「観光とツーリズムは違う。旅行業界は浮かれず成長に備えよ」(JTB会長)
田川博己氏が語る、現代版「外客誘致論」
過去最高の更新が続く訪日外国人数。東京五輪・パラリンピックやラグビーワールドカップ(W杯)など日本での開催を控えるビッグイベントもめじろ押しだ。あたかも日本には、明るい近未来が広がっているように映る。
だが、目先の堅調さに浮かれてばかりもいられない。今は「備え」の時であり、日本が持続的な成長を遂げることができるかは、向こう数年間の取り組みにかかっている。
旅行業界は変革の時代にある。制度改正や27年ぶりの新税となる「国際旅客税」の導入といった環境変化だけを「変革」と受け止めているのではない。
日本が海外の成長力を取り込み、名目国内総生産(GDP)600兆円経済を実現するには、旅行を「観光」にとどまらず「ツーリズム」と広範な視点で捉え、産業として育成する視点が欠かせない。我々はその一翼を担いたいと考えている。
そもそも「観光」と「ツーリズム」の違いは何か。観光はレジャーや休暇の印象が強いのに対し、ツーリズムは往来の自由が保障された状況下での人的な交流促進を示す。
環太平洋連携協定(TPP)が目指す貿易や投資の自由化を通じた経済交流も広義のツーリズムといえよう。風光明媚(めいび)な、あるいは歴史的な場所を探訪する「観光」は「ツーリズム」の一形態だが、これがすべてではない。
ただ、これまでの国や地方の施策は「観光振興」の色彩が強く、地域の魅力をいかに発信するかに力点が置かれてきた。結果、交流人口(訪日外国人客数と日本人海外旅行者数の合計)は2017年に4658万人に達したが、20年に訪日外国人だけでも6000万人を目指す政府目標の達成には、円滑な往来の前提となる交通インフラをはじめとしたハードの整備や規制改革を加速しなければならない。
観光地をプロデュースする人材だけでなく鉄道事業や道路事業の観点からツーリズムを体系的に捉えることができる人材育成も喫緊の課題だ。
19年には主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の大阪開催も決まった。国際会議や展示会を誘致する「MICE戦略」も誘致そのものが目的ではない。
ビジネスジェットが数百機規模で離着陸できる環境は整っているのか。もとより、海外企業にとって日本市場は魅力ある進出先なのか―。官民挙げて、ツーリズムをめぐる議論をもっと深めたい。
今年は明治維新から150年にあたる。その精神や歴史に学ぼうとする機運は、旅行業界にも広がっている。
明治の鉄道官僚、木下淑夫が説いた「外客誘致論」は、まさにいま日本が推進する観光による成長戦略の原点ではなかろうか。
富士山を国立公園にしたり、瀬戸内海一帯を一大遊園として博覧会を催すことで外国人の誘客を目指したりしたこの構想は、まさしく外需取り込みによる経済振興だ。共鳴した渋沢栄一らの協力も得て、JTBの前身となるジャパン・ツーリスト・ビューローが創立されたのは1912年のことである。
木下は日露戦争直後の日本が「欧米でほとんど理解されていない」と嘆いたという。それから1世紀余り。果たして、我々は日本を世界に十分、発信できたのだろうか。1964年に海外渡航が自由化され、旅客機の大型化や円高が海外旅行を後押しした。
日本人は世界に旅立ち、さまざまな国や地域の歴史や自然に触れ見聞を広めてきた。他方、「メード・イン・ジャパン」が象徴するように日本製品の品質や技術力は世界で大きな評価を得た。高いモノづくり力ゆえに「日本そのもの」への理解を深めてもらう努力を怠ってきたように感じる。
観光資源は歴史的な建造物や文化財といった「形あるもの」に限らない。地域に息づく伝統や風土に触れ、そこに暮らす人々と交流することは旅の楽しみだ。
産地を訪ねるのは、作り手との触れ合いの中からさまざまなエピソードが生まれることを期待しているからだろう。
近年、旅行会社に求められる役割のひとつに、地域の魅力を発掘、育成することで交流人口の拡大につなげることがある。とかく神社や仏閣などに目を向けがちだが、地域の生活文化を掘り起こすことが肝要だ。
仕事柄、地方の方からこんな産物を売り込みたいと相談を受けることが多いが私はこう答える。「モノでなくあなた自身を語ってください」。そこに暮らす人々の生きざまこそ地域の魅力であり差別化戦略につながるはずだ。
敗戦で多くを失った経験が、モノに固執する国民性を生み出してしまったのだろうか。いや、そんなはずはない。元来、日本人は自然万物に神が宿ると考える宗教観や豊かな感性を持ち合わせていたはず。こうした精神性とあわせて、奥深い日本の魅力を世界に発信し続けたい。
だが、目先の堅調さに浮かれてばかりもいられない。今は「備え」の時であり、日本が持続的な成長を遂げることができるかは、向こう数年間の取り組みにかかっている。
旅行業界は変革の時代にある。制度改正や27年ぶりの新税となる「国際旅客税」の導入といった環境変化だけを「変革」と受け止めているのではない。
日本が海外の成長力を取り込み、名目国内総生産(GDP)600兆円経済を実現するには、旅行を「観光」にとどまらず「ツーリズム」と広範な視点で捉え、産業として育成する視点が欠かせない。我々はその一翼を担いたいと考えている。
そもそも「観光」と「ツーリズム」の違いは何か。観光はレジャーや休暇の印象が強いのに対し、ツーリズムは往来の自由が保障された状況下での人的な交流促進を示す。
環太平洋連携協定(TPP)が目指す貿易や投資の自由化を通じた経済交流も広義のツーリズムといえよう。風光明媚(めいび)な、あるいは歴史的な場所を探訪する「観光」は「ツーリズム」の一形態だが、これがすべてではない。
ただ、これまでの国や地方の施策は「観光振興」の色彩が強く、地域の魅力をいかに発信するかに力点が置かれてきた。結果、交流人口(訪日外国人客数と日本人海外旅行者数の合計)は2017年に4658万人に達したが、20年に訪日外国人だけでも6000万人を目指す政府目標の達成には、円滑な往来の前提となる交通インフラをはじめとしたハードの整備や規制改革を加速しなければならない。
観光地をプロデュースする人材だけでなく鉄道事業や道路事業の観点からツーリズムを体系的に捉えることができる人材育成も喫緊の課題だ。
19年には主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の大阪開催も決まった。国際会議や展示会を誘致する「MICE戦略」も誘致そのものが目的ではない。
ビジネスジェットが数百機規模で離着陸できる環境は整っているのか。もとより、海外企業にとって日本市場は魅力ある進出先なのか―。官民挙げて、ツーリズムをめぐる議論をもっと深めたい。
「日本そのもの」への理解を深める努力を
今年は明治維新から150年にあたる。その精神や歴史に学ぼうとする機運は、旅行業界にも広がっている。
明治の鉄道官僚、木下淑夫が説いた「外客誘致論」は、まさにいま日本が推進する観光による成長戦略の原点ではなかろうか。
富士山を国立公園にしたり、瀬戸内海一帯を一大遊園として博覧会を催すことで外国人の誘客を目指したりしたこの構想は、まさしく外需取り込みによる経済振興だ。共鳴した渋沢栄一らの協力も得て、JTBの前身となるジャパン・ツーリスト・ビューローが創立されたのは1912年のことである。
木下は日露戦争直後の日本が「欧米でほとんど理解されていない」と嘆いたという。それから1世紀余り。果たして、我々は日本を世界に十分、発信できたのだろうか。1964年に海外渡航が自由化され、旅客機の大型化や円高が海外旅行を後押しした。
日本人は世界に旅立ち、さまざまな国や地域の歴史や自然に触れ見聞を広めてきた。他方、「メード・イン・ジャパン」が象徴するように日本製品の品質や技術力は世界で大きな評価を得た。高いモノづくり力ゆえに「日本そのもの」への理解を深めてもらう努力を怠ってきたように感じる。
観光資源は歴史的な建造物や文化財といった「形あるもの」に限らない。地域に息づく伝統や風土に触れ、そこに暮らす人々と交流することは旅の楽しみだ。
産地を訪ねるのは、作り手との触れ合いの中からさまざまなエピソードが生まれることを期待しているからだろう。
近年、旅行会社に求められる役割のひとつに、地域の魅力を発掘、育成することで交流人口の拡大につなげることがある。とかく神社や仏閣などに目を向けがちだが、地域の生活文化を掘り起こすことが肝要だ。
仕事柄、地方の方からこんな産物を売り込みたいと相談を受けることが多いが私はこう答える。「モノでなくあなた自身を語ってください」。そこに暮らす人々の生きざまこそ地域の魅力であり差別化戦略につながるはずだ。
敗戦で多くを失った経験が、モノに固執する国民性を生み出してしまったのだろうか。いや、そんなはずはない。元来、日本人は自然万物に神が宿ると考える宗教観や豊かな感性を持ち合わせていたはず。こうした精神性とあわせて、奥深い日本の魅力を世界に発信し続けたい。
日刊工業新聞2018年2月21日/22日