研究者は、月面に水が「ある派」と「ない派」に二分されており、今も続いているそうだ。
ルナ・スペクターが月を外側から観測したデータでは、検出した水素の正体まではわからない。よって、ある派とない派の議論は決着しない。要は、どのくらいの量があるかも含め、「行ってみなけりゃ、わからない」ということだ。
そこで今、日本を含め各国の宇宙探査の目が「月」に向けられている。2017年12月には、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)とインド宇宙研究機関(ISRO)が共同で月の極域探査を検討する取り決めが締結されたことがニュースで報じられた。
探査の目的は、ずばり「水」である。2023年頃に、極域に存在が疑われる「水の氷」、すなわちH2Oの固体を探す水資源探査のために探査機を打ち上げる計画だ。
米国も2024年までに、アポロ計画以来の、独自の有人月着陸を行うと発表したと報じられている。さらに近年は、民間の宇宙探査技術も進歩しており、すでに2019年2月にイスラエルの民間団体が、民間初の月探査機を打ち上げている(4月に着陸失敗と報じられた)。日本のispace社も月着陸探査機を2021年と2023年に打ち上げる予定だという。
月面の水の重要な用途はロケット燃料の「現地調達」
では、なぜ「月面の水」が重要なのだろうか。月の水は、何に使われるのか。
地球の水不足問題の解決ではない。ここで冒頭の富士山頂の水の値段の話を思い出していただきたい。地球から月に水を運ぶのに、1リットル当たり1億円かかるのだった。ということは、逆の、月から地球に運ぶ場合も1億円かかる。たとえ水不足の解消に役立つ量の水があったとしても、とてもコストに見合わないだろう。
これは他の鉱物資源などに関しても同じことだ。月に金塊がたんまりあったとしても、地球に運ぶのにかかる費用が、その金塊の価値を上回っていたとしたら、意味がない。ちなみに金1キログラムの価格は約500万円。月から運ぶコストが1億円かかったとしたら誰も持って帰ろうと思わないはずだ。
したがって、水を含む月の資源の用途は、主に「現地調達」あるいは「現地使用」なのだという。水の場合、考えられるベストな用途は「ロケットの燃料」。つまり、水は酸素分子と水素分子でできており、電気分解すると、水素ガスと酸素ガスができる。これらを低温で液化すると、それぞれが大型ロケットの燃料と酸化剤になるのだそうだ。
ロケットの重量のほとんどを占めるのは燃料だ。地球と月を往復する場合、もし帰りの燃料を「現地調達」できるのであれば、打ち上げ時に搭載する燃料が半分で済む。それだけ軽量になるので、打ち上げ時の燃料がさらに少なくてよくなる。かなりのコスト削減になるのだ。
月に行くためのコストが下がれば、月探査や月旅行、さらには月移住のハードルが下がる。ますます、月は身近な存在となり、地球上の土地の延長として考えられるようになるかもしれない。
『月はすごい』で著者である大阪大学の佐伯和人准教授は、人類が大航海時代などにアメリカ大陸やアフリカ大陸を発見していったように、月も現代の「新大陸」と捉えることができる、と述べている。
まずは、あと数年のうちに始まるかもしれない「月の水発見競争」と、その成果を楽しみに待ちたい。
(文=情報工場「SERENDIP」編集部)
『月はすごい』
-資源・開発・移住
佐伯 和人 著
中央公論新社(中公新書)
240p 820円(税別)