昭和最後の年に「EV世界一」宣言、日本はどこで間違った?

連載・平成の環境産業史(4)

「最高で最先端の電気自動車(EV)を開発する」。1988年にEV開発に着手したホンダ技術陣が掲げた目標だ。当時は平成直前の昭和63年。開発目標は“EVシフト”が話題の現在と比較しても遜色ないレベルだった。ホンダの経営企画部長を務めた水戸部啓一氏(現国際環境経済研究所理事・主席研究員)は、88年の目標を「やるからには“世界一”か“世界初”を目指すホンダのDNAがあったから自然と出た」と振り返る。

危機感から始動


 そもそもEV開発は危機感から始まった。70年代の石油危機が引き起こした混乱の記憶から、自動車業界は枯渇の恐れがない燃料を探していた。一方で米カリフォルニア州が大気汚染物質をまったく排出しない規制を段階的に義務化すると公表するなど、排ガス規制への対応も急務だった。EVは規制対応の選択肢の一つだった。

 ホンダは少人数の開発陣だったが、“最高で最先端”を目指した。当時、ガソリン車に電池を搭載したEVはあった。ホンダは既存車体を転用せず、EVの専用車体づくりから始めた。モーターも導線の巻き線から研究した。開発陣から相談を受けていた水戸部氏は「コンセプトカーではなく、あくまで使えるもの、売れるものにしようとしていた」と技術者の熱意を代弁する。ホンダは97年、EVのリース販売を始めた。数百台の販売にとどまったが「ゼロから開発したおかげで、電動化技術を獲得できた」(水戸部氏)という。

 90年代、温暖化問題に関心が集まると自動車各社がエコカー開発に経営資源を投入する。トヨタ自動車は97年に世界初のハイブリッド車(HV)「プリウス」を発売し、ホンダも99年にHV「インサイト」の量産を始めた。日産自動車や三菱自動車はEVを発売し、トヨタ、ホンダは燃料電池車(FCV)も製品化した。

強みを生かす


 水戸部氏は「日本メーカーはエコカー技術で世界をリードした。しかし、ビジネス戦略は別だった」と指摘する。米ベンチャー企業のテスラは富裕層をターゲットに高級EVを量産し、後発ながら市場をリードした。大衆車を狙う日本メーカーとは異なる戦略だ。

 EVやFCVの普及が本格化しようとしている。日本メーカーにとっては、平成の30年間を費やして開発した技術を開花させるビジネス戦略が問われる。研究において他社との提携が当たり前の時代となったが水戸部氏は「日本メーカーは強みを生かせる分野を見極めるべきだ」と訴える。
(文=松木喬)

連載「平成の環境産業史」(全7回)


 1989年から始まった平成時代、気候変動、フロンや有害化学物質規制など、企業は次々と押し寄せる環境問題への対応に追われました。一方で太陽電池、エコカー、省エネルギー家電といった技術が育ち、「環境経営」という言葉も定着しました。企業活動に影響を与えた平成の環境産業史を振り返り、新時代の道しるべを探ります。

【01】平成の気候変動対策は不十分だった…環境政策に携わった男の悔恨(2019年4月9日配信)
【02】日本の電機業界が環境対策で世界の先頭に立った日(2019年4月9日配信)
【03】太陽電池メーカーの栄枯盛衰が示す政策依存の現実(2019年4月16日配信)
【04】昭和最後の年に「EV世界一」宣言、日本はどこで間違った?(2019年4月23日配信)
【05】家電の技術革新を誘発した環境規制の威力(2019年4月30日配信)

<日刊工業新聞電子版では【05】を先行公開しています>
関連連載:「脱炭素経営 パリ協定時代の成長戦略」

日刊工業新聞2019年4月10日

松木 喬

松木 喬
04月23日
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冒頭で開発目標を紹介したのは、30年前の目標と言われても正直、ピントこなかったからです。今の目標と言った方が通用しそうな。それだけEVは開発期間が長く、そして課題(電池の航続距離・コスト、充電時間)が解決されていないのです。テスラは電池コストが下がらないのを逆手にとって高級ゾーン狙い。したたかです。
  

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