混同されるのは良い傾向? ロボットとAIの違いと役割
おすすめ本の本文抜粋「超ロボット化社会」(新山龍馬 著)
ロボットと人工知能は、よく混同されます。人工知能が、ロボットとセットで登場することが多いからでしょうか。ロボット研究者は「AIは人間を超えますか?」と質問されると悩んでしまいますし、人工知能研究者は「ロボットは人間を征服しますか?」と質問されると考えこんでしまいます。実は、人工知能を必要としないロボットもあるし、ロボットと直接関係のない人工知能の研究をしている人もいます。
大まかにいえば、ロボットは動く機械装置です。実体があって、移動したり、形を変えたりできます。一方で、人工知能は、人間の脳の働きをまねた、目に見えない情報処理の一種です。人工知能はコンピュータに宿り、ロボット以外にも、スマホや家電に搭載されることがあります。だから、「ロボット=人工知能」ではないのです。
人工知能と対比して、人間が備えている知能をあえて名づけるなら、天然知能あるいは自然知能でしょうか。人間の場合、知能の座である脳を身体から分離するというわけにはいきません。人間の知能が身体と切り離せないものであることを強く意識して、脳科学からロボット開発まで幅広く手がける研究者もいます。わたしも、生物学から機械工学まで、必要だと思うところに頭を突っ込んで研究を進めています。なぜなら、個々の学術分野は、生物の知的なふるまいを理解するためにはあまりにも狭いからです。ロボット学は、総合科学です。
わたしは、ロボットと人工知能が混同されるのはいい傾向なのだろうと思っています。コンピュータとインターネットが結びついて発展した結果、コンピュータとインターネットのちがいを気にする人が減っているのと同様に、ロボットと人工知能がうまく融合しつつあることの証拠かもしれないからです。
知能とは、人間の知的な能力を包括的に指す言葉です。知能には、新しいことを学ぶ能力や、未知の環境で自ら問題を解決する能力、概念や数を操る能力などたくさんの意味が含まれています。お気づきのように、かなり人間中心的な概念です。言葉の成り立ちとしては、「~能」ですから「全能」や「放射能」に似ています。全能はなんでもできる能力、放射能は放射線を出す能力のことです。
知能は、無形の知的な機能ですから、本来であれば「人工知能と友だちになる」という言い方はできません。しかし「人工」がつくものは「人工臓器」や「人工衛星」のように大体は有形な人工物です。人工知能がコンピュータやロボットに宿った時、「人工知能と友だちになる」ことは可能でしょう。
知能を備えていることは、黙っていてはわかりません。必ずふるまいを通して現れます。例えばしゃべること。文字や音声で人間と対話できるコンピュータプログラムは、人工知能の一つの例です。言葉や声は、それなりの効果をもつものですが、「虎を捕まえろ」とスマートスピーカーに頼んでも「それでは虎をデジタル化してください」と答えるくらいしかできません。そこでロボットの出番です。ロボットの強みは、実世界を自ら動き回り、実世界に直接干渉できることです。つまり、ロボットなら、リアルで虎をふん縛ることができます。
わたしが思うロボットの魅力も、まさに見て触ることができる実物であることです。目の前で、ロボットが、生き生きと動き、わたしたちの働きかけに反応するのを見るとワクワクします。ロボットを作っていると、この実世界に生きている実感が湧いてきます。
遠い未来、人間が丸ごとデジタル化されてインターネットに溶けこむのなら、ロボットはいらなくなるかもしれません。でも、人間が物理的な身体を手放すのは、数百年か千年か、かなり先になるでしょう。それまでは、人間は寝起きし、食事をし、けがや病気と付き合い、老いるでしょう。全部、物理的な作用です。それを手助けできるのがロボットなのです。(書籍「超ロボット化社会」より)
書籍紹介
超ロボット化社会 〜ロボットだらけの未来を賢く生きる〜
新山龍馬・著、四六判、176ページ、税込1,620円
若手ロボット研究者がこれまでのロボットの歴史を振り返りながら、これからのロボット技術の進化を想像し、私達の生活がどのように変化するか、また私達が描くべき未来像のヒントを提示する。ロボットと距離のある人でも、手に取りやすい内容。
著者紹介
新山 龍馬(にいやま・りゅうま)
ロボット研究者。東京大学大学院情報理工学系研究科講師。
1981年生まれ。東京大学工学部機械情報工学科を卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了、博士(学際情報学)を取得。マサチューセッツ工科大学(MIT)研究員(コンピュータ科学・人工知能研究所、メディアラボ、機会工学科)を経て、2014年より現職。専門は生物規範型ロボットおよびソフトロボティクス。
著書:『やわらかいロボット』金子書房、2018年7月
目次
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大まかにいえば、ロボットは動く機械装置です。実体があって、移動したり、形を変えたりできます。一方で、人工知能は、人間の脳の働きをまねた、目に見えない情報処理の一種です。人工知能はコンピュータに宿り、ロボット以外にも、スマホや家電に搭載されることがあります。だから、「ロボット=人工知能」ではないのです。
人工知能と対比して、人間が備えている知能をあえて名づけるなら、天然知能あるいは自然知能でしょうか。人間の場合、知能の座である脳を身体から分離するというわけにはいきません。人間の知能が身体と切り離せないものであることを強く意識して、脳科学からロボット開発まで幅広く手がける研究者もいます。わたしも、生物学から機械工学まで、必要だと思うところに頭を突っ込んで研究を進めています。なぜなら、個々の学術分野は、生物の知的なふるまいを理解するためにはあまりにも狭いからです。ロボット学は、総合科学です。
わたしは、ロボットと人工知能が混同されるのはいい傾向なのだろうと思っています。コンピュータとインターネットが結びついて発展した結果、コンピュータとインターネットのちがいを気にする人が減っているのと同様に、ロボットと人工知能がうまく融合しつつあることの証拠かもしれないからです。
知能とは、人間の知的な能力を包括的に指す言葉です。知能には、新しいことを学ぶ能力や、未知の環境で自ら問題を解決する能力、概念や数を操る能力などたくさんの意味が含まれています。お気づきのように、かなり人間中心的な概念です。言葉の成り立ちとしては、「~能」ですから「全能」や「放射能」に似ています。全能はなんでもできる能力、放射能は放射線を出す能力のことです。
知能は、無形の知的な機能ですから、本来であれば「人工知能と友だちになる」という言い方はできません。しかし「人工」がつくものは「人工臓器」や「人工衛星」のように大体は有形な人工物です。人工知能がコンピュータやロボットに宿った時、「人工知能と友だちになる」ことは可能でしょう。
知能を備えていることは、黙っていてはわかりません。必ずふるまいを通して現れます。例えばしゃべること。文字や音声で人間と対話できるコンピュータプログラムは、人工知能の一つの例です。言葉や声は、それなりの効果をもつものですが、「虎を捕まえろ」とスマートスピーカーに頼んでも「それでは虎をデジタル化してください」と答えるくらいしかできません。そこでロボットの出番です。ロボットの強みは、実世界を自ら動き回り、実世界に直接干渉できることです。つまり、ロボットなら、リアルで虎をふん縛ることができます。
わたしが思うロボットの魅力も、まさに見て触ることができる実物であることです。目の前で、ロボットが、生き生きと動き、わたしたちの働きかけに反応するのを見るとワクワクします。ロボットを作っていると、この実世界に生きている実感が湧いてきます。
遠い未来、人間が丸ごとデジタル化されてインターネットに溶けこむのなら、ロボットはいらなくなるかもしれません。でも、人間が物理的な身体を手放すのは、数百年か千年か、かなり先になるでしょう。それまでは、人間は寝起きし、食事をし、けがや病気と付き合い、老いるでしょう。全部、物理的な作用です。それを手助けできるのがロボットなのです。(書籍「超ロボット化社会」より)
書籍紹介
超ロボット化社会 〜ロボットだらけの未来を賢く生きる〜
新山龍馬・著、四六判、176ページ、税込1,620円
若手ロボット研究者がこれまでのロボットの歴史を振り返りながら、これからのロボット技術の進化を想像し、私達の生活がどのように変化するか、また私達が描くべき未来像のヒントを提示する。ロボットと距離のある人でも、手に取りやすい内容。
著者紹介
新山 龍馬(にいやま・りゅうま)
ロボット研究者。東京大学大学院情報理工学系研究科講師。
1981年生まれ。東京大学工学部機械情報工学科を卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了、博士(学際情報学)を取得。マサチューセッツ工科大学(MIT)研究員(コンピュータ科学・人工知能研究所、メディアラボ、機会工学科)を経て、2014年より現職。専門は生物規範型ロボットおよびソフトロボティクス。
著書:『やわらかいロボット』金子書房、2018年7月
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