地理学の専門家が考える「グーグルマップ」の限界
東京大学空間情報科学研究センター特任講師・瀬戸寿一氏インタビュー
公的なデータの中でも、早い段階から一般に公開されたのが地図に関するさまざまな情報(地理情報)だ。とくにデジタル化された地図は、地理情報システム(GIS)を用いることで紙の地図とは比較にならない新しい利用の仕方が生まれる。東京大学空間情報科学研究センター特任講師の瀬戸寿一氏は、地理学の専門家としてデジタルな地理情報の利用方法を研究する一方、全国の市民に呼びかけて、地図を基に自らの街や生活を豊かにする“参加型GIS”の普及・啓発活動を続けている。オープンデータを社会のイノベーションに結びつけていく方法を聞いた。
―何がきっかけでGISの研究を始めたのですか。
「高校の社会の教員になりたくて、大学で地理学科を選んだんです。当時はGISという言葉はまだ一般的ではなく、ごく一部で『重要になる研究分野だ』といわれ始めたばかり。GISが科目になっておらず専門に教えられる先生もあまりいなかった。その時は自分がこの分野に深く関わることをイメージできませんでした」
「2004年に立命館大学に就職して実習助手になりました。そこでインパクトを受けたのが『バーチャル京都』というプロジェクトです。京都の都市空間や文化的資源、歴史を全部デジタル化して、バーチャル空間上にのせようというもので、こういう世界があるんだということを改めて知りました。地理の分野でデータやITを使うのが新鮮でした」
―どんな可能性を感じたのでしょう。
「それまでの地理学の研究者の多くは、ひたすらフィールドワークをする印象がありました。例えば今で言う“ブラタモリ”みたいに街を歩いて観察したり、インタビューや文献調査する研究が多く行われていました。それがデジタルになった時に、多くのデータからより多面的な視点で街の状況を解き明かせるんじゃなかと気づいたんです。膨大な京都の資料をバーチャル空間に置きかえて、視覚化を含めて分かりやすく整理する。そうすればある程度、昔の生活や景観を分かりやすく表現できる可能性があります」
―ITスキルが必要ですね。ハードルが高そうです。
「僕はあまり人文系・理工系を区別するのが好きではないのですが、人文系ではデジタルデータになじまない研究者の方がどうしても多いかなと思います。しかしそれも世代が入れ変わることで使い方も大きく変わってきています。今ではGISを専門にしていない周辺領域でもインターネット上のデジタル地図を使って研究することが珍しくなくなりました。一般社会でも、スマートフォンを使う人口は世代を問わず増えてきているし、子供は使い方を教えなくてもタブレットを自分で使いこなして地図を開いて遊んでいることもあります。そういうことじゃないかな」
―デジタル地図は米国のGPSサービスに依存しています。信頼性や安全保障など、頼り切っていていいのでしょうか。
「従来の紙の地図の正確性がデジタルよりも高いかというと、必ずしもそうじゃないんです。例えば国土地理院の地形図でも、例えば1万分1スケールの地図を作製する場合で約7メートル以内は許容誤差として認めています。また土地の境界を決めるのは地籍図ですが、そのデータも全国一律ではなく、デジタルになっていないものも多くあいまいな部分があります。逆に現代の技術で測量し直して初めて正確な位置が確定することもあるそうです」
「そもそも日々に変化していく土地の状況を理解するのは難しくて、建物や道路の変化や自然災害、例えば地震などに迅速に対応していくには、GPSのようなデジタルで正確に計測できるツールを使わないと立ちいかなくなるでしょう。日本政府が準天頂衛星を打ち上げていることも、自国の衛星測位システムとして、リアルタイムに位置情報を取得できる環境を整備する上で重要ですし、将来的には多数の超小型衛星を使った新しい方法の可能性もあります」
―研究に使うのは国土地理院の地図でしょうか。
「地理学にはスケールという概念があります。等高線とか土地の起伏など、比較的広いエリアを示す際に用いる国土地理院の地形図は、例えば災害対策のための研究には非常に重要です。一方で住宅地図のように、どんな土地に何が建っているという細かいレベルの情報が必要になることもあります。日本では、そうした分野は長らく民間の地図会社が頑張ってきました」
「他方、私の現在の研究では、OSM(オープンストリートマップ)を使うことが多くなりました。イギリスでは、かつて公的に整備された地図をビジネスで使う時に制約があるなど自由に使えない状況がありました。『それなら自分たちで、現代のツールで自由に使える地図を作ろう』として2004年に始まったボランティア型のプロジェクトです。GPSロガーを使ってデータを蓄積したり、公開されている航空写真や衛星画像から地図をデータ化する作業の積み重ねで作られて世界中で活動されています。日本でも2008年ごろから活動が活発に行われています。」
「公的でミクロな詳細データとして、例えば国交省の事業で『歩行空間ネットワークデータ』というのがあります。横浜や東京などの限られたエリアで公開されています。こういうのが全国で蓄積されてオープンデータになってくれるといいなと思います」
―政府のオープンデータ政策をどう評価していますか。
「ずいぶん変わったと思います。地理空間情報活用推進基本法が2007年に制定されるまで、地図データを社会で流通し活用するための法律がほとんどなかったと思います。例えば、自治体の地図データであっても、用途によって例えば都市計画課や農林課などが同じようなデータをバラバラに持っていることもありました。それらの地理情報を国の基盤的なデータとして法律の体系に載せるよう決めた意味はあります。ただ、10年以上たった現在、誰でも法律の存在を知っているというわけでは必ずしもなく、完全には周知されていないとも感じます」
「もっと変わったのは2013年以降のオープンデータ政策です。2017年に官民データ活用推進基本法が制定されたのも大きな転機でした。それまで、ある地図データを元に研究をするには、申請書を書いて承諾してもらう必要があったり、取扱いが厳しい自治体だとデータの提供を断られることもありました。例えば大学であれば比較的信用は高いはずなんですが、研究者が役所に依頼状を出して、許可された後にCD-ROMなどを持参しデータを受け取っているということがありました。オープンデータ化とともに、あらかじめ利用規約を定めた上でインターネット上にデータ自体を置いてくれるようになりました。データ利用に関して個別に許諾のやりとりがなくなったのは大きいですね」
―デジタル地図で最も利用されているのはGoogleマップのように思います。
「確かにGoogleマップのインパクトは巨大でした。実は国土地理院の電子国土webサービス(現在は、地理院地図)の方が先に提供されていたんですが、当時はGoogleマップの方が道路や建物以外の情報も充実しているし、デザイン的にも優れていて使いやすかった。今もウェブサイトの案内図などに埋め込んで使われていますね。けれどGoogleマップは民間企業のサービスなので、あらゆる用途に対して必ずしも無料で使えるサービスとは言えない面があります。また利用方法にも制約があるので、デジタル地図サービスをひとつの企業のサービスのみに頼っていていいかは議論の余地があります」
「Googleは大量の情報を持っているから、地理学的にもダイナミックな研究ができるかなと考えたこともあります。でも実際には私の研究や、その成果を社会に還元する方法として今、力を入れている“参加型GIS”な観点で見ると、Googleマップはライセンスの関係などで用途的な限界を感じる部分もあります。だからこそOSMの活動が活発になったり、地理情報システム自体もオープンソースで作っていくことに可能性を見出しています」
地理的・歴史的な多くの情報を集めデータとして管理し、デジタル地図上に表現したり分析できるのが地理情報システム(GIS)だ。ただ専門家が作るだけでなく、一般の住民や自治体にも参加してもらうことに意味があると東京大学空間情報科学研究センター特任講師の瀬戸寿一氏は強調する。オープンデータを活用した地理学が、新たな“参加型GIS”の扉を開いた。
ー“参加型GIS”とは、そもそもどんなものですか。
「地理学やGIS研究では、膨大な地理情報をわかりやすく整理・体系化して表現するのがポイントです。そういうデータや技術を使って、地域政策やコミュニティの運営の意思決定を支援するのが参加型GISの肝になります」
「たとえば自治体が、立地適正化計画や都市計画を策定します。計画を立案する時には、住民と行政が協働しなければいけません。その時に具体的なツールとして使えるようにするのは参加型GIS研究の柱のひとつです。さらに、私たちのような専門家がお手伝いできないようなケースでも、地域の人たちが自分たちの手で地元の施策を考えられるようにしたいと考えています」
ーデジタル情報が準備できれば、町おこしの種が作れるということですね。
「研究で集めた空間情報や分析結果をできるだけ提供することで、地域の人たちに自分のこととして考えてほしいというニュアンスがあります。研究成果の社会還元です。私たちが分析した成果はあくまでひとつの考え方に基づく形ですが、それを使って未来の街のあり方を住民や自治体が考えると別の見方があるかもしれない」
「たとえ高度な知識がなくても、自分たちの街のことなので地図を使って考えることができると思います。データをどう解釈するかという教育の部分もセットになった取り組みが有用かもしれません。それに加えて、研究にも使えるようなデータや知見の収集を地域の人たちと一緒にやれれば面白いなと考えました」
ー具体的には何をしていますか。
「OSM(オープンストリートマップ)の活動の他に、『アーバンデータチャレンジ』という年間を通じた、データを使った地域課題解決をテーマにしたコンテストを多くの有識者の協力を得て実施しています。オープンデータの環境が整いつつある中で、出てきたデータを市民がどう使えばいいのか。あるいはデータのない地域では、その集め方や使い方が分からない。だったらデータ利用のノウハウや、簡単な地理情報プログラミングの仕方なども含めて全国で普及活動をしようということになりました。2013年に始めて今年で6年目になります。作品を作って表彰して終わりではなくて、データを使いこなすためのコミュニティ、すなわち地域拠点を全国各地につくっていきたい。少なくとも都道府県に1拠点ずつ作ろうという運動を続けてきました」
「コンテストとしては、4-5月に地域拠点の公募を広く呼びかけて、立候補したところに活動計画書を書いてもらい、拠点に選ばれたコミュニティには、活動に対する若干の資金や人的・技術的な支援をおこない、1年間を通して活動してもらいます。例えば活動の中には、街歩きやマッピングパーティなどの地理情報を集めるものもあれば、オープンデータを活用するハッカソン(アプリケーションの短期開発イベント)もあり、そこでできたアプリケーションを1年の最後の最終審査に応募してもらうこともあります。オープンデータを使って街の課題を解決しようという地域組織が、そうした拠点から立ち上がってくるようになってきました」
ー専門家から見て、成果はありましたか。
「初期の事例ですが、子育てに関する情報と保育園マップを子育て中のお母さんが自分たちで作ったのは印象的でした。保育所の場所だけではなく、どういう時間帯に預けられるのか、どのくらいの人数を募集しているのか。さらに子育て期の家族が利用できる施設やイベント情報を地図にヒモ付けたアプリケーションでした。当時私はまだ子育ての苦労をよく分かっていなかったので、地図情報にこんな使い方があるのかとびっくりしましたが、都市部での待機児童問題が深刻化し、必要性を痛感しました」
「保育園の情報は多くの自治体が公表しています。ただ名称と住所のリストで示されても、その土地に転勤したばかりの人だったら距離感が分からない。自宅や職場を中心に、自分が移動することをイメージするには地図やデジタル情報と結びつけないと難しいんです。公共施設なども同じですけど、分かりやすく表現できるのが地図に示すことの大きな特徴です」
ー社会一般で、GISがビジネスに使われるようになったなと感じることがありますか?
「収益モデルはよく理解できていない部分も多いのですが、乗り換え案内型のアプリケーションに代表される移動支援サービスは、今後期待ができると思います。目的地までの移動経路や交通手段を複合的に検索して、現在地から主要施設までの最適なルートや所要時間を具体的に示すだけでなく、広告と連動して周辺のお店をリコメンドするのは、地理情報の身近な利用の一例で、都市部だけでなくどの地域でも必要になるからです」
ー地理学は学際的で、多くの要素があるのですね。
「英語圏の大学では建築や都市工学、情報分野と地図を使いながら一緒に研究するスタイルが多いと思います。したがって学問的にも、まだまだ可能性があると思っています。例えば災害時に人がどこに避難し、普段とは異なるどこに滞留するかをリアルタイムに把握し予測するという研究が代表例でしょうか。携帯電話の位置情報などをもとに、もっと空間的に精度の高い研究が必要になるでしょう」
「未来の予測というのも、どれだけ可能かは分からないけど情報工学の力を借りながら地理学の研究テーマとしてはチャレンジングで面白そうです。その場所が将来どうなっていくかを過去の災害や気候変動、さらに人口減少などの社会的要因で解き明かせないか。地域特性の違いや得られるデータの精度、解析するハードウェア側の能力などの課題もありますが、興味深いです」
ー研究をする上でオープンにしてほしい公的な情報はありますか。
「挙げればキリがありません。ミクロな情報でいうと、自治体が持っている都市計画に関する詳細な情報です。都市計画基礎調査というのが5年に1回ぐらいあって、どのくらい建物があって用途は何か、建築年代がいつのなのかという情報が詳細にデータ化されています。市町村単位で調査され県ごとに集約されている情報です」
「これがより手軽に入手できれば、ミクロな単位での街の分析に役立ちます。建築年代や建物の用途の情報は、都市計画や災害の研究にも役立つだろうし、空間的な位置に付帯される情報の質が上がってくる可能性があります。欧州では建築年代の情報がオープンデータ化されている事例もあります。ただ、建物単位の詳細情報をつきつめると個人情報に該当する場合もあるので、オープンデータ化する場合でも、建物単位での提供が難しい場合は、メッシュ状に集計するなど工夫する余地はあるのではないでしょうか。ハザードマップの情報も、閲覧するだけでなく、他のGISアプリケーション上で異なるデータを組み合わせて分析できるように、もっとデータをオープンにしてくれるといいなと思ってます」
ーデータ社会の進展に、どんな期待をされますか。
「国が法整備をして10年以上たちます。デジタル地図そのものは、生活の中でも一般的になりました。しかし『地図を使う』ことに対してイメージが持てなかったり、その活用方法を社会に流通させる仕組みは、まだまだです。もっと皆で地図を作り、便利に使う社会になるよう興味を持ってもらいたいです」
―何がきっかけでGISの研究を始めたのですか。
「高校の社会の教員になりたくて、大学で地理学科を選んだんです。当時はGISという言葉はまだ一般的ではなく、ごく一部で『重要になる研究分野だ』といわれ始めたばかり。GISが科目になっておらず専門に教えられる先生もあまりいなかった。その時は自分がこの分野に深く関わることをイメージできませんでした」
「2004年に立命館大学に就職して実習助手になりました。そこでインパクトを受けたのが『バーチャル京都』というプロジェクトです。京都の都市空間や文化的資源、歴史を全部デジタル化して、バーチャル空間上にのせようというもので、こういう世界があるんだということを改めて知りました。地理の分野でデータやITを使うのが新鮮でした」
―どんな可能性を感じたのでしょう。
「それまでの地理学の研究者の多くは、ひたすらフィールドワークをする印象がありました。例えば今で言う“ブラタモリ”みたいに街を歩いて観察したり、インタビューや文献調査する研究が多く行われていました。それがデジタルになった時に、多くのデータからより多面的な視点で街の状況を解き明かせるんじゃなかと気づいたんです。膨大な京都の資料をバーチャル空間に置きかえて、視覚化を含めて分かりやすく整理する。そうすればある程度、昔の生活や景観を分かりやすく表現できる可能性があります」
―ITスキルが必要ですね。ハードルが高そうです。
「僕はあまり人文系・理工系を区別するのが好きではないのですが、人文系ではデジタルデータになじまない研究者の方がどうしても多いかなと思います。しかしそれも世代が入れ変わることで使い方も大きく変わってきています。今ではGISを専門にしていない周辺領域でもインターネット上のデジタル地図を使って研究することが珍しくなくなりました。一般社会でも、スマートフォンを使う人口は世代を問わず増えてきているし、子供は使い方を教えなくてもタブレットを自分で使いこなして地図を開いて遊んでいることもあります。そういうことじゃないかな」
―デジタル地図は米国のGPSサービスに依存しています。信頼性や安全保障など、頼り切っていていいのでしょうか。
「従来の紙の地図の正確性がデジタルよりも高いかというと、必ずしもそうじゃないんです。例えば国土地理院の地形図でも、例えば1万分1スケールの地図を作製する場合で約7メートル以内は許容誤差として認めています。また土地の境界を決めるのは地籍図ですが、そのデータも全国一律ではなく、デジタルになっていないものも多くあいまいな部分があります。逆に現代の技術で測量し直して初めて正確な位置が確定することもあるそうです」
「そもそも日々に変化していく土地の状況を理解するのは難しくて、建物や道路の変化や自然災害、例えば地震などに迅速に対応していくには、GPSのようなデジタルで正確に計測できるツールを使わないと立ちいかなくなるでしょう。日本政府が準天頂衛星を打ち上げていることも、自国の衛星測位システムとして、リアルタイムに位置情報を取得できる環境を整備する上で重要ですし、将来的には多数の超小型衛星を使った新しい方法の可能性もあります」
オープンな政策を追い風に
―研究に使うのは国土地理院の地図でしょうか。
「地理学にはスケールという概念があります。等高線とか土地の起伏など、比較的広いエリアを示す際に用いる国土地理院の地形図は、例えば災害対策のための研究には非常に重要です。一方で住宅地図のように、どんな土地に何が建っているという細かいレベルの情報が必要になることもあります。日本では、そうした分野は長らく民間の地図会社が頑張ってきました」
「他方、私の現在の研究では、OSM(オープンストリートマップ)を使うことが多くなりました。イギリスでは、かつて公的に整備された地図をビジネスで使う時に制約があるなど自由に使えない状況がありました。『それなら自分たちで、現代のツールで自由に使える地図を作ろう』として2004年に始まったボランティア型のプロジェクトです。GPSロガーを使ってデータを蓄積したり、公開されている航空写真や衛星画像から地図をデータ化する作業の積み重ねで作られて世界中で活動されています。日本でも2008年ごろから活動が活発に行われています。」
「公的でミクロな詳細データとして、例えば国交省の事業で『歩行空間ネットワークデータ』というのがあります。横浜や東京などの限られたエリアで公開されています。こういうのが全国で蓄積されてオープンデータになってくれるといいなと思います」
―政府のオープンデータ政策をどう評価していますか。
「ずいぶん変わったと思います。地理空間情報活用推進基本法が2007年に制定されるまで、地図データを社会で流通し活用するための法律がほとんどなかったと思います。例えば、自治体の地図データであっても、用途によって例えば都市計画課や農林課などが同じようなデータをバラバラに持っていることもありました。それらの地理情報を国の基盤的なデータとして法律の体系に載せるよう決めた意味はあります。ただ、10年以上たった現在、誰でも法律の存在を知っているというわけでは必ずしもなく、完全には周知されていないとも感じます」
「もっと変わったのは2013年以降のオープンデータ政策です。2017年に官民データ活用推進基本法が制定されたのも大きな転機でした。それまで、ある地図データを元に研究をするには、申請書を書いて承諾してもらう必要があったり、取扱いが厳しい自治体だとデータの提供を断られることもありました。例えば大学であれば比較的信用は高いはずなんですが、研究者が役所に依頼状を出して、許可された後にCD-ROMなどを持参しデータを受け取っているということがありました。オープンデータ化とともに、あらかじめ利用規約を定めた上でインターネット上にデータ自体を置いてくれるようになりました。データ利用に関して個別に許諾のやりとりがなくなったのは大きいですね」
―デジタル地図で最も利用されているのはGoogleマップのように思います。
「確かにGoogleマップのインパクトは巨大でした。実は国土地理院の電子国土webサービス(現在は、地理院地図)の方が先に提供されていたんですが、当時はGoogleマップの方が道路や建物以外の情報も充実しているし、デザイン的にも優れていて使いやすかった。今もウェブサイトの案内図などに埋め込んで使われていますね。けれどGoogleマップは民間企業のサービスなので、あらゆる用途に対して必ずしも無料で使えるサービスとは言えない面があります。また利用方法にも制約があるので、デジタル地図サービスをひとつの企業のサービスのみに頼っていていいかは議論の余地があります」
「Googleは大量の情報を持っているから、地理学的にもダイナミックな研究ができるかなと考えたこともあります。でも実際には私の研究や、その成果を社会に還元する方法として今、力を入れている“参加型GIS”な観点で見ると、Googleマップはライセンスの関係などで用途的な限界を感じる部分もあります。だからこそOSMの活動が活発になったり、地理情報システム自体もオープンソースで作っていくことに可能性を見出しています」
生活を豊かにする地理情報とは?
地理的・歴史的な多くの情報を集めデータとして管理し、デジタル地図上に表現したり分析できるのが地理情報システム(GIS)だ。ただ専門家が作るだけでなく、一般の住民や自治体にも参加してもらうことに意味があると東京大学空間情報科学研究センター特任講師の瀬戸寿一氏は強調する。オープンデータを活用した地理学が、新たな“参加型GIS”の扉を開いた。
ー“参加型GIS”とは、そもそもどんなものですか。
「地理学やGIS研究では、膨大な地理情報をわかりやすく整理・体系化して表現するのがポイントです。そういうデータや技術を使って、地域政策やコミュニティの運営の意思決定を支援するのが参加型GISの肝になります」
「たとえば自治体が、立地適正化計画や都市計画を策定します。計画を立案する時には、住民と行政が協働しなければいけません。その時に具体的なツールとして使えるようにするのは参加型GIS研究の柱のひとつです。さらに、私たちのような専門家がお手伝いできないようなケースでも、地域の人たちが自分たちの手で地元の施策を考えられるようにしたいと考えています」
ーデジタル情報が準備できれば、町おこしの種が作れるということですね。
「研究で集めた空間情報や分析結果をできるだけ提供することで、地域の人たちに自分のこととして考えてほしいというニュアンスがあります。研究成果の社会還元です。私たちが分析した成果はあくまでひとつの考え方に基づく形ですが、それを使って未来の街のあり方を住民や自治体が考えると別の見方があるかもしれない」
「たとえ高度な知識がなくても、自分たちの街のことなので地図を使って考えることができると思います。データをどう解釈するかという教育の部分もセットになった取り組みが有用かもしれません。それに加えて、研究にも使えるようなデータや知見の収集を地域の人たちと一緒にやれれば面白いなと考えました」
ー具体的には何をしていますか。
「OSM(オープンストリートマップ)の活動の他に、『アーバンデータチャレンジ』という年間を通じた、データを使った地域課題解決をテーマにしたコンテストを多くの有識者の協力を得て実施しています。オープンデータの環境が整いつつある中で、出てきたデータを市民がどう使えばいいのか。あるいはデータのない地域では、その集め方や使い方が分からない。だったらデータ利用のノウハウや、簡単な地理情報プログラミングの仕方なども含めて全国で普及活動をしようということになりました。2013年に始めて今年で6年目になります。作品を作って表彰して終わりではなくて、データを使いこなすためのコミュニティ、すなわち地域拠点を全国各地につくっていきたい。少なくとも都道府県に1拠点ずつ作ろうという運動を続けてきました」
「コンテストとしては、4-5月に地域拠点の公募を広く呼びかけて、立候補したところに活動計画書を書いてもらい、拠点に選ばれたコミュニティには、活動に対する若干の資金や人的・技術的な支援をおこない、1年間を通して活動してもらいます。例えば活動の中には、街歩きやマッピングパーティなどの地理情報を集めるものもあれば、オープンデータを活用するハッカソン(アプリケーションの短期開発イベント)もあり、そこでできたアプリケーションを1年の最後の最終審査に応募してもらうこともあります。オープンデータを使って街の課題を解決しようという地域組織が、そうした拠点から立ち上がってくるようになってきました」
ー専門家から見て、成果はありましたか。
「初期の事例ですが、子育てに関する情報と保育園マップを子育て中のお母さんが自分たちで作ったのは印象的でした。保育所の場所だけではなく、どういう時間帯に預けられるのか、どのくらいの人数を募集しているのか。さらに子育て期の家族が利用できる施設やイベント情報を地図にヒモ付けたアプリケーションでした。当時私はまだ子育ての苦労をよく分かっていなかったので、地図情報にこんな使い方があるのかとびっくりしましたが、都市部での待機児童問題が深刻化し、必要性を痛感しました」
「保育園の情報は多くの自治体が公表しています。ただ名称と住所のリストで示されても、その土地に転勤したばかりの人だったら距離感が分からない。自宅や職場を中心に、自分が移動することをイメージするには地図やデジタル情報と結びつけないと難しいんです。公共施設なども同じですけど、分かりやすく表現できるのが地図に示すことの大きな特徴です」
都市計画情報にも注目
ー社会一般で、GISがビジネスに使われるようになったなと感じることがありますか?
「収益モデルはよく理解できていない部分も多いのですが、乗り換え案内型のアプリケーションに代表される移動支援サービスは、今後期待ができると思います。目的地までの移動経路や交通手段を複合的に検索して、現在地から主要施設までの最適なルートや所要時間を具体的に示すだけでなく、広告と連動して周辺のお店をリコメンドするのは、地理情報の身近な利用の一例で、都市部だけでなくどの地域でも必要になるからです」
ー地理学は学際的で、多くの要素があるのですね。
「英語圏の大学では建築や都市工学、情報分野と地図を使いながら一緒に研究するスタイルが多いと思います。したがって学問的にも、まだまだ可能性があると思っています。例えば災害時に人がどこに避難し、普段とは異なるどこに滞留するかをリアルタイムに把握し予測するという研究が代表例でしょうか。携帯電話の位置情報などをもとに、もっと空間的に精度の高い研究が必要になるでしょう」
「未来の予測というのも、どれだけ可能かは分からないけど情報工学の力を借りながら地理学の研究テーマとしてはチャレンジングで面白そうです。その場所が将来どうなっていくかを過去の災害や気候変動、さらに人口減少などの社会的要因で解き明かせないか。地域特性の違いや得られるデータの精度、解析するハードウェア側の能力などの課題もありますが、興味深いです」
ー研究をする上でオープンにしてほしい公的な情報はありますか。
「挙げればキリがありません。ミクロな情報でいうと、自治体が持っている都市計画に関する詳細な情報です。都市計画基礎調査というのが5年に1回ぐらいあって、どのくらい建物があって用途は何か、建築年代がいつのなのかという情報が詳細にデータ化されています。市町村単位で調査され県ごとに集約されている情報です」
「これがより手軽に入手できれば、ミクロな単位での街の分析に役立ちます。建築年代や建物の用途の情報は、都市計画や災害の研究にも役立つだろうし、空間的な位置に付帯される情報の質が上がってくる可能性があります。欧州では建築年代の情報がオープンデータ化されている事例もあります。ただ、建物単位の詳細情報をつきつめると個人情報に該当する場合もあるので、オープンデータ化する場合でも、建物単位での提供が難しい場合は、メッシュ状に集計するなど工夫する余地はあるのではないでしょうか。ハザードマップの情報も、閲覧するだけでなく、他のGISアプリケーション上で異なるデータを組み合わせて分析できるように、もっとデータをオープンにしてくれるといいなと思ってます」
ーデータ社会の進展に、どんな期待をされますか。
「国が法整備をして10年以上たちます。デジタル地図そのものは、生活の中でも一般的になりました。しかし『地図を使う』ことに対してイメージが持てなかったり、その活用方法を社会に流通させる仕組みは、まだまだです。もっと皆で地図を作り、便利に使う社会になるよう興味を持ってもらいたいです」
せと・としかず 1979年東京都生まれ。2004年東京都立大学大学院 都市科学研究科修士課程修了。立命館大学文学部実習助手、講師を経て12年同大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了、博士(文学)。同大での専門研究員と兼務で、同年ハーバード大学地理解析センター客員研究員。13年東京大学空間情報科学研究センター 特任助教、16年4月より現職(併:生産技術研究所・協力研究員/地域未来社会連携研究機構・参画教員)。 専門分野は、社会地理学・地理情報科学。参加型GISやシビックテック・オープンデータに関する研究に従事する。主な著作に『参加型GISの理論と応用:みんなで作り・使う地理空間情報』(共著・古今書院)などがある。