METI
柳井さんが日立のCEO?「嫌だって言うんじゃない(笑)」(中西会長)
日立製作所・中西会長が語るリーダーになるための条件
2009年の巨額赤字を受け社会インフラ事業へ経営資源を集中した日立製作所。会長の中西宏明氏は日立の経営改革をリードする一方で、最近は政府の政策に対し民間の立場から積極的に提言している。経済産業省の公式メディア「METI Journal」の連載特集「コネクテッドインダストリーズ」でインタビューが掲載されている。その中で経営リーダー論について語っている部分が興味深い。一部抜粋してお届けする。
ービジネス転換において、中西さんは常々、経営トップそのものが変わっていかないといけない、と強調していますよね。
「最近、柳井さん(ファーストリテイリングの柳井正会長)や似鳥さん(ニトリホールディングスの似鳥昭雄会長)などともお会いして話をする機会もあるんですけど、彼らは本当に面白く、全然衰えを感じさせない」
「大企業の社長は守りに入りやすと言うけど、彼らはそうじゃない。似鳥さんは『うちは小売りじゃなくて製造業ですから』と言う。逆に、日立のような伝統的な製造業がサービスを目指しているわけですが、事業はシフトしてくものだから、どちらも正しいと思っていますよ。問題は事業ポートフォリオや会社組織を変えていけるような経営者をどう育てていくかですね」
ーそれは自社で20ー30代の頃から選抜して幹部候補教育していくのか、米国のように他社から“経営のプロ”としてCEO(最高経営責任者)を引っ張ってくるのか。柳井さんとか日立のCEOを引き受けますかね。
「嫌だって言うんじゃない(笑)。まぁ、両方です。例えば米ゼネラル・エレクトリック(GE)は昔から自社で育てていくことを伝統とする素晴らしい会社だけど、『GEデジタル』を作った時から数多くの人材を外から引っ張り込んでいる。その経営資源をうまく使っていくために、GEだってそのほかの海外企業も、人材ミックスや組織改革を年中やってるじゃないですか。そういう試行錯誤をやっていかないと」
「日立でも、最近は若いうちに海外の子会社に送り込んでマネージャーをさせてみたりしているけど、まだまだトレーニングする機会が少ない」
ー中西さんが米国のHDD(ハードディスク駆動装置)子会社の立て直しにトップとして送り込まれたのは60歳近くだったかと。
「年齢が絶対というわけではないけど、50代じゃもう遅いよ。将来、リーダーになろうと思ったら二回は海外勤務をやるべきだ、と言ってます。一回は外国人のボスの下で働く、二回目は外国人のボスになる」
「僕の最初の海外は、欧州法人の代表。あの経験はすごく大きかった。工場出身者がいきなり輸出営業のファイナルポジションですから」
「1998年ー2000年はDRAMで食っていけなくなる半導体産業の変わり目の時で、標準品を売っていればいい従来型の輸出営業じゃダメだ、という想いからの人事だったと受け止めています」
「世界のトップレベルの経営者は、デジタルエコノミーに限らず幅広いテーマで常に議論していますが、欧州駐在中は、米国とはまた違う独特の多様性を経験しました」
「当時の最大顧客はフィンランドのノキア。先方と10人くらいの会議をやると、日本人は僕一人で、ノキア側もフィンランド人は一人か二人で、エンジニアはデンマーク人、インド人だったり、購買はフランス人とか」
「外国人は結構できっこないことでも『できる、できる』と主張して、自分から仕事を取りに来る。逆に日、本人はできる仕事があっても、自分からは仕事を取りに来ない文化で、その差は大きいと思いますね」
<全文は「METI Journal」でお読みになれます>
【略歴】
中西宏明(なかにし・ひろあき)東京大学工学部電気工学科卒業後、1970年(昭45)日立製作所入社。米国スタンフォード大学大学院に留学し、コンピュータエンジニアリング学修士課程修了。大みか工場副工場長、日立ヨーロッパ社社長、北米総代表兼日立グローバルストレージテクノロジーズ社会長兼CEO(最高経営責任者)などを経て2010年に社長就任。14年会長兼CEO、16年から現職。神奈川県出身、71歳。>
ービジネス転換において、中西さんは常々、経営トップそのものが変わっていかないといけない、と強調していますよね。
「最近、柳井さん(ファーストリテイリングの柳井正会長)や似鳥さん(ニトリホールディングスの似鳥昭雄会長)などともお会いして話をする機会もあるんですけど、彼らは本当に面白く、全然衰えを感じさせない」
「大企業の社長は守りに入りやすと言うけど、彼らはそうじゃない。似鳥さんは『うちは小売りじゃなくて製造業ですから』と言う。逆に、日立のような伝統的な製造業がサービスを目指しているわけですが、事業はシフトしてくものだから、どちらも正しいと思っていますよ。問題は事業ポートフォリオや会社組織を変えていけるような経営者をどう育てていくかですね」
リーダーになるなら二回は海外勤務をやるべき
ーそれは自社で20ー30代の頃から選抜して幹部候補教育していくのか、米国のように他社から“経営のプロ”としてCEO(最高経営責任者)を引っ張ってくるのか。柳井さんとか日立のCEOを引き受けますかね。
「嫌だって言うんじゃない(笑)。まぁ、両方です。例えば米ゼネラル・エレクトリック(GE)は昔から自社で育てていくことを伝統とする素晴らしい会社だけど、『GEデジタル』を作った時から数多くの人材を外から引っ張り込んでいる。その経営資源をうまく使っていくために、GEだってそのほかの海外企業も、人材ミックスや組織改革を年中やってるじゃないですか。そういう試行錯誤をやっていかないと」
「日立でも、最近は若いうちに海外の子会社に送り込んでマネージャーをさせてみたりしているけど、まだまだトレーニングする機会が少ない」
ー中西さんが米国のHDD(ハードディスク駆動装置)子会社の立て直しにトップとして送り込まれたのは60歳近くだったかと。
「年齢が絶対というわけではないけど、50代じゃもう遅いよ。将来、リーダーになろうと思ったら二回は海外勤務をやるべきだ、と言ってます。一回は外国人のボスの下で働く、二回目は外国人のボスになる」
「僕の最初の海外は、欧州法人の代表。あの経験はすごく大きかった。工場出身者がいきなり輸出営業のファイナルポジションですから」
「1998年ー2000年はDRAMで食っていけなくなる半導体産業の変わり目の時で、標準品を売っていればいい従来型の輸出営業じゃダメだ、という想いからの人事だったと受け止めています」
「世界のトップレベルの経営者は、デジタルエコノミーに限らず幅広いテーマで常に議論していますが、欧州駐在中は、米国とはまた違う独特の多様性を経験しました」
「当時の最大顧客はフィンランドのノキア。先方と10人くらいの会議をやると、日本人は僕一人で、ノキア側もフィンランド人は一人か二人で、エンジニアはデンマーク人、インド人だったり、購買はフランス人とか」
「外国人は結構できっこないことでも『できる、できる』と主張して、自分から仕事を取りに来る。逆に日、本人はできる仕事があっても、自分からは仕事を取りに来ない文化で、その差は大きいと思いますね」
<全文は「METI Journal」でお読みになれます>
中西宏明(なかにし・ひろあき)東京大学工学部電気工学科卒業後、1970年(昭45)日立製作所入社。米国スタンフォード大学大学院に留学し、コンピュータエンジニアリング学修士課程修了。大みか工場副工場長、日立ヨーロッパ社社長、北米総代表兼日立グローバルストレージテクノロジーズ社会長兼CEO(最高経営責任者)などを経て2010年に社長就任。14年会長兼CEO、16年から現職。神奈川県出身、71歳。>
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