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“中東の夢”ドバイの現在・過去・未来を愉しむ

王様も庶民も外国人も、不可能を可能に変える街
“中東の夢”ドバイの現在・過去・未来を愉しむ

地平線に沈みゆく夕陽。感動的なマジックアワーの時間

 
 ドバイには、ドギモを抜かれるようなたくさんの“世界一”がある。一番有名なところでは、2010年4月にオープンした「バージュ・カリファ」の高層ビルだろう。

 現在世界一の高さを誇る828mで、東京タワーの約2.5倍、東京スカイツリーの約1.3倍だ。エレベーター乗り場から124階の展望階まで秒速10mで一気に上昇する。

 余談だがドバイでは地震がまず起こらない。かつて震度1でパニックになり(震度1に反応する感度もすごいが…)、会社から早々に人が引き上げたという都市伝説が流布しているくらい。どれだけ高層でも、免震や耐震構造にナーバスになる必要はないのだ。

 124階の上階にはデッキスペースもあるので、頭がクラクラするような絶景がオープンエアで楽しめる。ヤシの木をかたどった世界一の人工島「パーム・ジュメイラ」、多くの島で世界地図を表した「ザ・ワールド」が遠く霞んで見え、すぐ近くには、これまた世界一の高さと長さを誇る噴水ショー「ドバイ・ファウンテン」が見られる。世界一の規模のショッピングセンター「ドバイ・モール」も隣接する。

 残念ながら「バージュ・カリファ」は、2020年にはサウジアラビアの1000mを越す「ジッダタワー」に世界一の座を譲る予定。だが、その高さに匹敵するタワーの建築がドバイでも建築進行中である。“負けず嫌い”精神を発揮して、いつかまた世界一を奪還する日が来るだろう。

“世界一”のてっぺんで、イケメン皇太子がトップセールス


 さて「バージュ・カリファ」といえば、ハムダン皇太子が、828mのてっぺん部分に座り、自身のインスタグラムでドバイのPRコンテンツを発信したことでも有名だ。これが功を奏してか、2020年の「ドバイ万博」開催も勝ち取った。

 それにしてもハムダン皇太子が素敵なのはお顔だけではない。10数人いる息子たちの中から、皇太子に選ばれただけあって頭脳明晰、美しいアラビア語を繰り出す詩人でもある。フラッと街中に現れ、ローカル女子たちのキャーキャー騒ぐ声の先には、皇太子が…なんていうこともあるらしい。

 神出鬼没なハムダン皇太子のご愛用車のひとつはメルセデスベンツの四駆で、ナンバーは「0003」(お父様のムハンマド首長のベンツが0001。運転マナーが悪い車のナンバーを控えられ、後でお叱りが来るとの噂も)。運が良ければ、彼らがドライブする姿を見ることができるかもしれない。
「バージュ・カリファ」の124階から見た「ドバイ・ファウンテン」

行く末を彩る黄金の額縁


 今のところドバイにしかない大きな額縁「ドバイ・フレーム」が、2018年1月1日にオープンした。もちろん世界一の高さ150mを誇る。

 巨大な額縁=フレームは、遠くから眺めても美しいが、圧巻なのは透け透けの床。「バージュ・カリファ」に比べればなんてことはない高さだが、最上階のスケルトンの床を見ただけで背筋がゾクゾク、膝がガクガクするほどの恐怖感に襲われる。

 強化ガラスを使用しているので、もちろん全く心配はいらないのだが。床に近づけもしない人、平気で歩きながら自撮りをする人とさまざまだ。可能なら、ぜひともガラスの上から下界をのぞいてほしい。

 「ドバイ・フレーム」は、展望台だけではなく、ドバイの歴史を紹介する博物館でもある。ここが砂漠の漁村だったころ、天然真珠の採取を主要な産業にしていたころ、人々が質素な生活をしていたころ…。古き時代のモノクロ映像を見ていると、そんな素朴な時代もあったのだと感慨深い。

 エキサイティングな最上階から降りて出口に向かうスペースには、「バーチャルメトロポリス」という夢のような近未来都市が出現(残念ながら撮影禁止)! 50年先のドバイがテーマ。一見荒唐無稽な未来の映像だが、これも“負けず嫌い精神”から、きっと実現させるだろう。

 真っ青な空に映える黄金色の「ドバイ・フレーム」は、街の景色を見事にトリミングする。北東はシルクロード交易で栄えた歴史あるパールドバイ&デイラ地区の「オールドドバイ」、一方の南西側は「バージュ・カリファ」などの高層ビルが聳え立つ「ニュードバイ」が額縁内に収まる。フレームが切り取った旧いドバイも新しいドバイも、今のドバイに違いない。
「ドバイ・フレーム」から見た「ニュー・ドバイ」

夜のドバイでホールインワンを狙え


 季節が夏に近づくと気温が非常に高くなるので、屋外でのアクティビティは夕方以降がベターだ。夜のドバイもまたエンターテインメントにあふれている。

 なかでもおすすめは、闇夜に浮かぶ摩天楼群に向かってプレーできる「エミレーツ・ゴルフクラブ」。2コースあるうち、ファルドコースと呼ばれる方が中東初の天然芝コースでナイトプレーができる。もう一方のマジリスコースはスケールの大きさと美しさに定評があり、特に8番コースでは、高層ビル群と砂漠の景観に見とれてしまう。

 そのマジリスコースでは毎年2月に「オメガ・ドバイ・デザートクラシック(ヨーロピアンツアー)」が開催され、優勝選手にタイガー・ウッズなどのトッププロが名を連ねるほどの名門トーナメントコース。

 ゴルフ場の周囲には、世界No.1テニスプレーヤー、ロジャー・フェデラーなどのセレブ所有のヴィラ(邸宅)が建ち並び、目の保養にも。ビジタープレー、用具レンタルもOK。しかも陽気な日本人コーチが常駐しているので、一緒にラウンドすることできる。

 ゴルフで一汗かいたあとは、クインシー・ジョーンズがプロデュースする「クインシー・ジョーンズ・ジャズバー」へ行って、リラックス。1980〜90年代のポップスシーンを牽引したクインシーもすでに85歳となったが、まだまだ健在だ!彼がセレクトした若手アーチストの都会派ジャズにひたってみるのもいい。
「エミレーツ・ゴルフクラブ」で、夜の摩天楼に向かってラウンドする 
 

シックなデザインホテルで、心地よい夢を見る 


 数々のドバイの“世界一”を効率よく回るには、ロケーションのいいホテルに泊まるべし。ドバイでは7つ星ホテルなど超ド級のゴージャスホテルが軒を連ねるが、交通の便が良く快適なステイをするには「ルネッサンス・ダウンタウンホテル・ドバイ」がいい。

 リーズナブルなのに、こじんまりとしていてとてもスタイリッシュ。静寂でゆったりとした部屋はリバービューか、バージュカリファビューを選べる。個人的には、美しい川面が眺められるリバービューがおすすめだ。

 上質なフレンチやイタリアンレストランのほか、オープンしたばかりの日本料理店「MORIMOTO」もホテル内にそろう。「バージュ・カリファ」を望むデッキテラスで、優雅にディナーを堪能できる。胃袋が満たされたら「シックス・センス」(第六感)と名付けられたスパで、とろっとろの極楽気分にひたろう。

真珠との蜜月時代を打ち壊した、日本のミキモトパール


 ドバイはなぜ一番が好きなのか?“負けず嫌い”スピリットの理由は、ドバイの歴史と密接な関係がある。1960年代まではアラビア湾沿いの漁村、荒野の砂漠の街でしかなかった。当時は天然真珠を採取して輸出していたが、その主要産業に大きな打撃を与えたのが、ほかならぬ日本の御木本幸吉。ミキモトパールのような安価で質の高い養殖真珠が世界を席巻した。

 真珠とドバイの切っても切れない深い関係と歴史を物語にした「ラ・ペール」(フランス語で真珠の意)が、今とても熱い注目を浴びている。

 ラスベガスのセリーヌ・ディオンのショーやシルク・ド・ソレイユを手がけたフランコ・ドラゴーヌ氏が手がけたもので、2017年より専用劇場で開催中。大量の水を投入した「シルク・ド・ソレイユ」のようなもの、といえばイメージが湧きやすい。

 25m近くの高さから垂直にプールに飛び込んだり、空中の円球の中(しかも途中から円球は半分に分断される)に6台のバイクが失踪するシーンなどは、まさに不可能を可能に変える驚愕のバフォーマンスだ。超一流のディレクターと世界各国の優れたパフォーマーたちを招聘できるのは、これもまたドバイの豊かさの証なのだろう。
ラペールの1シーン。25mの圧巻のダイビング

オイルマネーに頼らなくても生きていける!


  真珠産業が衰退する一方で、1960年代にドバイでも石油が発見され首長国内が歓喜に湧いた。しかしひとり冷静だったのは、ドバイ建国の父シェイク・ラシード氏。イケメン・ハムダン皇太子の祖父である。ラシード氏は「限りある資源には限界がある」と、石油枯渇を予見し、石油に頼らない国づくりを目指したのだ。

 アラブではもともと客人を大切にもてなす習慣があり、彼が推進したのが観光立国。多様性を容認し、ほかの中東諸国に比べるとイスラムの戒律がゆるやかだ。

 たとえば、体調が悪ければ一日5回の礼拝を必ずしも強制されない。すぐお隣のシャルージャ首長国は、UAEの中でも最も厳格なイスラム戒律を守っており、酒類の販売も飲酒も一切禁止され、大学では男女の席は別。肌を露出した外国人が闊歩するドバイは、良い意味での“いい加減”さが魅力なのだ。

 ドバイに魅了された客人はいまやいたるところにあふれ、住民の10%のみが「エミラティ」と呼ばれるローカル人で、それ以外はすべて外国人だ。

 それでもエミラティのおおっぴらな飲酒や、カップルのいちゃいちゃシーンを目にすることはない。外に出る場合の正装は、男性はアイロンがぴしりとかかった真っ白なディシュダーシャ、女性は真っ黒なアバヤと呼ばれる伝統衣装を着て、シェイラというスカーフで顔も髪も隠す。

 見知らぬ異性に顔やスタイルをさらさないためだが、それが却ってセクシーに見えるもの。そういえば大ヒットしたアメリカの連続テレビドラマ「セックス&ザ・シティ」の映画版の舞台設定はアブダビ(撮影はモロッコ)で、アバヤの下にド派手な衣装を着た女性が登場するシーンが印象的だった。

 ちなみに、舞台設定としてドバイも打診をされたそうだが、この危険なタイトルからしてドバイ側は「無理!」ということになったらしい。どこまで発展しても、どこまで解放されようと、ここはやっぱりイスラムの国なのである。
伝統衣装「アバヤスタイル」の体験

男子大卒公務員の初任給はなんと1000万円


 さて、ラシード氏がもくろんだ観光立国プランは見事に成就した。ドバイ国際空港をヨーロッパとアジアのハブ空港とし、経由地としてストップオーバーする旅人には無償で宿泊先を提供し(現在はなし)、インバウンドの観光客をどんどん受け入れた。そして数々の世界一、度ギモを抜くエンターテインメントを生み出し続けた。

 それが現在のドバイの繁栄をもたらし、2016年の観光収益は年間約3兆5000億円にもなる。もちろん世界一。庶民の豊かさもハンパなく、男子大卒公務員の初任給はなんと1000万円近く! エミラティであれば、公立の学費と医療費はタダ。所得税もない。女性が一生に子供を産む数は平均5人で、かつて真珠産業を壊滅に追い込んだ日本にとって、うらやましい限りだ。

 ドバイとUAE誕生の歴史を知るには、2017年に誕生したばかりの「エティハド博物館」へ行こう。イギリスから独立後、7人の首長たちが国づくりを目指した中東の“男たちのロマン”があふれる。

 最新の技術を使った展示物は、あまりにも先端すぎて使い方がわからないものがあるが、なかなか楽しい。無料の見学ツアー(英語のみ)に参加すると、普通は入場できないパレス内に入ることができる。
エティハド博物館横のユニオンハウス。UAEの始まりを意味するとても大切な場所

ベドウィンの故郷、砂漠で描いたドバイの未来


 遊牧の民・ベドウィンの故郷=砂漠をランドクルーザーで疾走する「デザート・サファリ」体験が大好評だ。中心部からルート66を南下すること約1時間。景色はきらびやかな高層ビル街から何もない砂漠の平原へと変わる。

 ラリーができるエリアのゲートで、車のタイヤの空気圧を抜くことからサファリは始まる。さらさらの砂地で疾走すると、タイヤがパンクする可能性があるからだ。

 そしてドライバーにおもむろに質問される。「コースはソフトがいいか?ハードがいいか?」と。車酔いしやすいタイプだし、ハードな乗り物にも強くないので「ミディアム寄りのソフトで」と答える。ドライバーの「Are you ready?」の掛け声のもと、ランドクルーザーは走り出す。

 砂じんが窓ガラスに激しく舞い、車はジェットコースター的なアップダウンを繰り返して疾走する。うーん、ソフト寄りのミディアムといったはずだが、これってミディアムじゃない?もしかしてそういう日本人的な微妙なニュアンスって伝わらないものかもしれない。

 アップダウンを繰り返すこと約20分。感覚的にはハードなラリーの後に行きついたのは、母なる砂漠を一望できる撮影スポットだ。

 ここに来るのはできれば夕刻がいいだろう。地平線に溶けていくような太陽、どこまでも長く伸びる自分の影、芸術的に美しいさざ波のような砂紋。太陽が沈んだ後は、急に砂の温度が下がり、裸足の足にひんやりとした心地よい感触でまとわりつく。真っ青な空に、一筆書きのように伸びていく飛行機雲のなんと儚いことーー。

 ドライブの後はキャンプでバーベキューや宿泊もできる。

 都心に住む若いエミラティでさえも、心身のバランスをとるために、週末には砂漠を訪れてキャンプをする人もいると聞く。建国の父シェイク・ラシード氏は、この砂漠の上で、ドバイの50年後、100年後の未来予想図を描いていたそう。彼らのオリジンは、真珠と砂漠にあったのだ。

庶民の暮らしに触れ、自ら体験する


 また都心に戻り、ドバイの町のおおもととなったドバイ・クリーク(入り江)をゆくアブラ船に乗る。バールドバイ地区とディラ地区を結ぶ渡し船で、早朝から23時ごろまで運行している。

 たった数分の乗車だが、地元の人が乗り込むアブラの乗船には、なんともいえないユルい時間が流れる。物価が高いドバイなのに、乗船料はたったの1AED(約30円)。行き交う船に乗船する客どうしで手を振り合うのも、牧歌的でいい。

 アブラ船から降りた後は、アル・ファヒディ歴史地区の「ゴールドスーク」と呼ばれる昔ながらの市場で、金を見るもよし、雑貨や土産を探すのもよし、スパイス類をのぞくのも良し。数あるスークの中でも「ゴールドスーク」は観光客向けなので、ぼったくりの被害に遭う心配もない。

 エミラティの生活、家庭の食事、イスラム文化を知るには、「シェイク・モハメッド文化理解センター」(SMCCU)へ行こう。食生活、最近のエミラティの結婚事情、女性の社会進出、民族衣装の説明などを、ジョークを交えながら聞くことができる。

 「カルチュラルミール」という食事付きプログラムがあり、とてもおいしい家庭料理がいただける。民族衣装の着用体験も可能。私たちがなかなか知ることがない“普段着のアラブ”がここにあった。

体内に染み渡る、コーランの心地よい響き


 「SMCCU」の敷地内には、アラブの伝統的な家屋が並んでいるので、ぶらりと散策するのもいい。そのうち、街中に設置されたスピーカーからコーランの読経の声が流れてくる。意味はまったくわからないが、その抑揚といい、澄み渡る声音といい、五臓六腑に染み渡る心地よさに感激する…。

 エミラティの人々は「神の思し召し」という言葉をよく口にする。それは仕事がうまくいかないときも、モノが壊れた時の言い訳にも使われるので、生真面目な日本人には理解しがたい場合もあるそうだ。何事も神様のせいにされれば、反論のしようがないのだから。

 しかし、すべては神の思し召しーーそう思えば、誰かを責めることも自分を責めることもない。人生、ちょっとは気楽になるのかもしれない。
カルチュラルブランチは観光客向けでかなりマイルドな味

野菜食べ放題、外国人も居住OKのエコタウン


 ドバイ建国の父、シェイク・ラシード氏が画策した、観光立国案は見事成就して“世界一”を多数携える富裕国となった。彼が砂漠に描いた“未来予想図”はまだ完成形にはいたっていないが、息子のムハンマド首長、孫のハムダン皇太子へと受け継がれ、未来を見通す力と実行力で、予想図は現実のものとなっていく。

 「限りある資源はいつか消え行くもの」——それは石油だけでなく、ドバイでハンパなく消費されている電力や水もまたしかり。それらを再生可能なエネルギーとして生み出し「2050年までに二酸化炭素の排出量を世界一抑える都市にする」という計画がムハンマド首長より発表された。

 その計画のひとつが、ドバイ中心部から南へ30kmほどのところにある、500万平方フィート(約46ha)の「サスティナブル・シティ」。文字通り“持続可能”なスマートコミュニティが2017年に完成した。
サスティナブル・シティ

 500軒の住宅に2000人もの人々の暮らす街は、太陽光で電気を、さらに水やゴミも循環再生させるなど全てのエネルギーを街の中で生み出している。「ダイヤモンド・ディベロップメント社」が主要な開発を進め、中東のスマートコミュニティとしては最大規模となった。

 街に中心部にある11機のドームのなかで野菜を育てていて、住民であればクーポンで野菜を購入できる。みずみずしい野菜をいつでも自由に持っていくことができるとは、うらやましい限り。

 真夏には気温50度を超えるが、ドーム内は気化熱によっていつも適温に保たれているので、シャキッと元気な野菜の緑に囲まれて、居心地がいい。

 ちなみに街中は、自動車ではなくゴルフ場のカートのようなもので移動する。学校、病院、ホテル、オフィス、プール、乗馬場、スーパー、モスク、競技場などを備えているので、この街だけでも生活が完結する。

 エアコンがフル活動の都心部より涼しく心地よい風が吹き、気温が少し低い気がする。エコハウスは快適で暮らしやすそうだし、販売価格は日本円に換算してもそれほど高くない。外国人も購入可能なのでドバイに別荘感覚で購入してもいいかも?
 

すぐに次の一万戸を造れ!


 ドバイ首長一族のそばには、数々の有能な外国人のブレインがついているそう。彼らのいくつかのプレゼンテーションに対して「それは面白い!すぐやろう!」と首長の鶴の一声で予算が組まれ、たちまち実行に移されるのだ。

 ブレインの一人ともいえるのが「3Dプリンター」プランを推進する「ドバイ未来財団」のノア・ラフォード教授。アメリカ出身、もともと法学専攻だったが建築にも才能を開花させた天才肌が、3Dプリンターの魅力を語ってくれた。

 「高さ6m、長さ36m、幅12mの巨大な3Dプリンターを使って、11日で造りました。建物の材料は特殊強化コンクリート、繊維強化プラスチック、ガラス強化石膏などです。工事を見守っていた首長から『もっと早くやれ!』とゲキが飛ばされたので、工期が短縮(笑)。そしてハムダン皇太子からも『次の一万戸をすぐ造れ』という命令が出ています」

 恐るべし、首長一族のスピードとスケール!3Dプリンターで工期、人件費、材料費、すべてがカットできるが、いまのところ、壁にのみ使用可能なのと、建物の耐久年数が不明なのでまだまだ未知数ではある。

 しかし、2030年までにすべての建物の25%を3Dプリンターで建設する予定、というから鼻息は荒い。建物だけではなく、ファッション、ジュエリー、医療機器のほか、3Dプリンターで歯、骨、臓器づくりの野望も計画中だ。
 
 はるか遠くにユニオンハウスのUAEの国旗が見える。世界一の高さと大きさの旗が青空にくっきりと浮かび上がり、ゆらゆらと空中にはためく。ユニオンハウスでイギリスからの独立を宣言した1971年、誰もドバイの現在の姿を想像していないなか、シェイク・ラシード氏だけは鮮明に思い浮かべていたのだろう。

 現在は火星に移住する計画も、巨額を投資して進行中。地球の限りある命を思えば、火星での生活も現実味を帯びてくる。不可能を可能に変えるドバイの“腕の見せ所”だ。
(文=ライター・東野りか)
<協力>
●ドバイ政府観光・商務局
https://www.visitdubai.com/ja/
●Travco L.C.C(トラフコ)
http://www.travcotravel.ae
●ルネッサンス・ダウンタウンホテル・ドバイ
https://renaissance-hotels.marriott.com/renaissance-downtown-hotel-dubai



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明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
ドバイは、アラブ首長国連邦(UAE)を構成する首長国のひとつ。首都はアブダビだが、UAEの中でももっとも経済的に発展しているのがドバイである。しかし1960年代までは小さな漁村、荒涼とした砂漠に過ぎなかったのに、なぜここまで発展することができたのか?ドバイの現在、過去、未来の3つの時間から紐解いてみた。

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