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122個のメダル獲得に貢献!競技用車いすでアスリート支える会社のこだわり

122個のメダル獲得に貢献!競技用車いすでアスリート支える会社のこだわり

機能性とデザインを兼ね備えた製品開発を追求する。石井勝之社長と工場の様子

 国内外のパラリンピック選手が絶大な信頼を寄せるオリジナル車いすの製作を手がける会社が千葉県にある。オーエックスエンジニアリング。創業者の石井重行氏は、全日本のオートバイ大会で活躍するレーサー、そしてモータージャーナリストとして活躍中だったが、1984年に新型バイクの試乗中の事故で脊髄を損傷。車いすでの生活を余儀なくされた。こうした苛酷な経験が、機能面だけでなくデザイン的にも優れた車いすを開発したいとの思いの原点にある。

徹底したこだわり


 車いすの開発と無縁だったわけではない。重行氏は2輪車を販売するスポーツショップイシイ(現M2デザイン研究所)の経営者でもあり、事故後の85年に個人プロジェクトとして車いすの製造を始めた。実際に自らが車いすを使用する立場に身を置いてはじめて改良点が明確になった。

 当時、車いすは福祉器具としてしか認識されておらず、銀一色で、重たく、小回りがきかないのが一般的だった。目指したのは、使う側の気持ちに寄り添ったものづくり。モータースポーツの世界から参入しただけにデザインと機能には徹底的にこだわった。

 オーエックスエンジニアリングの設立から4年―。92年には日常生活用の車いすの製造販売を開始。翌年にはテニス用車いす、バスケットボール用車いすにも製品群を拡大。競技用の車いすを選手に使用してもらい、その活躍を通じてブランドの確立を目指す戦略だ。
 

世界にその名が


 その後、1996年のアトランタパラリンピックに照準を定め、レース用車いすの開発に乗り出す。選手ひとりひとりの多岐にわたる要望に徹底的に応えようと、1ミリメートル単位まで調整して作り込み「極限まで高められたポテンシャルを必要とするアスリートの思いを形にした」(同社)車いすとともに、競技に臨んだ選手たち。アトランタパラリンピックでは陸上トラック競技100メートル、200メートルで金メダル2個、銀メダル2個獲得という快挙を成し遂げた。しかも金メダルの選手2人は世界新記録だ。こうしてオーエックスエンジニアリングの名前は世界中に知れ渡ることとなる。

 アトランタパラリンピック以降、同社の車いすに乗った選手は累計で122個のメダルを獲得している。着実に実績を積み重ね競技用でのブランドを確立する一方で、重行氏から経営のバトンを託された息子で現社長の石井勝之氏は「今こそ正念場」と気を引き締める。記録更新が期待される2020年の東京パラリンピックまで2年を切ったことだけではない。競技用としてのブランド確立期を経て、本格的な海外展開に乗り出そうとしているからだ。

 その原動力となるのが、アジアや欧米といった各地域の体形にフィットしたグローバルモデル。アルミニウム以外にも、炭素繊維強化プラスチックなど複合素材で構成し、軽さと強い耐久性の両立を目指している。

技術力を横展開


 生産体制の見直しも進めてきた。同社は車いす以外にも自転車や生活改善器具を開発するが、自転車の生産をグループ会社であるオーエックス新潟(新潟県長岡市)にこの6月に移管した。他方、同じくグループ会社であるM2デザイン研究所(千葉県若葉区)では、競技用車いすや多品種少量の試作機や試作部品の生産に特化。ここで蓄積した技術力をオーエックス新潟をはじめ他工場に横展開することで、開発力や生産技術をさらに高める狙いだ。

高い技術力に加え柔軟な生産体制も強み

 重行氏の個人プロジェクトとしてスタートした車いす事業は今や売上高の90%を超える主力事業に成長した。同事業のうち競技用の売上高比率は10%。勝之氏は競技用が持つ意味について「自動車メーカーがF1(フォーミュラワン)に参戦するようなもの」と表現する。同時に「車いすにこだわらず、社会のニーズに合った〝乗り物〟に携わる企業でありたい」と語る。使う人に寄り添ったものづくりとチャレンジ精神は時代が変わっても確かに受け継がれている。
【企業情報】
 ▽所在地=千葉市若葉区中田町2186の1▽社長=石井勝之氏▽設立=1988年10月▽売上高=非公表
神崎明子
神崎明子 Kanzaki Akiko 東京支社 編集委員
地域はもとより、日本の未来を切り拓く牽引企業です。

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