「カルピス」100年、最大の危機とそれを打破した商品
発売100年経ても販売伸ばし続ける
子どもが水栓をひねると、蛇口から「カルピス」がグラスに注がれる―。これはアサヒ飲料が乳酸菌飲料「カルピス」の発売100周年を記念する事業の一環。ひなまつりのシーズンに合わせ、白酒ならぬ“白いカルピス”を子どもたちにプレゼントするイベントだ。日本人のほとんどが飲んだ経験のあるというカルピスは国内で初の乳酸菌飲料であり、100年を経て現在も販売を伸ばし続けている。このロングラン商品の魅力に迫る。
僧侶出身の実業家、三島海雲が内モンゴルで出会った飲料「酸乳」をヒントに、国民の健康を願って開発したのがカルピスだ。1919年7月7日の七夕に発売。瞬く間に広まっていったという。
現在、18年のカルピスブランドの販売数量は前年比約11%増の4263万ケースと過去最高を更新した。アサヒ飲料の重点6ブランドで最多であり、岸上克彦社長は「当社には『三ツ矢』『ウィルキンソン』を含め100年の歴史を持つ3ブランドがあり、その中でもカルピスは重要な位置付け」と指摘する。
さらに19年も同約4%増の4430万ケースに引き上げる計画で、同社の屋台骨を支える存在といっても過言ではない。
発売100周年として19年は、カルピスブランドのさらなるPR活動や商品展開の拡充を加速する。このほど東京ドームシティ(東京都文京区)でスタートしたイベント「カルピスじゃぐち」では、特設ウエブサイトに子どもへのメッセージを送るとメッセージとともにカルピス1杯が子どもに届く。さらに福岡県、広島県、香川県など全国9カ所で5月5日のこどもの日周辺まで実施する。
商品ラインアップではヨーグルトとカルピスを組み合わせた『発酵BLEND「ヨーグルト&カルピス」』を通年商品として加えた。
6月には大人向けリッチテイストの新シリーズを発売するほか、1杯分のカルピスを個包装したギフト商品も投入する予定。
さらに10月には100周年限定商品として新たな発酵技術を活用したカルピス新商品を発売する。
また生産体制も増強する。主力の一つ群馬工場(群馬県館林市)に約90億円を投じてカルピスウォーターなどのアセプティックPETライン(無菌充填する設備)を増設するほか、乳発酵設備を更新する。6月に稼働を予定し、製造能力は従来の1・3倍に当たる年間約3900万ケースになる。
「カルピス」はアサヒ飲料を代表するブランドの一つに成長した。しかし100年の歴史の中で順風満帆に成長を遂げたわけではなく、これまでにいくつもの曲折があったのも事実だ。苦境に立った時に新商品の開発やブランド価値向上に取り組み、切り抜けてきた。また経営体制にも大きな変遷があった。
創業者の三島海雲が立ち上げた会社はその後、カルピス食品工業として大きく販売を伸ばした。三島の「一品主義の思い」を貫き、60―70年代には希釈用飲料として贈答用商品などを中心にシェアを高めた。まさに“一本足打法”で成長した。
最初の苦境はコンビニエンスストアや自動販売機が増えた80年代に訪れた。飲料の主流が缶やペットボトル入りに替わり、いつでも外で飲めるようになった。「同様の商品開発は希釈用とのカニバリ(共食い)が懸念され、進まなかった」(岸上克彦社長)という。
状況は改善できずに、91年に味の素の資本参加を仰いだ。これを機に缶入りのカルピスの市場投入に大きく前進。同年に缶入りの「カルピスウォーター」を発売し、2000万ケースを販売する大ヒットとなった。カニバリは起きなかった。当時、担当マネージャーだった岸上社長は「当初計画をはるかに上回る売れ行きに、このブランドの強さを思い知った」と振り返る。
しかし00年代になると飲料市場の競争が一層激化し再び販売が低迷した。カルピスは「子どもの飲み物」「白い甘い飲み物」などのイメージが強まっていたという。社内ではカルピスウォーターの大ヒットで、その商品力頼りになっていたことも低迷の背景にある。
そこで09年以降にブランド価値の向上に取り組んだ。原点に戻って「発酵」を切り口として「おいしさと健康」をブランドの価値として訴求した。この一環で大人の需要を狙った「濃いめのカルピス」「カラダカルピス」などをラインアップに加え、販売を成長軌道に乗せた。
この間に経営体制も大きく変わった。カルピスは07年に味の素の子会社となり、その後、12年にアサヒグループが買収し、さらに飲料事業の統合により現在のアサヒ飲料になった。「海外の販売チャンネルなど大きな土台で仕事ができることや、社内競争もあることなどを前向きに捉えた」と、岸上社長は経営移行をプラス思考に変えたと強調する。これを証明するように13年以降に6年連続の出荷増を記録する。
―「カルピス」は発売から100年を迎えますが、売れ続けている魅力は何でしょう。
「創業者の三島海雲がカルピスの商品化で、(1)おいしい(2)滋養になる(3)安心感(4)経済的―の四つの価値を表現している。この価値を守りながら、社会環境の変化に対応した商品を提供してきた。厳しい時代もあったが、この価値により『おいしくて健康に良い飲み物』と支持され、乗り越えてきた」
―最大の危機を感じたのはいつですか。
「1980年代にコンビニエンスストアや自動販売機が増えてきた頃。飲料が外で手軽に飲めるようになり、希釈用の家庭向け商品だけだったカルピスの販売は伸び悩んだ。ブランドに対する自信をなくし始めていた。こんな状況を打破したのが91年に発売した缶入りの『カルピスウォーター』だった」
―この商品がカルピスブランドの転機になったわけですね。
「当時、味の素の資本参加を仰いで、第三者の目を踏まえて新商品を投入した。私は担当のマネージャーだったが、爆発的な売れ行きで生産も調達も追い付かなくなった。販売は2000万ケースに達する大ヒットとなった。私自身が気付いていないような、このブランドの本当の強さを思い知った。この経験が私の原点でもある」
―経営が07年に味の素に、12年にアサヒグループにと相次いで変わりました。社内の混乱はなかったですか。
「アサヒのグループに入った時は、社内に私も含めて味の素傘下時代の経験者がいた。社内競争もあるが、海外のチャンネルが拡大するなど広い視野で仕事ができることなど前向きに捉えた。社内はスムーズに移行できたと思う」
―100周年の19年の重点施策は。
「カルピスが他の飲料と異なるのは、本来、原液を希釈して誰かにつくってあげる“想いをつなぐ”飲み物ということ。ひなまつりからこどもの日にかけて、子どもたちにカルピスをプレゼントする『カルピスじゃぐち』や、地域でこどもを育てる絵本の読み聞かせキャンペーンを展開する。このほかみそ、しょうゆなど全国各地の発酵文化とコラボレーションも実施する」
―商品ラインアップも強化します。
「ヨーグルトと組み合わせて好評だった『発酵BLEND』を通年販売に加えた。リッチテイストの新シリーズを展開する。さらに新しい発酵技術を使って、よりまろやかに飲めるカルピスを100周年限定商品として秋に発売する」
(文=編集委員・井上雅太郎)
アサヒ飲料の屋台骨を支える
僧侶出身の実業家、三島海雲が内モンゴルで出会った飲料「酸乳」をヒントに、国民の健康を願って開発したのがカルピスだ。1919年7月7日の七夕に発売。瞬く間に広まっていったという。
現在、18年のカルピスブランドの販売数量は前年比約11%増の4263万ケースと過去最高を更新した。アサヒ飲料の重点6ブランドで最多であり、岸上克彦社長は「当社には『三ツ矢』『ウィルキンソン』を含め100年の歴史を持つ3ブランドがあり、その中でもカルピスは重要な位置付け」と指摘する。
さらに19年も同約4%増の4430万ケースに引き上げる計画で、同社の屋台骨を支える存在といっても過言ではない。
発売100周年として19年は、カルピスブランドのさらなるPR活動や商品展開の拡充を加速する。このほど東京ドームシティ(東京都文京区)でスタートしたイベント「カルピスじゃぐち」では、特設ウエブサイトに子どもへのメッセージを送るとメッセージとともにカルピス1杯が子どもに届く。さらに福岡県、広島県、香川県など全国9カ所で5月5日のこどもの日周辺まで実施する。
商品ラインアップではヨーグルトとカルピスを組み合わせた『発酵BLEND「ヨーグルト&カルピス」』を通年商品として加えた。
6月には大人向けリッチテイストの新シリーズを発売するほか、1杯分のカルピスを個包装したギフト商品も投入する予定。
さらに10月には100周年限定商品として新たな発酵技術を活用したカルピス新商品を発売する。
また生産体制も増強する。主力の一つ群馬工場(群馬県館林市)に約90億円を投じてカルピスウォーターなどのアセプティックPETライン(無菌充填する設備)を増設するほか、乳発酵設備を更新する。6月に稼働を予定し、製造能力は従来の1・3倍に当たる年間約3900万ケースになる。
順風満帆ではなかった
「カルピス」はアサヒ飲料を代表するブランドの一つに成長した。しかし100年の歴史の中で順風満帆に成長を遂げたわけではなく、これまでにいくつもの曲折があったのも事実だ。苦境に立った時に新商品の開発やブランド価値向上に取り組み、切り抜けてきた。また経営体制にも大きな変遷があった。
創業者の三島海雲が立ち上げた会社はその後、カルピス食品工業として大きく販売を伸ばした。三島の「一品主義の思い」を貫き、60―70年代には希釈用飲料として贈答用商品などを中心にシェアを高めた。まさに“一本足打法”で成長した。
最初の苦境はコンビニエンスストアや自動販売機が増えた80年代に訪れた。飲料の主流が缶やペットボトル入りに替わり、いつでも外で飲めるようになった。「同様の商品開発は希釈用とのカニバリ(共食い)が懸念され、進まなかった」(岸上克彦社長)という。
状況は改善できずに、91年に味の素の資本参加を仰いだ。これを機に缶入りのカルピスの市場投入に大きく前進。同年に缶入りの「カルピスウォーター」を発売し、2000万ケースを販売する大ヒットとなった。カニバリは起きなかった。当時、担当マネージャーだった岸上社長は「当初計画をはるかに上回る売れ行きに、このブランドの強さを思い知った」と振り返る。
しかし00年代になると飲料市場の競争が一層激化し再び販売が低迷した。カルピスは「子どもの飲み物」「白い甘い飲み物」などのイメージが強まっていたという。社内ではカルピスウォーターの大ヒットで、その商品力頼りになっていたことも低迷の背景にある。
そこで09年以降にブランド価値の向上に取り組んだ。原点に戻って「発酵」を切り口として「おいしさと健康」をブランドの価値として訴求した。この一環で大人の需要を狙った「濃いめのカルピス」「カラダカルピス」などをラインアップに加え、販売を成長軌道に乗せた。
この間に経営体制も大きく変わった。カルピスは07年に味の素の子会社となり、その後、12年にアサヒグループが買収し、さらに飲料事業の統合により現在のアサヒ飲料になった。「海外の販売チャンネルなど大きな土台で仕事ができることや、社内競争もあることなどを前向きに捉えた」と、岸上社長は経営移行をプラス思考に変えたと強調する。これを証明するように13年以降に6年連続の出荷増を記録する。
アサヒ飲料社長・岸上克彦氏に聞く
―「カルピス」は発売から100年を迎えますが、売れ続けている魅力は何でしょう。
「創業者の三島海雲がカルピスの商品化で、(1)おいしい(2)滋養になる(3)安心感(4)経済的―の四つの価値を表現している。この価値を守りながら、社会環境の変化に対応した商品を提供してきた。厳しい時代もあったが、この価値により『おいしくて健康に良い飲み物』と支持され、乗り越えてきた」
―最大の危機を感じたのはいつですか。
「1980年代にコンビニエンスストアや自動販売機が増えてきた頃。飲料が外で手軽に飲めるようになり、希釈用の家庭向け商品だけだったカルピスの販売は伸び悩んだ。ブランドに対する自信をなくし始めていた。こんな状況を打破したのが91年に発売した缶入りの『カルピスウォーター』だった」
―この商品がカルピスブランドの転機になったわけですね。
「当時、味の素の資本参加を仰いで、第三者の目を踏まえて新商品を投入した。私は担当のマネージャーだったが、爆発的な売れ行きで生産も調達も追い付かなくなった。販売は2000万ケースに達する大ヒットとなった。私自身が気付いていないような、このブランドの本当の強さを思い知った。この経験が私の原点でもある」
―経営が07年に味の素に、12年にアサヒグループにと相次いで変わりました。社内の混乱はなかったですか。
「アサヒのグループに入った時は、社内に私も含めて味の素傘下時代の経験者がいた。社内競争もあるが、海外のチャンネルが拡大するなど広い視野で仕事ができることなど前向きに捉えた。社内はスムーズに移行できたと思う」
―100周年の19年の重点施策は。
「カルピスが他の飲料と異なるのは、本来、原液を希釈して誰かにつくってあげる“想いをつなぐ”飲み物ということ。ひなまつりからこどもの日にかけて、子どもたちにカルピスをプレゼントする『カルピスじゃぐち』や、地域でこどもを育てる絵本の読み聞かせキャンペーンを展開する。このほかみそ、しょうゆなど全国各地の発酵文化とコラボレーションも実施する」
―商品ラインアップも強化します。
「ヨーグルトと組み合わせて好評だった『発酵BLEND』を通年販売に加えた。リッチテイストの新シリーズを展開する。さらに新しい発酵技術を使って、よりまろやかに飲めるカルピスを100周年限定商品として秋に発売する」
(文=編集委員・井上雅太郎)
日刊工業新聞2019年3月12、13、15日