日立が東京・国分寺で“知の利”を生かす

中央研究所に「協創の森」 オープンイノベーションの発信基地に

 日立製作所は11日、中央研究所(東京都国分寺市)に新たな研究開発拠点「協創の森」を開設したと発表した。完成した新棟「協創棟=写真」などで構成され、オープンイノベーションの中核拠点として顧客との連携を深め新規事業の創出を進める。

 鈴木教洋執行役常務最高技術責任者(CTO)は同日会見し、「この国分寺の地は『地の利』ならぬ『知の利』が違う。日立の知を生かして、他社と差別化したソリューションをつくっていける」と意気込みを語った。

 新設した協創棟は地上4階建て。プロジェクトの実践の場と位置付ける。世界から企業や大学、地方自治体などの関係者を招き、社会課題や破壊的技術テーマに対する新たなソリューションを迅速に開発する。協創の森は全体で約900人が働く。「世界に向けたイノベーションの発信基地にしていきたい」(鈴木執行役常務)と、国分寺発で世界を目指す。

日刊工業新聞2019年4月12日


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研究開発は「変人」から


 「返仁会」―。博士号を持つ現役社員とOBの集まり。日立創設者の一人である馬場粂夫が、優れた自主技術を持つ人材育成を目的に発足。会員数は約2200人で、研究者を中心に「知の集積」の象徴である。返仁会会長の中村道治は副社長、フェロー(研究者の最上位職)などを務めた。「日立の研究開発はストック型。世の中が変化する時、企業内部に独自技術の蓄積がなければ対応できない」と中村。

 「研究開発力が落ちているんじゃないか?」―。執行役常務研究開発本部長の小豆畑茂は、最近先輩からそう言われることが多くなった。小豆畑は「それは業績がよくないから。学会発表が多くても事業に貢献しなければ最終的に評価されない」と割り切る。

 小豆畑は入社後、日立研究所に配属され、すぐに石炭燃焼の開発をまかされた。1年目から1000万円以上の予算を与えられ実験装置も作った。30歳で早くもチームリーダーに抜てき。富山新港火力発電所に納入した商用1号機が運転する前後は「夜も眠れなかった」という。

 今は小豆畑の現役時代と体制や仕組みも違う。まず研究者の数が減った。研究開発本部に属す人員は約3400人でピーク時の6割の水準。また日立本体の資金拠出余力が低下、結果的に工場などの事業部門やグループ会社などの「依頼研究」が増える傾向にある。現在、研究開発費に占める依頼研究の割合は約7割。

 かつては聖域といわれた「特別研究(トッケン)」。多くの研究所や工場から人材を集め特別予算が組まれる。今は約20のプロジェクトが走っているが、より事業化を意識した内容に変わりつつある。最近では04年に垂直磁気記録型のハードディスク駆動装置がトッケンに指定され、06年には製品化にこぎつけた。

 企業研究所でユニークな存在といわれる本田技術研究所。ホンダから別会社として独立、本体へのライバル意識も強いが、ホンダの歴代社長はすべて研究所のトップ経験者という表裏一体の関係。昨年、ホンダ社長に就任した伊東孝紳は緊急避難的に二つの社長を兼務した。伊東は「早期に経営と技術部門の方向性を一致する必要があった」と振り返る。

 日立では相談役(元社長)の金井務がもとは中央研究所出身。研究開発のガバナンスやトップの選考基準は各社各様だが、技術主導と市場密着のバランスは恒常的な課題として残る。「原子力などエネルギー関係は40―50年研究してもまだ実用化されないものもある」と小豆畑。

 昨年4月に発足した次世代電池研究センターの陣容は約60人。世界各国が研究開発でしのぎを削る分野だ。返仁会は一時、「変人会」に名称を変えたが、「高度の発明は変人以外に期待しがたい」という馬場の持論から。日立は変人を吸引する力を維持しなければならない。
(敬称略)
※内容、肩書は当時のもの

日刊工業新聞2010年3月25日

  

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