日本の電機業界が環境対策で世界の先頭に立った日

連載・平成の環境産業史(2)

 2001年1月、電機メーカーの環境担当者が集まった。「調査で競争しても意味がない。ゴールは一緒なんだから手を取り合っていこう」。参加者はこう確認した。そして後日、化学物質調査の共通化を目指す有志企業18社が「18社会」を立ち上げた。

 「外資系企業が、我々の活動を掲載した日本の新聞記事を本国に報告していた」。18社会の幹事会社を務めたキヤノンの古田清人氏(現キヤノン環境統括センター所長)は当時の反響を振り返る。世界から見ても日本の電機業界の取り組みは先進的だった。

 競合企業が協力するきっかけとなったのが、欧州連合(EU)の化学物質規制「RoHS」だった。01年当時、正式決定はまだだったが、電子機器への有害物質の使用を制限する規制内容が日本にも伝わっていた。すべての部品を調べて有害物質を洗い出す必要があり、06年の施行後、サプライチェーンの混乱が懸念されていた。

 すでに電機メーカーはグリーン調達基準を運用し、部品への使用があれば報告を求める調査物質を定めていた。ただし各社の基準がバラバラなので、サプライヤーは同一部品であっても電機メーカー別の基準に合わせた調査を強いられていた。難易度の高い要求もあり、回答率も低かった。そこでサプライヤーの負担軽減と規制順守の両立を目指し、18社会ができた。

議論は難航


 しかし、調査共通化の議論は難航した。各社とも自社基準の変更に抵抗があったためだ。そこで優先的に調査する物質をリスト化することにし、05年になって「強引に24物質をコアリストに決めた」(古田氏)。日本はこの経験を生かし、国際電気標準会議(IEC)に国際規格化を提案し、12年に規格が発行した。「日本は積極的に標準化に関与できた」(同)と振り返る。

 世界の先頭に立ってきた日本の電機業界だが、国内の共通化はスムーズにはいかなかった。いま、経済産業省が主導して開発した調査方式「ケムシェルパ」への統一が進んでいる。共通化の議論を始めてから18年、“平成”時代の半分以上を費やしており、古田氏は「長かった」と率直に話す。

新しい貢献


 電機業界の構造も変わり、自動車に搭載する電子機器も増えた。世界では業界の垣根を越えたルールづくりが広がっている。「電機だけにとどまらない幅広い議論が必要となっている。我々の経験を産業界全体に伝えていくことが、新しい貢献となる」(古田氏)と教訓を語る。
(文=松木喬)

連載「平成の環境産業史」(全7回)


 1989年から始まった平成時代、気候変動、フロンや有害化学物質規制など、企業は次々と押し寄せる環境問題への対応に追われました。一方で太陽電池、エコカー、省エネルギー家電といった技術が育ち、「環境経営」という言葉も定着しました。企業活動に影響を与えた平成の環境産業史を振り返り、新時代の道しるべを探ります。

連載「平成の環境産業史」(全7回)


 1989年から始まった平成時代、気候変動、フロンや有害化学物質規制など、企業は次々と押し寄せる環境問題への対応に追われました。一方で太陽電池、エコカー、省エネルギー家電といった技術が育ち、「環境経営」という言葉も定着しました。企業活動に影響を与えた平成の環境産業史を振り返り、新時代の道しるべを探ります。

【01】平成の気候変動対策は不十分だった…環境政策に携わった男の悔恨(2019年4月9日配信)
【02】日本の電機業界が環境対策で世界の先頭に立った日(2019年4月9日配信)
【03】太陽電池メーカーの栄枯盛衰が示す政策依存の現実(2019年4月16日配信)
【04】EV開発で“世界初”を目指したホンダの危機感(2019年4月23日配信)
【05】家電の技術革新を誘発した環境規制の威力(2019年4月30日配信)

<日刊工業新聞電子版では【05】を先行公開しています>
関連連載:「脱炭素経営 パリ協定時代の成長戦略」

日刊工業新聞2019年3月20日

松木 喬

松木 喬
04月09日
この記事のファシリテーター

2回目にしてマニアックなテーマを取り上げました。振り返ると日本の電機業界が先進的だったと気づかされました。ただし、なぜ時間がかかったのか、検証と教訓にしたいところです。いま、再生エネ100%を目指す「RE100」、温暖化ガス削減の「SBT」など、業界の垣根を超えた事実上のルールができています。こちらはルール完成まで数年です。ルールメイキングへの参加だけでなく、スピードも必要です。

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