中国やインド…強豪の海外勢に挑む日本製鉄の勝算
日本製鉄が世界への挑戦を始める。人口減少に伴う内需の先細りをにらみ、海外の成長市場に投資を重点化する。だが、海外市場では世界の粗鋼生産量全体の半分を1国で供給する中国の鉄鋼各社を筆頭に、多くの強豪が待ち受ける。翻って海外投資を支える国内事業の収益基盤には、製造現場の急速な世代交代などほころびが見える。同社が掲げる「総合力世界一の鉄鋼メーカー」の目標到達への道のりは険しい。(文=宇田川智大)
「誰の目にも明らかに攻めの布陣だ」(関係者)―。
旧新日鉄住金が橋本英二副社長を、社名変更で4月に誕生する日本製鉄の初代社長に起用する人事を発表した1月10日、社内に少なからず「驚きの声が広がった」(同)。
橋本氏は海外事業の経験が長く、新日鉄住金の海外展開を統括する「グローバル事業推進本部」の本部長も3月まで務めた。世界最大の鉄鋼企業、アルセロール・ミタル(ルクセンブルク)との合弁事業や、ブラジルの持ち分法適用会社、ウジミナスの経営を巡って対立した合弁パートナー、テルニウム(アルゼンチン)との和解協議を主導。逆境にもひるまず、事業を強力に推し進める「豪腕」(同)に定評がある。
だが、必ずしも当初から本命視されていたわけではない。橋本氏を推す当時の経営陣とOBの間で「一時は意見が食い違う場面もあった」(グループ企業幹部)という。それでも人口減少に伴う内需縮小をにらみ、持続的成長への活路を海外に切り開くための旗振り役として“橋本氏”のカードを切った。それは強豪がひしめく世界への挑戦状と言える。
世界の鉄鋼需要は新興国を中心に、今後も着実に増え続ける見込みだ。だが、成長市場の中心に位置する中国では「鉄鋼強国」を掲げる政府の主導で、国営鉄鋼企業の再編による規模拡大が進み、技術力でも日本を急速に追い上げている。
年率7―8%の高成長が続くインドの鉄鋼市場も、参入への壁が高くなった。同国政府が鉄鋼の国産化を進めているためだ。他の新興国でも、基幹産業である鉄鋼業の国産シフトを目指す動きが強まる中で、相手国の懐にどう飛び込んでいくかが重要課題になる。
日本製鉄はインド政府の許認可手続きなどが調えば、年間粗鋼生産能力が1000万トンという大規模な製鉄所を保有する同国の鉄鋼4位で、再建への手続きを進めているエッサール・スチールを、アルセロール・ミタルと共同で買収する。これは製銑工程から鋼材の製造まで手がける高炉一貫製鉄所を現地に確保し、インサイダーとしてインド市場に進出することを意味する。
これまでの海外事業は日本から母材を供給し、出資先の現地工場で自動車向けの鋼板などに仕上げて、供給するといった事業モデルが主流だった。現地での高炉一貫製鉄所の運営は、大きな挑戦となる。これを主導してきたのは橋本社長だ。
ただ日本製鉄の海外事業には、市場環境の変化などで思うように収益を上げられず、赤字経営が続いている事案もある。自前の高炉を構えたら、環境変化で需要が下ぶれたからといって、簡単に減産するわけにいかなくなる。1国で世界2位の供給力を誇る地元鉄鋼メーカー各社との競争が待ち受ける中で、アルセロール・ミタルと合わせて8000億円規模に上る巨額投資の効果を、いかに最大化するか。橋本社長の手腕が試される。
海外事業を加速させるためには、投資の原資を生み出す国内事業の足腰を鍛えて「鉄を“つくる力”と“売る力”を立て直す」(橋本社長)必要がある。
つくる力の立て直しを急ぐのはこの間、各製鉄所で製造設備の不具合や操業トラブルが頻発し、生産数量が下押しされたためだ。19年3月期は自然災害の影響も重なり、単体の粗鋼生産量が従来想定していた4210万トンを、80万トン下回る見通しとなった。これに伴って連結の業績も、事業利益(国際会計基準ベース)で従来予想していた3500億円から、3300億円に下ぶれる見込みだ。
トラブルの背景には老朽化や難易度の高い製品づくりへの挑戦に伴う設備の劣化、さらには製造現場の世代交代が進み、経験豊富な熟練工が急激に減ったことがある。このうち劣化問題では、20年度までの3年間の設備投資額を過去3年間より35%、修繕費も同じく1割増やす方針を決めて改修や更新を進めており、徐々に成果が上がってきたという。
やっかいなのは急速な世代交代に、技能伝承が追い付かなくなった点だ。主要な設備でも特に扱いが難しい高炉は、原料の品質や性状に応じて操作をきめ細かく調整する必要があり、高度に専門的な知見が求められる。かつては「神様のような熟練工がいて、長年の経験から機敏に対応したものだ」(宮本勝弘副社長)が、このようなベテラン勢の多くが定年で現場を去った。
こうした状況に対しては、熟練工が蓄えてきた暗黙知を可視的に標準化するなどの対策に取り組んでいる。さらには現行60歳の定年を21年度以降、65歳に引き上げる方針を決めて制度設計を進めており、高年齢者が士気と誇りを持って若手の指導に当たれる処遇の整備が求められる。
一方、売る力の立て直しでは原料・資機材価格や物流費などのコストが大きく変動する中で、安定したマージンをどう確保するかが問われる。日本では大口需要家との価格交渉に、鉄鉱石や原料炭といった主原料の値動き以外の要素が反映されることは、慣例として少なかった。だが、最近は主原料に加え、鋼材に添加する合金原料や資機材の価格が乱高下し、物流費も高止まって鉄鋼各社の利益を圧迫している。これらの影響を、どう吸収するかが課題となる。
橋本社長は売る力を立て直すための条件として「商品力や(顧客への)提案力、サービス力を高める必要がある」と指摘。この一環として日本製鉄は、自動車の車体重量を3割減らせる新しい構造設計概念「Nセーフ・オートコンセプト」を提唱し、需要家への売り込みを始めた。板厚を減らしても高い強度を保てる高張力鋼板(ハイテン)や超高張力鋼板(超ハイテン)の活用など、鉄の可能性を最大限に引き出すことに主眼を置いた。
薄板事業担当の飯島敦常務取締役は「環境規制の世界的な強まりに対応するには、車体重量を今より3―5割減らす必要がある」と指摘。車体に使う鋼材のうち、超ハイテンの使用割合が従来の3倍に当たる3割程度に高まれば、3―5割の軽量化を実現できると見込む。「100年に1度」と言われる自動車分野の技術革新など市場の急激な変化を先取りし、顧客が直面する問題の解決に資することで、マージン改善につなげたい意向だ。
だが、需要家側も今は、急激な技術革新に対応するための研究開発投資や設備投資に余念がない。提案型の営業を、収益基盤の強化にどこまでつなげられるかが問われる。
「豪腕」に定評
「誰の目にも明らかに攻めの布陣だ」(関係者)―。
旧新日鉄住金が橋本英二副社長を、社名変更で4月に誕生する日本製鉄の初代社長に起用する人事を発表した1月10日、社内に少なからず「驚きの声が広がった」(同)。
橋本氏は海外事業の経験が長く、新日鉄住金の海外展開を統括する「グローバル事業推進本部」の本部長も3月まで務めた。世界最大の鉄鋼企業、アルセロール・ミタル(ルクセンブルク)との合弁事業や、ブラジルの持ち分法適用会社、ウジミナスの経営を巡って対立した合弁パートナー、テルニウム(アルゼンチン)との和解協議を主導。逆境にもひるまず、事業を強力に推し進める「豪腕」(同)に定評がある。
だが、必ずしも当初から本命視されていたわけではない。橋本氏を推す当時の経営陣とOBの間で「一時は意見が食い違う場面もあった」(グループ企業幹部)という。それでも人口減少に伴う内需縮小をにらみ、持続的成長への活路を海外に切り開くための旗振り役として“橋本氏”のカードを切った。それは強豪がひしめく世界への挑戦状と言える。
世界の鉄鋼需要は新興国を中心に、今後も着実に増え続ける見込みだ。だが、成長市場の中心に位置する中国では「鉄鋼強国」を掲げる政府の主導で、国営鉄鋼企業の再編による規模拡大が進み、技術力でも日本を急速に追い上げている。
年率7―8%の高成長が続くインドの鉄鋼市場も、参入への壁が高くなった。同国政府が鉄鋼の国産化を進めているためだ。他の新興国でも、基幹産業である鉄鋼業の国産シフトを目指す動きが強まる中で、相手国の懐にどう飛び込んでいくかが重要課題になる。
日本製鉄はインド政府の許認可手続きなどが調えば、年間粗鋼生産能力が1000万トンという大規模な製鉄所を保有する同国の鉄鋼4位で、再建への手続きを進めているエッサール・スチールを、アルセロール・ミタルと共同で買収する。これは製銑工程から鋼材の製造まで手がける高炉一貫製鉄所を現地に確保し、インサイダーとしてインド市場に進出することを意味する。
これまでの海外事業は日本から母材を供給し、出資先の現地工場で自動車向けの鋼板などに仕上げて、供給するといった事業モデルが主流だった。現地での高炉一貫製鉄所の運営は、大きな挑戦となる。これを主導してきたのは橋本社長だ。
ただ日本製鉄の海外事業には、市場環境の変化などで思うように収益を上げられず、赤字経営が続いている事案もある。自前の高炉を構えたら、環境変化で需要が下ぶれたからといって、簡単に減産するわけにいかなくなる。1国で世界2位の供給力を誇る地元鉄鋼メーカー各社との競争が待ち受ける中で、アルセロール・ミタルと合わせて8000億円規模に上る巨額投資の効果を、いかに最大化するか。橋本社長の手腕が試される。
海外事業を加速させるためには、投資の原資を生み出す国内事業の足腰を鍛えて「鉄を“つくる力”と“売る力”を立て直す」(橋本社長)必要がある。
つくる力の立て直しを急ぐのはこの間、各製鉄所で製造設備の不具合や操業トラブルが頻発し、生産数量が下押しされたためだ。19年3月期は自然災害の影響も重なり、単体の粗鋼生産量が従来想定していた4210万トンを、80万トン下回る見通しとなった。これに伴って連結の業績も、事業利益(国際会計基準ベース)で従来予想していた3500億円から、3300億円に下ぶれる見込みだ。
トラブルの背景には老朽化や難易度の高い製品づくりへの挑戦に伴う設備の劣化、さらには製造現場の世代交代が進み、経験豊富な熟練工が急激に減ったことがある。このうち劣化問題では、20年度までの3年間の設備投資額を過去3年間より35%、修繕費も同じく1割増やす方針を決めて改修や更新を進めており、徐々に成果が上がってきたという。
技能伝承が追いつかない
やっかいなのは急速な世代交代に、技能伝承が追い付かなくなった点だ。主要な設備でも特に扱いが難しい高炉は、原料の品質や性状に応じて操作をきめ細かく調整する必要があり、高度に専門的な知見が求められる。かつては「神様のような熟練工がいて、長年の経験から機敏に対応したものだ」(宮本勝弘副社長)が、このようなベテラン勢の多くが定年で現場を去った。
こうした状況に対しては、熟練工が蓄えてきた暗黙知を可視的に標準化するなどの対策に取り組んでいる。さらには現行60歳の定年を21年度以降、65歳に引き上げる方針を決めて制度設計を進めており、高年齢者が士気と誇りを持って若手の指導に当たれる処遇の整備が求められる。
一方、売る力の立て直しでは原料・資機材価格や物流費などのコストが大きく変動する中で、安定したマージンをどう確保するかが問われる。日本では大口需要家との価格交渉に、鉄鉱石や原料炭といった主原料の値動き以外の要素が反映されることは、慣例として少なかった。だが、最近は主原料に加え、鋼材に添加する合金原料や資機材の価格が乱高下し、物流費も高止まって鉄鋼各社の利益を圧迫している。これらの影響を、どう吸収するかが課題となる。
橋本社長は売る力を立て直すための条件として「商品力や(顧客への)提案力、サービス力を高める必要がある」と指摘。この一環として日本製鉄は、自動車の車体重量を3割減らせる新しい構造設計概念「Nセーフ・オートコンセプト」を提唱し、需要家への売り込みを始めた。板厚を減らしても高い強度を保てる高張力鋼板(ハイテン)や超高張力鋼板(超ハイテン)の活用など、鉄の可能性を最大限に引き出すことに主眼を置いた。
薄板事業担当の飯島敦常務取締役は「環境規制の世界的な強まりに対応するには、車体重量を今より3―5割減らす必要がある」と指摘。車体に使う鋼材のうち、超ハイテンの使用割合が従来の3倍に当たる3割程度に高まれば、3―5割の軽量化を実現できると見込む。「100年に1度」と言われる自動車分野の技術革新など市場の急激な変化を先取りし、顧客が直面する問題の解決に資することで、マージン改善につなげたい意向だ。
だが、需要家側も今は、急激な技術革新に対応するための研究開発投資や設備投資に余念がない。提案型の営業を、収益基盤の強化にどこまでつなげられるかが問われる。
日刊工業新聞2019年5月3日