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製品価値はモノの形から体験の質へ。問われるデジタル「前提」の視点

【連載】体験と礎 #6 体験設計と製品開発

消費者の購買における判断軸として、製品を使用した際の「体験」が注目されている。例えば、喫茶店ではコーヒーの品質に加えて「落ち着いた店内でリラックスする」という付加価値に対価を払う人は少なくないだろう。利用時間やコンテンツの消費量が課金につながるサービスでは、体験の良し悪しがビジネスの成長に直結する状況も見られる。
 こうした背景にはどのような社会変化があるのか。デジタルシフトが加速し、製品の在り方が多様化する環境で、今後のモノづくりやサービス開発にはどのような視点が必要か。『融けるデザイン—ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論』などの著作を持ち、インタラクションデザインを研究する明治大学総合数理学部の渡邊恵太准教授に聞いた。

変化する価値の主体

—近年の製品開発において体験設計が重要になった背景を教えてください。
 大枠としては2000年代以降に起きた社会変化と連動しています。まず、インターネットや携帯電話が普及する中でデジタル製品の設計を中心に「機能に付随した豊かさ」が求められる動きがありました。技術革新が進み高性能・高品質の製品が溢れる現在では、製品本体の性能や価格に大きな差がない状況になっています。そこで、具体的な利用者像を描き、彼らのニーズを満たしたり特定分野での課題を解決したりする「体験」が価値の主体になってきました。特にコンピューターソフトウェアの開発では、製品の都合でユーザーを制御するのではなく、使い手の生活や利用環境にあわせて機能や操作を改善していく考えが強まっています。
 また90年代後半以降は大量生産・大量消費の社会が見直され、マーケティングの軸がモノからコトへ変化しました。人々が価値を感じ、対価を払う対象が目に見えるものや形のあるものだけではなくなった点も、「体験」が強調される由来と捉えられます。

—体験の向上はビジネスにどう関わりますか。
 使用者数や利用時間など収益に関わる要素に影響します。スマートフォンなどの高機能製品を多くの人が使いこなす現代では、製品の使いやすさ・分かりやすさは「良くて当たり前」の状態にあります。そこから、使い続けたくなる工夫や周りに紹介したくなるポジティブな体験を提供できるかがビジネスを成長させるカギになっています。デジタル領域のサービスではコンテンツの消費量に合わせた料金体系やサブスクリプションモデルが台頭し、この状況がより顕著になりました。

音楽や動画の配信サービスではサブスクリプションモデルが主体に(写真はイメージ)

—製品やその体験がアップデートされないとどうなりますか。
 使い手が離れ、事業が続かなくなっていきます。特にウェブサービスの場合「これは使いにくい」「悪いサービスだ」と思う体験に出会うと、ユーザーはすぐに使用をやめたり別のサービスに切り替えたりすることが簡単にできる環境にあります。

—体験設計の重要性はBtoC製品で強調されるように感じますが、BtoB製品でも重要ですか。
 無関係ではありません。身近な製品が常に使いやすい状態に更新される環境で生きる人々にとって、複雑な操作や仕組みがわからないものに触れ続ける時間は少なからずストレスです。仕事で使用するサービスや道具に悪い印象が重なっていくと、その会社で働く意義の喪失や仕事に対する不満の原因になり得ます。

製品の在り方が多様化

—近年は製品の在り方がソフトウェア中心になっている印象です。
 日常生活や仕事における活動の一部がウェブ上で行われる環境になり、製品の姿はハードウェア・ソフトウェアを問わない流れが加速しています。また社会全体のデジタル化が進み、全てを「形あるもの」にしていた時代からモノづくりの前提が変わっている状況です。
 さらにSDGsの取り組みや環境に対する意識変化から「物質」の役割にも転換期が来ています。限りある資源に対し、地球上で生活を続けていく手段としてもデジタルの活用やソフトウェア主体の開発ニーズが広がっています。

仕事や学校でのコミュニケーションもオンラインが中心に(写真はイメージ)

—体験設計においてソフトウェアの特性はどう活かされますか。
 ソフトウェアの長所としてプロトタイプ作成や操作の検証を短期間・低コストで実施でき、形を柔軟に変えられる点が挙げられます。こうした強みは、使い手の仕事や生活サイクルなどに合わせ、最適な製品を提供し続ける基盤になります。物理的なコストをかけずに機能の幅を調整できる点では、ビジネスにおけるマネタイズの設計にも有効です。

デジタルを「前提」に

—物理的に形のあるものとそうでないものが混在している社会の中で、今後の製品開発にはどのような視点が必要ですか。
 あらゆる物事がデジタルを前提に作られると捉えた上で、製品の魅力や最適なインターフェースを設計していくことです。価値の主体がモノの形から体験の質に移り、社会の仕組みがデジタル化された環境では、製品の提供方法に物理制約がほぼありません。これを理解した上で届けたい価値とその手段を見極め、最適な姿に設計していく思考が必要です。

—デジタルを前提に設計する上で課題はありますか。
 製品の在り方に物質を前提とする考えが根強く残っていることです。特にハードウェアの開発現場ではデジタルの存在を「(物質の)付加価値」と捉えやすい傾向にあります。
 例えば運転に必要な操作をタッチパネルに集約した自動車に対して、消費者からレバーやボタンなどを用いた従来型のインターフェースを望む声が多く出てきたとします。デジタルを前提と捉えた設計では、タッチパネル上でこれまでの経験に依存しない新たな操作体験を作っていく、ソフトウェア上の改善が本質的です。一方、デジタルを付加価値と捉えている場合「従来のコントローラーに戻してもいいのではないか」というインターフェースを物理的に改修する考えに陥ってしまいます。
 未知の体験を前提に物事を考えるのは簡単ではありません。すでに経験したこと、日常で馴染みがあるものの方が理解しやすく、売れやすい。これからの社会の在り方を考えればソフトウェアを中心に考えるべきだと思っていても、従来にない形のインターフェースに出会うと戸惑ってしまう。製品の物理的な価値観には、企業も消費者も迷っている状況にあると考えられます。

—物質前提の製品開発からデジタル前提の製品開発に転換するヒントはありますか。
 形あるものから得られる面白さや楽しさなどの特徴を抽象化して捉え、デジタル上の体験設計に活かすことです。これまでに起きたデジタルへの取り組みは「前提を変える」概念がなく、旧来的な仕事や生活様式をデジタルに「対応させる」ことが中心でした。そのためか、現状ではモノの形や動きをデジタルで再現しようとして本質的な価値が発揮できていない事例が多くあります。物質の延長にとどまったインターフェースでは、提供価値や体験の質を向上させていくのは困難です。価値の主体が物質のコントロールから使い手の行動や体験に移り変わった意識を持ち、モノづくりの前提を切り替えていく発想が大切です。

渡邊恵太准教授
【略歴】わたなべ・けいた 明治大学総合数理学部先端メディアサイエンス学科准教授。04年慶應義塾大学環境情報学部卒業。09年同大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学後、博士号学位取得(政策・メディア)。13年より現職。14年シードルインタラクションデザイン創業。主な著書に『融けるデザイン—ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論(ビー・エヌ・エヌ新社)』がある。
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濱中望実
濱中望実 Hamanaka Nozomi デジタルメディア局コンテンツサービス部
製品の本質的な価値を捉える上では、物質とデジタルの両方に対する理解が重要です。ハードウェア・ソフトウェアそれぞれの特性を見つめ、差異を対立させるのではなく、提供したい価値を補完し合う関係作りが今後の製品開発のカギに思えます。制作に携わる人間としては、物質を主体とした「モノづくり」とデジタルを前提とした「体験づくり」、どちらのはたらきも理解した作り手でありたいと感じる取材でした。

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体験と礎
体験と礎
日常の何気ない体験を見直したりアップデートさせたりする視点を持つ製品開発の事例が増えている。デジタルデバイスがより身近になる中で「プロダクト」の概念もハードウェアに閉じたものではなくなった。働き方や暮らし方が多様化する中で、プロダクトの開発にはどのような視点が求められるのか。その作り手は社会とどう向き合うのか。(不定期連載)

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