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「板金機械の王者」に育て上げたカリスマ経営者退任

アマダHD、体制一新で次なる商機へ
「板金機械の王者」に育て上げたカリスマ経営者退任

新型レーザー加工機を披露する岡本会長(左)と磯部社長(19年5月)

アマダホールディングス(HD)が、2020年4月に経営体制を刷新する。03年から17年に渡り同社を率いた岡本満夫会長兼最高経営責任者(CEO)が3月末で退任し、経営の第一線から退く。さらに、アマダHDと主力事業会社のアマダ(神奈川県伊勢原市)が統合し、4月から新生アマダとして再始動する。岡本会長は経営危機の旧アマダを世界最大級の板金機械メーカーに発展させた。板金のカリスマが去った後のかじ取りは、ほぼ一新される新しい経営陣が担う。

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アマダHDは、板金機械で世界最大級の規模の会社だ。生産財専業メーカーで売上高が3000億円を超える企業は世界に数えるほどしかない。7日公表した業績も、世界経済の停滞が指摘される中、4―9月期で過去最高の売上高に伸ばした。

そうした同社もバブル経済の崩壊で大幅な連続赤字を計上した時期がある。03年にそうした惨状を打開するべく経営トップに立ったのが岡本会長だ。

岡本会長は非創業家初の社長として、日本経済の“失われた20年”のさなかに就任した。バブル崩壊は、大量生産の時代の終焉(しゅうえん)であり、多品種少量・変種変量生産の時代への急速な変化を意味した。

顧客の工場にトラックで見本の機械を持ち込んだり、景品つきの派手な商談会を開いたりという、独特の営業手法で知られた「営業のアマダ」のビジネスモデルは、時代に合わないものになった。

社長就任間もない岡本会長は、大量生産から変種変量への変化に反応し、最先端の加工機と周辺装置を組み合わせ、顧客がもうけるための加工技術を合わせて提案する「エンジニアリングのアマダ」への脱皮を指揮した。工程集約、省人化対策という現在の機械メーカーが選択すべき事業モデルを00年代初めに築いたことになる。

これがアマダの第2創業となった。このような戦略転換が功を奏し、売上高は03年度から18年度に倍増、営業利益は19倍に跳ね上がった。

板金加工は、板金を曲げたり切ったりして任意の形状にするものだ。従来、材料の切断に金型を使っていたが、今はレーザーにほぼ置き換わった。アマダは07年にレーザー専用工場を立ち上げ、この流れに先手を打って主導した。10年にはファイバーレーザー加工機を製品化した。ファイバーレーザー加工機は高生産性、省エネルギー性が評価され、現在の板金加工の核となる技術だ。

板金機械メーカーとして同加工機のエンジンである発振器を開発したのは世界初とされ、業界の新常識をつくることに成功した。同社レーザー加工機の18年度売上高は、03年度比3・7倍の約900億円と飛躍的成長を遂げた。

加工業の新常識を確立

事業のグローバル化も推進した。日本、北米、欧州、中国の工場を拡充し、地産地消の供給体制を整備した。特に強化したのが米国だ。08年10月にイリノイ州シカゴ近郊のシャンバーグにソリューションセンター、12年6月にはカリフォルニア州ブエナバーグにテクニカルセンターを相次いで開設。さらに13年2月、同州ブレアに約40億円を投じて新工場を稼働させた。米国での新工場建設は実に40年ぶりだった。これにより、米国中西部、東部の営業体制を構築。12年にはレーザー加工機の販売が米国で初めて首位となった。

岡本会長はアマダHDの再生ばかりではなく、業界にとっても板金加工を新種のファイバーレーザーで行うという加工業の新常識を確立した功績がある。

岡本会長は、頭、言葉のキレは今でも鋭い。頭脳、身体ともに健康体の今だからこそ、事業の安定成長に向けたスムーズな事業承継を図ったと見られる。

(取材・六笠友和)

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日刊工業新聞2019年11月8日の記事から抜粋

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